◆ 昭和30年代、団塊の世代が中学校の国語教科書で読んだ詩の数々を編んだ『あの頃、あの詩を』(鹿島茂編,文春新書)という本をパラパラめくっていると、千家元麿(せんげもとまろ)という詩人の「飯」という詩が目についた。以下、全文。 君は知つてゐるか ◆ 前から2行目「全力で働いて頭の疲れたあとで飯を食ふ喜び」と後から2行目「全身で働いたあとで飯を食ふ喜び」。この2行は同じことを言っているのだろうか? たぶん、そうだろう。力仕事をしたあとの飯は、たしかにうまい。ビールもうまい。 ◆ けれど、ワタシはこの2行の大きな違いである「頭の疲れたあとで」の有無が気になって、前者は頭を使う仕事、後者は体を使う仕事のことを言っているのかとも思った。 ◆ つらいことがあって、あれこれ思い悩むのに疲れて、思いっきり体を動かせば、くよくよせずにすむかと思って、力仕事をし始める。そんなこともあるだろう。だが用心した方がいい、効果があるのは最初のうちだけだ。仕事に慣れてしまえば、いくら肉体が疲労しようとも、頭の方はいっこうに疲れない。むしろ、さえてさえくる。全身で働いても、頭はあいかわらずあれこれ考え続ける。頭も体のうちだから、体が疲れさせれば、頭も疲れるはずという考えは浅はかだった。頭と体は基本的に別物なのだ。かつて、そう思い知ったことがあった。 |
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