◇ 中央アジアの古い都市の回教寺院の塔の頂は申合わせたように青い。空の青さとも海の青さとも異った一種独特の人間の心を吸い取ってしまうような深い青さなのである。沙漠の旅行者は、また沙漠の都市の住人は、この青さを眼にすることなしには、その日その日を送れなかったのであろう。この塔頂の青さはおそらく沙漠で生きる人たちが生きるために、どうしても必要なものであると思われる。沙漠の旅行者は遠くからこの青い陶板で包んだ塔の頂を眺め、そしてそれに吸い込まれるようにして城門を持った聚落(しゅうらく)へはいって行ったのであろう。 ◆ 井上靖『西域物語』。これも実家の父の本棚にあった一冊。たしか、これは「ワタシの本」だった。懐かしくなってパラパラとページをめくる。高校生だった。ほかにも、氏の『桜蘭』や『敦煌』を読んで、シルクロードにひそかに憧れた。もはやタイトル以外にはなんの記憶も残っていないのが、ちょっと悲しい。それから、ちょっと悲しいことが、もうひとつ。『西域物語』の「序章」の冒頭。 ◇ 私は学生時代に西域(せいいき)というところへ足を踏み入れてみたいと思った。本当に西域に旅行できないものかと考えた時代がある。西域という言い方は甚だ漠然としたものであるが、これは中国の古代の史書が使っている言い方で、初めは中国西方の異民族の住んでいる地帯を何となく総括して、西域という呼び方で呼んだのである。だから昔は、インドもペルシャも西域という呼称の中に収められていた。要するに中国人から言えば自国の西方に拡がっている未知の異民族が国を樹てている地帯を、何もかもひっくるめて西域と呼んだのである。だから西域という言葉の中には、もともと未知、夢、謎、冒険、そういったものがいっぱい詰め込まれてある。その後インドやペルシャは西域とは呼ばなくなり、西域というと専ら中央アジアに限定するようになって今日に到っている。 ◆ なんと「西域」には「せいいき」とルビが振られているではないか! ああ、「西域」は「せいいき」と読むのであったか! ワタシは「さいいき」とばかり思っていた! さきに「タイトル以外にはなんの記憶も残っていない」と書いたが、そのタイトルの読み方さえ間違って記憶していたとは! 「ちょっと」というのは強がりで、ほんとうは「たいへん」悲しい! ◆ と、このルビに気がついたときには、そう思ったのだが、冷静になって考えると、当時は「せいいき」と憶えていた可能性もある。あるいは、読み方などどうでもよかったのかもしれない。現在にいたるまで「西域」の読みを問われたことなど一度もないので考えもしなかったが、「せいいき」だと言われても、とくに違和感はない。すぐ慣れてしまう。ET VICE VERSA。 ◆ 復習:「西」という漢字、呉音では「サイ」と読み、漢音では「セイ」と読む。たとえば、「東西(トウザイ)」の「ザイ」は呉音で、「北西(ホクセイ)」の「セイ」は漢音。 ◇ 〔ケペル先生のブログ〕 作家の陳舜臣が朝日新聞に「西域余聞」を連載していたころ、タイトルについて、読者から、「西域」を「さいいき」と読むのか、「せいいき」と読むのか、という質問が一番多かったそうである。陳は「読みたいように読んでもらうほかない。個人によって読み方が異なる。おもに仏教関係者は「さいいき」と呉音で読み、歴史学者は「せいいき」と漢音で読むのがふつうである」といっている。そういえば世界史辞典などでは西域(せいいき)とあるのがふつうである。 ◇ 〔「西域」の読み方は? | ことば(放送用語) - 放送現場の疑問・視聴者の疑問 | NHK放送文化研究所〕 「西域」は、中国人が自分たちの西方の地域や諸国を総称したことばです。狭義には現在の中国西部の新彊<きょう>・ウイグル自治区方面をさします。読み方には(1)[サイイキ](2)[セイイキ]の両方あり、辞書類の扱いをみても(1)を採るもの(2)を採るもの、両方を採るものとマチマチです。しかし、歴史・文化部門の用語としては、古くから[サイイキ]と読まれ、東洋史などの専門家の慣用的な読みは[サイイキ]です。また、同音語の「聖域」[セイイキ]との混同が避けられるということからも、「西域」を歴史的な用語として放送で使う場合には、[サイイキ]と読んでいます。ただし、現在の新彊<きょう>・ウイグル自治区方面を主にさして言う場合は、[セイイキ]と読んでもよいことにしています。 ◆ なるほどなるほど、よくわかった。混乱していることがよくわかった。そういえば、陳舜臣の『西域余聞』も読んだことがある。これまたタイトル以外にはなにも憶えていない。今度、実家に帰ったら、読みなおしてみよう。 |
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