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◆ 昭和30年代、団塊の世代が中学校の国語教科書で読んだ詩の数々を編んだ『あの頃、あの詩を』(鹿島茂編,文春新書)という本をパラパラめくっていると、千家元麿(せんげもとまろ)という詩人の「飯」という詩が目についた。以下、全文。 君は知つてゐるか ◆ 前から2行目「全力で働いて頭の疲れたあとで飯を食ふ喜び」と後から2行目「全身で働いたあとで飯を食ふ喜び」。この2行は同じことを言っているのだろうか? たぶん、そうだろう。力仕事をしたあとの飯は、たしかにうまい。ビールもうまい。 ◆ けれど、ワタシはこの2行の大きな違いである「頭の疲れたあとで」の有無が気になって、前者は頭を使う仕事、後者は体を使う仕事のことを言っているのかとも思った。 ◆ つらいことがあって、あれこれ思い悩むのに疲れて、思いっきり体を動かせば、くよくよせずにすむかと思って、力仕事をし始める。そんなこともあるだろう。だが用心した方がいい、効果があるのは最初のうちだけだ。仕事に慣れてしまえば、いくら肉体が疲労しようとも、頭の方はいっこうに疲れない。むしろ、さえてさえくる。全身で働いても、頭はあいかわらずあれこれ考え続ける。頭も体のうちだから、体が疲れさせれば、頭も疲れるはずという考えは浅はかだった。頭と体は基本的に別物なのだ。かつて、そう思い知ったことがあった。 |
◇ 「わかった」と彼は言った。 ◆ と書くと、もうそれだけで、小説のなかの文章なような気がしてしまうのが不思議だが、それはさておき、「わかった」と友人は言った。もろもろのこみいった状況をどのように説明すべきかについて、あれこれ考えたあげく、ままよとばかり、電話をかけ、結論から話し始めると、即座に「わかった」と友人は言った。こちらの事情を忖度してくれたからか、それともたんに無関心だったからか? いずれにせよ、ほっとして気が抜けた。 ◆ まあ、そのようなことはだれでも経験があるのではないかと思う。ふと「優しい無関心」というコトバが浮かんで、ついでに、「世界の優しい無関心」というコトバを思い出した。カミュの『異邦人』。 |
◇ かつて、私が少年のころには細い通路を挟んで、小規模の何軒もの魚屋や干物屋、乾物屋、雑貨屋がズラリと並ぶ“公設市場”があった。今ではセルフサービス方式のスーパーマーケットに移り変わって、公設市場は姿を消しつつあるが、私は韓国の市場を歩きながら、昔、母親に手を引かれて迷路のような通路を歩いた公設市場の想い出を甦らせていた。 ◆ 公設市場というコトバに懐かしさを覚えた。まだ「公設」などというコトバも漢字も知らなかったこどもにとって、駅前にあったその市場は、「コウセツイチバ」という意味をもたない音の連なりとしてのみ記憶されていた。つまりは「コウセツイチバ」を固有名詞だと思っていたのだ。市場内は薄暗く、すぐにも迷子になりそうで、こども心には、ちょっと恐ろしい場所だった。 ◇ 1938(昭和13)年には、安朱南屋敷町に京都市山科公設市場が設営され、食料品・薪炭・雑貨洋品などが販売されにぎわった。こうして駅前繁華街としての下地ができて、現在のラクトや三条商店街など山科駅前商店街の発展へとつながっている。 ◇ 1992年(平成4)12・31 山科区公設小売市場この日をもって廃止 ◇ その頃は駅前に大丸はなく、公設市場だったんですよねー。 ◆ もちろん、「コウセツイチバ」は固有名詞ではなくて、かつてはあちこちにあったのだった。 ◇ 42年、最多の55か所を数えた大阪市の市場も徐々に減り、80年代後半からスーパーへの衣替えも増えた。「役割を終えた」と市が制度を撤廃したのは2003年。他の政令市も傾向は同様で、「地域に根ざしているから」という名古屋や神戸で続くくらいだ。 ◆ いまでも、沖縄の公設市場(那覇市の牧志公設市場など)は活気があるらしいが、行ったことはない。ネットで「公設市場」を調べて、そんな気がしただけ。 ◆ 「公設」というコトバ自体が、いまではほとんど死語だろう。市立でも公立でもなくて、公設。微妙な意味の違いもあるのだろうけど、よくは知らない。 ◇ 2008年9月11日午前、自民党の杉村太蔵衆院議員(29)の公設秘書の男性(25)が、入院中の病院で死亡した。男性は08年8月28日、川崎市の自宅でドアノブにひもを引っかけて首をつっているのを家族に発見された。意識不明の重体で、入院して治療中だった。発見された状況から自殺を図ったと見られている。 ◆ あるいは、死語と書いたのが、いけなかっただろうか? |
♪ さみしさのつれづれに ♪ 雨上がりの朝 届いた短い手紙 ♪ これから淋しい秋です ♪ あなたからの エアメール ♪ 君の手紙読み終えて切手をみた ◆ むかしは、郵便というすてきな制度があって(いまでもあるけど)、手紙を書いて封をして切手を貼ってポストに投函する、そんな一連の作業のあいだに、考えがまとまったり、決心がついたり、気が楽になれたりしたものだ。うまく形にならない心のもやもやを手紙というひとつの形にすることで、ずいぶんと心がすっきりする。そんな効果が郵便という制度にはたしかにあった。何枚も書き損じた便箋を破っては捨て、わけがわからなくなって、気分だけは高まって、そのあげく、もうこれでいいやと推敲もせずに急いで封をして切手を貼って走ってポストに投げ入れる。あとは野となれ山となれ。それから、その手紙が相手に届くまでのあいだに流れるゆるやかな時間。やっぱりあんな手紙出さなかった方がよかったなという後悔やら、こういう風に書くべきだったかなという反省やら、うまく気持ちが伝わるだろうかという期待やら、もろもろの感情とたわむれながら、とりあえずは手紙を出せてよかったという達成感(それが自己満足であれ)にひとときは安堵する。そんな時間を思い出したくて手紙をあたらめて書いてみたい、と思ってみたりもするけれど、もう郵便にそんな力は残っていないだろう。 ◆ でも、たくさんの切手があまっているからなあ・・・。 |
◆ ほんの束の間だったけど、夢を与えてくれてどうもありがとう。わたしはそれだけでじゅうぶん幸せでした。 ◆ 楽しかった日々をなつかしく思い出しながら、そんなコトバをあなたに送る・・・ ◆ ・・・のはやめにしよう。9月25日、小泉純一郎元首相、引退を宣言。 |