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◆ メモ。《内田樹の研究室》のブログからの引用。フランスの格差社会について。 ◇ あまり言われることがないけれど、「システムについての知識」の多寡がフランスのような社会では階層格差の拡大に大きくかかわってくる。 ◇ これが「フランス的」ということだと私は思う。 |
◆ もうひとつ、《内田樹の研究室》 のブログからの引用。タイトルは 「どうして仏文科は消えてゆくのか?」。 ◇ かつては文学部の看板学科だった仏文科の廃止が続いている。 ◆ 神戸海星女子大の仏文といえば、そういえば、あのひとはいまごろどうしているだろう、というような、はるかむかしの個人的な思い出はさておき、そういえば、とまた別なことを思い出した。いつだったか、「フランス語は数を勘定できない言語」 だと発言した知事がいて、フランス語関係者が名誉毀損で法廷に訴えたことがあった。あの裁判の判決はどうなったのか? 気になって調べてみると、今月14日、「<石原都知事>仏語侮辱発言で賠償請求を棄却 東京地裁(毎日新聞) - Yahoo!ニュース」 という記事。 ◇ 石原慎太郎・東京都知事のフランス語侮辱発言で名誉を傷付けられたとして、フランス語の学校経営者や研究者、翻訳家ら91人が知事と都に計2120万円の賠償などを求めた訴訟で、東京地裁は14日、請求を棄却した。笠井勝彦裁判長は「関係者に不快感を与える配慮を欠いた発言だが、原告の名誉棄損には当たらない」と述べた。 ◆ 解体されつつある東京都立大のフランス文学教員のひとりが個人サイト《菅野賢治の研究室》にこう記している。 ◇ 2007年9月21日(金) 13:30~ ◆ この明らかな 「負け戦(いくさ)」 を誠実に戦っておられる方々に心からの賞賛を。 |
◆ フランス文学者というと、今年1月17日、阿部良雄、急性心筋梗塞で逝去。74歳。以下、松浦寿輝による弔辞の一部(《筑摩書房 PR誌ちくま 2007年3月号 追悼・阿部良雄 弔辞──阿部良雄先生を送る 松浦寿輝》)。 ◇ 一つ一つの言葉を、単に辞書に載っているその字面の意味が 「判る」 というだけではなく、その重さ、色合い、手触り、匂いまで含めて精密に、厳密に理解しないかぎり、何を判ったことにもならないのだということ。それはひどく手間のかかる困難な営みではあるが、小さな石を一つ一つ積み上げて塔を築いてゆくようなその労苦は必ず報われるのであり、小さな出っ張りに辛うじて指をかけてじりじりと体を引き上げてゆくような忍耐強い作業によって、人は或るとき、それまでより格段に広い地平を見渡すことができる場所に立っている自分に気づいて驚く瞬間を確実に体験しうるのだということ。そうした基本的な読みの労働をないがしろにして威勢のよい主張を繰り広げる批評だの、口当たりのよい通念をほどほどの水準でまとめるというだけに甘んじている研究だのは軽蔑すべきであること。それが阿部先生の教えでした。 |
◆ 夏には暑いと文句を言い、冬には寒いと文句を言う。そういうひとにはなりなくない、と思ってきたが、気がつけば、そういうひとになってしまっているような。異常気象のせいにしておけば、少しは気も楽になるが、やっぱり寄る年波のせいだろうな。あちこち体にガタがきている。 |
◆ 寄る年波には勝てず、すっかり老眼になってしまった。と思っていたら、 ◇ 三十九で老眼になり、それからずっと老眼鏡をかけている。しかし、これは直ってくるので、近ごろは眼鏡なしでも新聞ぐらいは読める。 ◆ そうなのか。直ってくるのか。年波というのも波の一種であるから、寄せては返すものなのだろう。寄せては返す年波に勝ったり負けたり。いまのところは負けていて、こんな短文を打つだけでも、目が疲れてしまうのだが・・・。 |
◆ 焦っている。毎年恒例のことだが、この時期になると、焦る。一年の帳尻をなんとか合わせようとして、あがく。年頭に漠然と考えていた、あれやこれやの目標やら予定やらを、いまごろ思い出しては、なんとかならぬものかと思案したりして、さらに時間が過ぎ、残すところあと3日。 ◆ いまは冬休み。といってもワタシがではない。生徒・学生が、である。小学校の冬休みに宿題というものがあったものかどうか、ずいぶん以前のことなので忘れてしまったが、夏休みには宿題があって、それをやり始めるのは、いつも8月の25日を過ぎてからだった。仕上がるのは、9月にはいってからだった。そのころは、それで帳尻が合っていたのだったが・・・。 ◆ もはや一年の帳尻は3日では合わないだろう。とりあえず、あと本を100冊くらい読んで、映画を50本くらい観て、海外旅行に3回くらい行けば、帳尻は合うのだが・・・。では、人生の帳尻は、80年生きるとして、5年くらいあれば十分だろうか? それとも、もう帳尻合わせのリミットを越えてしまっているのだろうか? そんなことを考えているひまがあったら、と内なる声が聞こえてくる。雨音も聞こえてくる。今年最後の仕事は、ああ雨か! こればかりは焦っても仕方がない。 |