MEMORANDUM

  牛頭天王って誰?

ぎおんしんこう【祇園信仰】 牛頭天王(ごずてんのう)および素戔嗚尊(すさのおのみこと)に対する信仰。災厄や疫病をもたらす御霊(ごりよう)を慰め遷(うつ)して平安を祈願するもので、主として都市部で盛んに信仰された。祇園祭・天王(てんのう)祭・蘇民(そみん)祭などの名で各地で祭りが行われる。また、津島神社の津島祭も同系列の信仰とされる。
三省堂「大辞林」

◆ ちょっとまえに「祇園」のハナシを書いたとき(「狭山の祇園」「木更津の祇園」)、祇園信仰のことも多少調べてみたけど、辞書的記述を越える範囲のことはワタシには難しすぎて(複雑すぎて)よくわからないので、続きを書けずにほったらかしにしてある。ただ、なぜだか牛頭天王という神様が気になって仕方がない。

〔Wikipedia〕 明治維新の神仏分離によって、日本神話のスサノオを仏教信仰に組み込んだ牛頭天王は徹底的に弾圧された。天台宗の感神院祇園社は廃寺に追い込まれ、八坂神社に強制的に改組された。全国の牛頭天王を祀る祇園社、天王社は、スサノオを祭神とする神社として強制的に再編された。
ja.wikipedia.org/wiki/牛頭天王

◆ 牛頭天王のこともちょっと調べてみたが、これまたやっぱり、ワタシにはすんなりと理解できないので、ほったらかし。ただ、さいきん、たまたま立ち寄った神社の説明板にたまたま「牛頭天王」の名前を見かけると、なんだかウレシイ。なんにも知らないのに妙なものである。

〔川崎市多摩区菅・八雲神社〕 當社は鎌倉時代の創始と伝う。旧時は天王社と唱え、祇園牛頭天王を祭り、仙谷山寿福寺の末寺小谷山福泉寺(應永年間創立)の境内に〔以下、読みづらいので省略〕

〔大津市和邇中・天皇神社〕 天皇神社は、牛頭天王社と称し、天台宗寺院の鎮守社と伝えられる。祭神は素盞烏尋〔ママ〕を祀る。

〔京都市東山区・粟田神社〕 粟田神社は、旧粟田口村の産土神である。江戸時代までは感神院新宮、あるいは牛頭天王を祭ることから粟田天王社または粟田八大王子社と呼ばれていたが、現在は素盞嗚尊ほかを祭神とする。

〔千葉県夷隅郡大多喜町・夷隅神社〕 この神社の祭神は、天照大神の弟神である素戔鳴〔ママ〕尊です。〔中略〕 むかしから牛頭天王宮と称し、明治の初めに夷灊(いしみ)神社と改号して村社となり、明治十二年には社格が郷社になりました。

◆ スサノオの「嗚」が「鳴」になってたり、ミコトの「尊」が「尋」になってたり、説明板ひとつ書くのも楽じゃない。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈ですっかり姿を消してしまったという牛頭天王。復活する日は来るんだろうか。

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