MEMORANDUM
2007年12月


◆ メモ。《内田樹の研究室》のブログからの引用。フランスの格差社会について。

◇ あまり言われることがないけれど、「システムについての知識」の多寡がフランスのような社会では階層格差の拡大に大きくかかわってくる。
フランスは日本のように「かゆいところに手が届く」ような情報提供サービスはない。
システムの変更やシステムの利用法についてのアナウンスメントは必要最低限しか行われない。
だから、「システムについての知識」はフランスでは重要な文化資本である。
そして、その知識の差はそのまま階層格差に拡大される。

blog.tatsuru.com/archives/001913.php

◇ これが「フランス的」ということだと私は思う。
「システムについての知識」を持たない人間と持っている人間を同一システムに放り込んで、これは「平等な自由競争」であるというのである。
パリについたばかりのときに、「カルト・ミュゼ」という美術館の割引券を買うために11箇所の窓口をたらいまわしにされたという話をした。
そのとき私がもっとも驚いたのは、地下鉄公団の職員たちが、自分たちが販売している(はずの)割引券について、それがどこで売っているのかを言えなかったということである(正解は「それは発売中止になっているので、もうどこでも売っていない」だったのだが)。
システムの内部にいる人間でさえ、システムについての知識を欠いている。
そして、そのことを知らなかった(あるいは知りたくないと思っていた)。
たいへん失礼ではあったが、「彼らは一生この窓口勤務から出られないだろう」と私は思った。
フランスに少しいると、ここでは「自分の属しているシステムの構造や機能がわかっている人間」と「わかっていない(けど、そのことに気づいていないあるいは気づきたくない)人間」の間に超えがたい階層差があることがわかる。
そのようにして階層差は「システムについての知」という文化資本差を経由して、拡大再生産されている。
彼らをその階層に縛り付けているのは「システムについての無知」なのであるが、「自分は無知である」という事実を認めることを耐え難い屈辱だと思っている人間はおのれの無知から構造的に逃れることができない。

Ibid.

◆ もうひとつ、《内田樹の研究室》 のブログからの引用。タイトルは 「どうして仏文科は消えてゆくのか?」。

◇ かつては文学部の看板学科だった仏文科の廃止が続いている。
神戸海星女子大に続いて、甲南女子大も仏文科がなくなる。
東大の仏文も定員割れが常態化している。

blog.tatsuru.com/2006/12/01_1257.php

◆ 神戸海星女子大の仏文といえば、そういえば、あのひとはいまごろどうしているだろう、というような、はるかむかしの個人的な思い出はさておき、そういえば、とまた別なことを思い出した。いつだったか、「フランス語は数を勘定できない言語」 だと発言した知事がいて、フランス語関係者が名誉毀損で法廷に訴えたことがあった。あの裁判の判決はどうなったのか? 気になって調べてみると、今月14日、「<石原都知事>仏語侮辱発言で賠償請求を棄却 東京地裁(毎日新聞) - Yahoo!ニュース」 という記事。

◇  石原慎太郎・東京都知事のフランス語侮辱発言で名誉を傷付けられたとして、フランス語の学校経営者や研究者、翻訳家ら91人が知事と都に計2120万円の賠償などを求めた訴訟で、東京地裁は14日、請求を棄却した。笠井勝彦裁判長は「関係者に不快感を与える配慮を欠いた発言だが、原告の名誉棄損には当たらない」と述べた。
 石原知事は04年10月、都立大などを再編した首都大学東京の支援組織設立総会で「フランス語は数を勘定できず国際語として失格」と発言した。都立大のフランス文学教員らが再編に反対したことが背景にあった。

headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071214-00000127-mai-soci

◆ 解体されつつある東京都立大のフランス文学教員のひとりが個人サイト《菅野賢治の研究室》にこう記している。

2007年9月21日(金) 13:30~
 石原都知事フランス語訴訟 原告本人尋問
 霞ヶ関 東京地方裁判所 第627号法廷

○第二次訴訟ならびに東京都に対する国賠訴訟の原告として、勤務先の東京都立大学にはきちんと「欠勤届」を出した上で、原告本人尋問のために出廷しました。
以前にもここに書いたとおり、私は、この訴訟への参加を、ある学術の場で現実に起こった出来事を司法という公の場に知らしめ、公文書として歴史に残すという意味において、一個の歴とした「学術活動」とみなしている。「フランス語は国際的に失格しており、東京都の大学においてフランス語の需要はもはや存在しない」という都知事の公的発言は、純粋なる虚偽であり、そんなものを日本の首都の教育行政史の一ページとしてそのまま放置するわけには絶対にいきません、ということ。
その上で、もう一度、確認しておきましょう。マリック・ベルカンヌ氏が東京で経営を続ける民間学校の長として、明治大の小畑先生が同僚の先生方をまとめあげて、私が東京都立大学(旧制度)の仏文専攻を代表するような形でして、そして、ほかの原告、賛同者の方々が個人の資格で抗議活動を続けてきましたが、東京で(あるいは東京を首都とする、この日本という国で)フランス語に深く携わっている他の機関、組織、団体から、公の場での意思表示はいっさいなされなかったということ。私は、そのことの意味をしっかりと心に刻んで、これからの余生を過ごしていこうと思うわけであります。〔下線は引用者〕

www17.plala.or.jp/kenjikanno/katsudou.html

◆ この明らかな 「負け戦(いくさ)」 を誠実に戦っておられる方々に心からの賞賛を。

◆ フランス文学者というと、今年1月17日、阿部良雄、急性心筋梗塞で逝去。74歳。以下、松浦寿輝による弔辞の一部(《筑摩書房 PR誌ちくま 2007年3月号 追悼・阿部良雄 弔辞──阿部良雄先生を送る 松浦寿輝》)。

◇ 一つ一つの言葉を、単に辞書に載っているその字面の意味が 「判る」 というだけではなく、その重さ、色合い、手触り、匂いまで含めて精密に、厳密に理解しないかぎり、何を判ったことにもならないのだということ。それはひどく手間のかかる困難な営みではあるが、小さな石を一つ一つ積み上げて塔を築いてゆくようなその労苦は必ず報われるのであり、小さな出っ張りに辛うじて指をかけてじりじりと体を引き上げてゆくような忍耐強い作業によって、人は或るとき、それまでより格段に広い地平を見渡すことができる場所に立っている自分に気づいて驚く瞬間を確実に体験しうるのだということ。そうした基本的な読みの労働をないがしろにして威勢のよい主張を繰り広げる批評だの、口当たりのよい通念をほどほどの水準でまとめるというだけに甘んじている研究だのは軽蔑すべきであること。それが阿部先生の教えでした。
www.chikumashobo.co.jp/pr_chikuma/0703/070301.jsp

◆ 夏には暑いと文句を言い、冬には寒いと文句を言う。そういうひとにはなりなくない、と思ってきたが、気がつけば、そういうひとになってしまっているような。異常気象のせいにしておけば、少しは気も楽になるが、やっぱり寄る年波のせいだろうな。あちこち体にガタがきている。

◆ 寄る年波には勝てず、すっかり老眼になってしまった。と思っていたら、

◇ 三十九で老眼になり、それからずっと老眼鏡をかけている。しかし、これは直ってくるので、近ごろは眼鏡なしでも新聞ぐらいは読める。
小林信彦 「本音を申せば」 『週刊文春』 (2008年1月3日・10日新年特大号)

◆ そうなのか。直ってくるのか。年波というのも波の一種であるから、寄せては返すものなのだろう。寄せては返す年波に勝ったり負けたり。いまのところは負けていて、こんな短文を打つだけでも、目が疲れてしまうのだが・・・。

◆ 焦っている。毎年恒例のことだが、この時期になると、焦る。一年の帳尻をなんとか合わせようとして、あがく。年頭に漠然と考えていた、あれやこれやの目標やら予定やらを、いまごろ思い出しては、なんとかならぬものかと思案したりして、さらに時間が過ぎ、残すところあと3日。

◆ いまは冬休み。といってもワタシがではない。生徒・学生が、である。小学校の冬休みに宿題というものがあったものかどうか、ずいぶん以前のことなので忘れてしまったが、夏休みには宿題があって、それをやり始めるのは、いつも8月の25日を過ぎてからだった。仕上がるのは、9月にはいってからだった。そのころは、それで帳尻が合っていたのだったが・・・。

◆ もはや一年の帳尻は3日では合わないだろう。とりあえず、あと本を100冊くらい読んで、映画を50本くらい観て、海外旅行に3回くらい行けば、帳尻は合うのだが・・・。では、人生の帳尻は、80年生きるとして、5年くらいあれば十分だろうか? それとも、もう帳尻合わせのリミットを越えてしまっているのだろうか? そんなことを考えているひまがあったら、と内なる声が聞こえてくる。雨音も聞こえてくる。今年最後の仕事は、ああ雨か! こればかりは焦っても仕方がない。