◆ 東京駅の赤帽。伝さんは、ミステリー仕立ての短篇のなかの人物。
◇ 赤帽の伝さんは、もうしばらく前から、その奇妙な婦人の旅客達のことに、気づきはじめていた。
伝さんは、東京駅の赤帽であった。東海道線のプラット・ホームを職場にして、毎日、汽車に乗ったり降りたりするお客を相手に、商売をつづけている伝さんのことであるから、いずれはそのことに気がついたとしても不思議はないのであるが、しかし、気がついてはいても伝さんは、まだそのことについて余り深く考えたことはなかった。
大阪圭吉「三の字旅行会」(『新青年』1939〔昭和14〕年1月号; 青空文庫)
◆ 山崎明雄さんは実在の人物。東京駅最後の赤帽。
◇ 赤帽も長くやっていると、そこから社会の変わり様が見えてもくるのです。
私の新米時代は、風呂敷包みがずいぶんとあったものです。絹やちぢみ模様のある上品な体裁のものではありません。俗に一反風呂敷という大判なもので、唐草模様の入った実用一点張りのものです。
風呂敷は便利なもので、包まれる品物の形に合わせて包み込めるので、かさばらなくてすむのです。
鹿児島から桜島大根をお土産にして上京したお客さんがいました。ダンボール箱に入れて、全体を風呂敷でくるんであるのです。ダンボールだけでは底が抜ける危険がありますし、とても持ちにくい。長方形で高さもそれなりにあるので、抱えにくいのです。抱きあげるように、胸の前あたりで持つのですが、これでは荷物ひとつでいっぱいになってしまいます。
風呂敷で包んであれば、結び目がしっかりしているか確認して、大丈夫ならばそこを掴めば片手で用が足ります。振り分け荷物にすれは、両手が使えます。風呂敷は実に便利な日用品なのです。
「つづら」も、姿を見なくなったもののひとつです。若い人には「つづら」と言っても、通じないことさえあります。竹やヒノキのうす板を編んだうえに紙を張った箱で、衣類入れに使ったものです。
同じようなもので茶箱があります。これは、お茶の輸送に使い、湿気を防ぐために内側に錫が張ってあります。大切なもの、湿気をきらうものを納めて運ぶのに適していて、人が入れるほどの大きさのものもありました。
逆に、通気性を保つのに便利なのが、柳行李です。これは、柳の枝などで編んだ一種の箱で、旅行の時の衣類入れです。行李そのものが軽いので、旅行にはうってつけなのです。これなどもすっかりと見なくなってしまいました。
学生の入学時期、つまり、四月が近づくとふとん袋を持った旅客がふえたものでした。親御さんが持って上京するケースが多いようです。厚い布製の袋で、たたんだふとんをヒモでロを閉じるようになっていました。赤玉印と言えば、そのままふとん袋を指すほど一般的なものでした。ベッドの生活が主流になったせいでしょうか、これも目にしなくなりました。
こうした物が姿を消したのは、やはり、オリンピック以後のようです。
山崎明雄『思い出背負って―東京駅・最後の赤帽』(栄光出版社,p.82-84)
◆ いつのまにか見かけなくなってしまったもの。唐草模様の一反風呂敷、つづら、茶箱、柳行李、赤玉印のふとん袋。赤帽。