MEMORANDUM

  システムについての知

◆ メモ。《内田樹の研究室》のブログからの引用。フランスの格差社会について。

◇ あまり言われることがないけれど、「システムについての知識」の多寡がフランスのような社会では階層格差の拡大に大きくかかわってくる。
フランスは日本のように「かゆいところに手が届く」ような情報提供サービスはない。
システムの変更やシステムの利用法についてのアナウンスメントは必要最低限しか行われない。
だから、「システムについての知識」はフランスでは重要な文化資本である。
そして、その知識の差はそのまま階層格差に拡大される。

blog.tatsuru.com/archives/001913.php

◇ これが「フランス的」ということだと私は思う。
「システムについての知識」を持たない人間と持っている人間を同一システムに放り込んで、これは「平等な自由競争」であるというのである。
パリについたばかりのときに、「カルト・ミュゼ」という美術館の割引券を買うために11箇所の窓口をたらいまわしにされたという話をした。
そのとき私がもっとも驚いたのは、地下鉄公団の職員たちが、自分たちが販売している(はずの)割引券について、それがどこで売っているのかを言えなかったということである(正解は「それは発売中止になっているので、もうどこでも売っていない」だったのだが)。
システムの内部にいる人間でさえ、システムについての知識を欠いている。
そして、そのことを知らなかった(あるいは知りたくないと思っていた)。
たいへん失礼ではあったが、「彼らは一生この窓口勤務から出られないだろう」と私は思った。
フランスに少しいると、ここでは「自分の属しているシステムの構造や機能がわかっている人間」と「わかっていない(けど、そのことに気づいていないあるいは気づきたくない)人間」の間に超えがたい階層差があることがわかる。
そのようにして階層差は「システムについての知」という文化資本差を経由して、拡大再生産されている。
彼らをその階層に縛り付けているのは「システムについての無知」なのであるが、「自分は無知である」という事実を認めることを耐え難い屈辱だと思っている人間はおのれの無知から構造的に逃れることができない。

Ibid.

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