MEMORANDUM
2008年08月


◆ どこか似ている。7月28日と2日後の30日に撮った写真。ハナムグリと酔っ払い。

◆ どこが似ているって、まず姿勢が似ているし、向きも同じ。

◆ それから、それぞれに付したコメントも似ているのだった。ハナムグリも酔っ払いも、「どこかへ行ってしまった」のだった。ハナムグリは自力で、酔っ払いは他力で。

◆ このような仰向きの姿勢を見ると、それがあまりにも無防備だからか、まず気になるのは、その生死だ。この虫は死んでいるのか? この人間は生きているのか? まあ、このハナムグリを見たときは、最初から脚をジタバタさせていたので、生きていることはわかっていたのだが、酔っ払いの場合は、微動だにしなかったので、遠目からは生きているのかどうかなんともいえないのだった。ふつう、こういう格好で車輌の座席に寝そべっているのは、酔っ払いだと思っているから、酔っ払いと書いたのだが、もしかしたら、酔っ払いではなかったかもしれない。急病人であったかもしれず、駅員も対応に困っただろうが、おそらくマニュアルがあるのだろう、終着駅に着いても降りようとする意思を見せなかったその乗客は、そのまま回送電車に乗せられて、どこかへ行ってしまった。その「どこか」は、まさか「あの世」ではないと思うけれども。

◆ ハナムグリは、仰向けのまま元の姿勢に戻れないのを、ワタシが見るに見かねて、ひっくり返そうと体に触れたとたん、ジタバタさせていた脚をピタっと静止させて、一瞬死んだふりをしたけれども、そのうち(お礼の意味だろうか、ワタシの腕によじ登ってきたりもしたあとで)、なにごともなかったかのように、どこかへ行ってしまった。

◆ 飽きもせずに、エスポワール(希望)という名のアパートを見つけるたびに写真を撮っている。ああ、こんなところにも希望があるのだなあ(あるのかなあ)、と思って撮っている。

◆ 希望の数にくらべると、幸福(ボヌール)の数はかなり少ない。理にかなっている気もする。いつだって、なにかを望むひとは多いけれど、その願いがかなうひとは、めっきり少なくなるだろうから。

◆ たまたま、希望のそばにある幸福を見つけた。ちょっと珍しい。さらにそのそばには星(エトワール)なんてのもあったが、まあ、これはどうでもいい。エスポワールやら、ボヌールやら、それらのアパートに住むひとたちは、おそらくそのコトバの意味さえ知らないだろうけれど、希望と幸福がこんなに近くにあるのなら、「希望という名のあなたをたずねて遠い国へとまた汽車にのる」(岸洋子)必要もない。手の届くところにひっそりと幸福は待っている。そんなことを考えていると、とつぜんの雨、大粒の雨。あっという間に、足元がずぶ濡れになる。靴のなかまでびしょびしょだ。ああ、なんという希望、なんという幸福!

◆ テレビドラマの主題歌で、ドラマの内容をすっかり忘れてしまい、さらにはドラマのタイトルまでわからなくなってしまったあとでも、妙に記憶に残っている曲がままあって、そのひとつが、『中卒・東大一直線 もう高校はいらない!』(1984年TBS)の主題歌、THE MODS の『バラッドをお前に』。

♪ お願いだ Baby
  そばにいて笑って
  その顔を見たくて 俺はボロボロになる

  (作詞:森山達也)

◆ ちょっとカッコいい。このリフレインが時々アタマのなかで鳴り始めることがあって気にはなっていたのだが、最近ネットで歌詞検索というようなこともできるようになっているのを知って、ようやく曲のタイトルやらドラマのタイトルやらが判明して(それでもこんなドラマを見た記憶はあいかわらずよみがえらない)、すこしすっきりした。ついでに、先のリフレインの直前の歌詞も見てみると、

♪ 知らぬ間に 手を汚したぜ
  お前の嫌いな 仕事をしてる
  この街を長く 離れることもある
  それがお前には たえきれないのか

◆ この部分はイマイチな感じ。「お前の嫌いな仕事」とはなんだろう? 「手を汚した」とか「この街を長く離れることもある」とか、まるで指名手配犯みたいだが、もしそうなら、歌詞の彼女じゃなくても、そんな仕事を好きにはならないだろうし、耐えきれないだろうから、よくわからない。まあ、なんらかのヤバイ仕事ということだろうか。答えのでない詮索はやめておこう。

◆ 歌詞の文脈から切り離せば、「お前の嫌いな仕事」というものはあれこれ個人的にはあることだろう。とりあえず現代の日本では、職業に貴賎はないということになってはいるけれど、個人の好き嫌いまで規制することはできない。

◆ ・・・とかなんとか、「嫌いな仕事」をめぐってあれこれ検索していたら、とある掲示板の《旦那がキライ》というスレッドに出くわしてしまった。

◇ 私も旦那が嫌いです。憎いです。毎日、死んでくれないかと願っています。

◆ とか、

◇ 私は以前自分を殺す事ばかり考えていましたが、最近、旦那が交通事故や会社の機械にでも挟まれて死んでくれれば…と考えるようになりました。

◆ とか、

◇ 私も旦那が嫌いです。というか、嫌いの域を越えて存在そのものを受け入れることが出来ません。

◆ ううん、なんなんだろう、これは? のんきにバラードを歌ってる場合じゃないぞ!

◆ 最近の写真日記は、虫の写真が多くて、少々食傷気味の方もおられるかと思う。どうかご勘弁を。

◆ 食傷といえば、セミを食する文化もあるらしいけれど、残念ながらワタシは食べたことがない。抜け殻なら比較的食べやすそうな気もするが、どうだろう、などと思っていたら、「漢方薬でもある「セミの抜け殻」でふりかけを作ってみた」ひとがいた。

◇ さっそくご飯にふりかけて食べた。…うまい。もう一度書くが、うまい。本当においしくて、ご飯が進むこと進むこと。ついつい二杯も食べてしまった! おかかでもゆかりでものりたまでもなく、セミの抜け殻。なんてオリジナルな味なんだろう!
news.ameba.jp/special/2006/08/594.html

◆ なんでも、近所のガキンチョに変人扱いされながら、抜け殻を48個も集めたそうだ。

◆ 『臨機応答・変問自在』 という新書を読んだ。作者の森博嗣(ひろし)という 「ミステリィ」作家はかつて国立大学工学部の「教官」であったそうだ。

◇ 大学の教官として授業を行うようになって既に二十年近くになる。最初の頃はとにかく勉強した。人に教えるためには自分の知識に自信を持たなければならない。計算方法にも判断にも、慣れていなければならない。言葉を知っているだけでは不足で、その実質を知っている必要があるからだ。学生よりもちょっと知っているくらいでは、どきどきしてしまうだろう。
森博嗣 『臨機応答・変問自在』(集英社新書,p.7-8)

◆ で、がむしゃらに勉強したことで、こんな感慨を抱くにいたる。

◇ しかし、こんなに勉強したら、教師は学生よりもどんどん賢くなってしまうではないか。これでは、学生はいつまでたっても先生には追いつけない道理になる。
Ibid., p.8

◆ ワタシは大学の教師でもなく、「とにかく勉強した」こともないが、似たようなことを感じることがままある。