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◇ むかし高校生だった頃,公園にいたら24歳の予備校生だという頭の薄い,気の弱そうな暗い人が話しかけてきて,10分くらい話をしたら“つきあってほしい”と言われたことがある。彼は何を考えていたのだろうか。何かよくわからない世界だった。彼は,一度自分も恋愛というものをしてみたかったのだろう。でも,だいぶまちがっていると思う。どちらかというと“ちかん”だった。 ◆ これはある地方の県立短大の学生が書いた社会学のレポートの抜粋。タイトル(授業のテーマ?)は「恋愛したい? 結婚したい?」。この文章を引き写している理由が自分でもいまひとつよくわからないのだが、なんとなく気になった。たとえば、 ◇ 「お金がなければ家庭は壊れる」。これは母の口癖で,娘の男を見る目が厳しい。昔はそれに反発してきたが,だんだん成長するに従い,母の言うことも正しいと思えるようになってきた。やはり「愛」とか「ドキドキする」という言葉だけではやっていけないと思う。「世の中,金だ」というように,男もまた「金」ではなかろうか。自分でも嫌な考えだとは思うが,現実は厳しいのである。 ◆ なんて文章なら、バカかおまえは!の一言ですんでしまうのだが(失礼!)、とにかく「何かよくわからない世界」ではある。最後の「どちらかというと“ちかん”だった」という一文は、なんだか笑うに笑えない(ような気がする)。 |
◆ どうでもいいけど、サンマリエの広告、ちょっとデカ過ぎないか? 思わずクリックしてしまったじゃないか! ほかのコトを書こうとしていたのに・・・ おまけにサンマリエを変換したら、秋刀魚理恵になっちゃうし・・・ ところで、「どうでもいいけど」の出だしで、郷ひろみを思い出した方はおられませんかね。 |
◆ 仕事が早く終わったので、渋谷のマンガ喫茶に来ています(開店記念で最初の30分がなんと50円!)。で、ネットラジオの 'CHANTE FRANCE' を聴きながら、ホームページをいろいろ手直ししているのですが、いまさっきフランス・ギャルの 'IL JOUAIT DU PIANO DEBOUT'、つづいてエルザの 'T'EN VAS PAS'(原田知世もカバーしていた)が流れていたので、しばし手のほうをお休みして聴き入っていました。ネットラジオって、ほんとに便利ですね。曲名は出るし、検索すれば歌詞も見れるし。でも、ウチでの回線はエッジ接続の超ナローバンドなので、ほとんど使い物にならない。やっぱりブロードバンドにしなくちゃなあ・・・。それにしてもフレンチ・ポップスは相変わらずダサい(それが魅力?)。 |
◆ 『週刊文春』の今週号(7月17日号)に、「早大レイプサークル主犯和田真一郎の父親懺悔告白90分」なるインタビュー記事があった。父親は「土建屋の端くれ」だそうだが、 ◇ 小六のころに真一郎が「親父のような人生は送りたくない。俺は汗水流すのは嫌いだ」と言ったことがあります。 ◆ なんとコメントしたらよいのかよくわからないけれど、とりあえず個人的には、階段を何度も上ったり下りたり、重いものを持ち上げたり、ナチュラルハイになるまで走り回って、そうしてお金までもらえる引越屋という現在の仕事が、いまのところ嫌いではない。あとは宿題。 |
◆ 長崎のことで、また忘れていた疑問を思い出した。 ◇ 殺人事件の場合、被害者の遺族の方が犯人を「極刑に処してほしい」と発言されている場面をテレビなどでよくみかけますが、実際の判決でこのような遺族の心情は多少なりとも考慮されることがあるのでしょうか。あるとすれば、たとえば被害者が身寄りのない人だった場合との間に、判決に差が出るということになると思いますが、その点については問題がないのでしょうか。 ◆ 相も変わらず、わからないままでいる。 |
◆ 長崎のことで、当該中学校にカウンセラーが派遣され、担任とともに個別面談を行ったという記事をネットで読んだ。読んだが、正直なところ何をしに来たのかよく理解できない。 ◇ 補導された生徒と同じクラスに、精神状態が不安定な生徒が多く、「睡眠不足で頭が痛い」「体がだるい」と訴えた。それでも、面談を受けて落ち着きを取り戻したように見える生徒もいた。 ◆ 「加害者」のクラスメイトが特にショックを受けるのは当然のことで、そりゃ心理的に不安定にもなるだろうに。それは仕方のないことではないのか? なのに、 ◇面談後、友人らと笑ったり、ふざけたりしながら下校する生徒たちの姿を見た教頭は「明るさと笑顔が戻りつつある」。市教委は、カウンセラーによる心のケアの継続を検討している。 ◆ 「心のケア」って、いったい何なのだ。事件が起こってからそれほどの時間が経ったわけでもないのに、あっさり「明るさと笑顔」が戻ってしまうことの方がおかしくはないか? 記事は続けて、 ◇ 一方、子どもたちを支えるはずの教師も、ショックを受け「全員が悩み、落ち込んでいる」(教頭)という。 ◆ これまた当たり前のことではないか? 教師だってショックを受けるだろう。受けない方がよっぽど変だ。そうして、「少年と間近で接していた教師ほど苦しみが深かった」などと、だれが考えてもわかりそうなことが、どうして記事として成立するのだろう? 苦しむべきときには、苦しむほかにどうすればいいのだろう? 苦しみがなくなればいいってものじゃないだろうに。気が楽になる特効薬があるとしても(そんなものはないと思うが)飲むべきではない、とわたしは思っているのだけれど・・・ |
◆ 法事のおりに実家に立ち寄ったら、五輪真弓ののCD(二枚組みのベスト盤)があるのが目にはいった。七十過ぎの親父が最近買ったもので、そのなかに「落日のテーマ」があった。 ◇ 私にとって『僕たちの失敗』と言ったら、その昔、NHKの夜の銀河テレビ小説で荻島真一と酒井和歌子が演じていたドラマの「僕たちの失敗」であって、そのドラマのテーマ曲=五輪真弓の「落日のテーマ」なのだから。 ◆ そうそう、あれはたしかに「夜の銀河テレビ小説」だった。連続ドラマの『僕たちの失敗』。当時(さて、いつのころだったのか?)、ドラマに感動し、また挿入歌にも感動し・・・。とはいえ、筋書きは今ではすっかり忘れてしまって、いったい何に感動していたのやら・・・。それでも「落日のテーマ」を聴くと、今も少々気持ちが揺れる。 |
◆ いろんな人の日記をあれこれ巡ると、「アジサイがきれいです」とか「ホタルを見に行きました」とか、季節ネタも数多くあって、そういった文章を読むと思わず心が和んだりもする。この季節ネタで最近よくみかけるのが、ゴキブリで、これはアジサイやホタルを話題にしているのとはもちろん趣きが百パーセント異なり、とにかくキライ、コワイ、ダメのオンパレードで、とたんに語彙が貧困になる。日記ではないけれど、以前《教えて!goo》でこんな質問があった。 ◇ ゴキブリが苦手で、正直言うと、怖いぐらいです..(>_<) ◆ 「真面目に悩んで」いるというので、わたしも「真面目に」回答しましたね。 ◇ 質問された **** さんはおそらく女性のかたなのでしょうね。概して、女性のかたには虫全般が嫌いなひとが多いように思いますが、ゴキブリだって昆虫の一種、昆虫採集を気取るわけにはいかないでしょうが、とりあえず、Google やなんかで「ゴキブリ」を検索し「ゴキブリサイト」をいくつか見てみて(けっこうたくさんあります)、ゴキブリにかんする知識を多少なりとも身につけてみてはいかがですか。そうすると、ゴキブリにもいろんな種類があって、「あら、わたしの苦手だったのは、チャバネゴキブリだったのね。ヤマトゴキブリなら多少はましかも?」なんてことがわかって、こんどは珍しいゴキブリをみつけると、にんまりしたりするようになるかも(ならないか)。 ◆ でも、どうも違うみたいでした。ほかの回答をみると、退治する方法がいろいろ書いてありましたから・・・。まあ、ゴキブリはわたしだって好きではないけど、虫という虫が嫌いだというひとも世の中には多いようで、 ◇ ニョーボにとって、たいていの昆虫はゴキブリ扱いである。(^^;) ◆「虫」「キライ」で検索すると、うんさりするほどヒットする。そのなかで見かけた《虫同盟》というサイトの書き込みには、
◆ きりがないのでこの辺で止めておきます。それにしても、もし「虫」という字の代わりに自分の名前があったとしたら、たまらないだろうなあ・・・。これはイジメじゃないかなあ・・・。虫くんたちに深く同情する次第です。 |
◆ 虫のはなしといえば、フランス文学者で『ファーブル昆虫記』を新たに全訳した奥本大三郎氏のエッセー集がおもしろくて何冊か読んだことがあるが、そのなかに『考える蜚蠊』(福武書店,1993)という一冊があって、その「あとがき」に、 ◇ 少年時代を関西で過ごした私は、ゴキブリという名をずっと知らなかった。あちらではアブラムシという呼名の方が普通だったし、「ゴキブリホイホイ」となどという商品も、もちろんまだなかった。 ◆ とあり、そうそう関西ではアブラムシというんだった、と関西に生まれ育ったわたしはなつかしい言葉に出会って、胸がいっぱいになる(わけないか?)けれど、そのあとに、 ◇ 京都育ちの母などは「ボッカブリ」と呼んでいた。 ◆ と続けて書いてあるのを読んで、京都で生まれ育ったわたしは、はてそんな言葉は初めて聞いたな、と首をかしげ、こっちは京都といっても洛外の山科だからなあ、としょげかえる。それはともかく、アブラムシといえばもっぱらゴキブリのことだった。植物につくアブラムシもやっぱりアブラムシだったけど・・・(どっちもどっちだけど、こっちのアブラムシの方が気持ち悪くないか?)。そういえば、清水国明と原田伸郎の「あのねのね」のヒット曲に「赤とんぼの唄」というのがあった。 ♪ 赤とんぼ とんぼの 羽根を取ったら アブラムシ ◆ この「アブラムシ」はどっちなんだろう? どっちにも似てないような気がするけど、やっぱりゴキブリの方だろうな。『考える蜚蠊』に話を戻すと、やはり「あとがき」に、 ◇ はじめは「雪のシジフォス」というタイトルを考え、装丁の水月奏さんもそのつもりで白い瀟洒なデザインを考えておられたらしい。編集の宮森琴子さんが書名の変更を告げると、電話の向うで、「そ、そうですか」と、水月さんが一瞬絶句したそうである。 ◆ とあって、そりゃそうだろうな、シジフォスと蜚蠊じゃ大違いだものな、とこれまた深く同情した次第。おわかりでしょうが、蜚蠊はゴキブリと読みます。念のため。 |
◆ 今朝そとに出ると、七月だというのに、秋の風が吹いていた。 |
◆ ゴルフは好きではない。というよりキライなのだが、先日電車のなかでスポーツ新聞の読むところがなくなって、ゴルフのページを読んでいたら、細川某がアルバトロスを決めたという記事があって、 ◇ ・・・・・・副賞の「サトウのご飯200パック」を「わあ、子供がこのごはん大好きなんだ。ほんと、うれしいよ」と大喜びしていた。 ◆ これぞ、まさしくアホウドリというところか。 |