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◆ ついさっき、たまたま、こんなニュースを目にした。ニュースといっても、半年近くも前のニュースだ。ネット上での情報は、日付を確認してからそれを読むわけではないから、どうも時系列が(というよりワタシのアタマが)混乱する。 ◇ 〔MSN産経ニュース(2011.4.21 18:40)〕 東日本大震災が発生した翌日の3月12日から標準時刻の送信を停止していた「おおたかどや山標準電波送信所」が4月21日午後1時54分、約40日ぶりに送信を再開した。同送信所は西日本をカバーする佐賀・福岡県境の「はがね山標準電波送信所」と並び、東日本一帯をカバーしているが、送信停止以来、北関東以北では電波時計で正確な時刻を調整できない利用者から苦情が相次いでいた。
◆ 残念ながら、最後まで読んでも回答は得られなかったので、またべつな記事を探すと、 ◇ 〔ITpro(2011/03/13 斉藤栄太郎)〕 情報通信研究機構(NICT)は2011年3月12日、福島県にある日本の標準時刻を伝えるための施設「おおたかどや山標準電波送信所」において、電波の送出を停止したことを明らかにした。福島原発に伴う避難指示に従い、3月12日19時46分に停波を実施したという。13日11時45分現在、復旧の見込みは「未定」となっている。同送信所は、福島県田村市と同双葉郡川内村境界付近の大鷹鳥谷山の山頂付近にある。 ◆ とあって、ようやく満足する。おお、あった、あった。「大鷹鳥谷山」(ついでに「羽金山」)だったか。 ◆ ついでながら、「福島県田村市と同双葉郡川内村」と「佐賀県佐賀市富士町と福岡県糸島市」という自治体名もみな知ららなかったので、調べてみていい勉強になった。いや、佐賀市だけは知っていたが、この微妙な書き方から、もしかすると、佐賀市富士町は「さがいちふじちょう」であったりはしないか、と思いもして、これも調べてみると、2005年、合併して佐賀市になる以前は、佐賀郡富士町だった。地元の意識としては、「郡」が「市」に一文字変わっただけ、という感覚ではないかと、想像したりもした。 ◆ ハナシを「大鷹鳥谷山」にもどして、こりゃ、漢字で書かれても読めないなあ。といって、この記事を書いた記者は、読者が読めないことを危惧して、親切心で、「大鷹鳥谷山」を「おおたかどや山」(ついでに「羽金山」を「はがね山」)とひらがなで書いたわけではない。もともとの施設名がひらがななので、そのままそう書いただけだ。そうすると、こんどは逆に、最初のMSN産経ニュースの記事は、親切どころかはなはだ不親切であるように思えてくる。それに対して、あとのITproの斉藤栄太郎さんが書いたものは、ワタシにとってはとても親切な記事だった。 ◆ そもそも、「おおたかどや山標準電波送信所」(ついでに「はがね山標準電波送信所」)と名づけた情報通信研究機構(NICT)は、親切なのか、不親切なのか。 ◆ では、もともとの施設名が漢字で「大鷹鳥谷山標準電波送信所」(ついでに「羽金山標準電波送信所」)だった場合には、どうなるか。おそらくどの記者も「大鷹鳥谷(おおたかどや)山標準電波送信所」(あるいは「大鷹鳥谷山(おおたかどややま)標準電波送信所」か)というふうに漢字の読みをひらがなで添えるのでないか(ついでに「羽金山標準電波送信所」の場合は、ひらがなを添えるまでもないと判断して、省略する記者も多いだろう)。 ◆ 1985年の「御巣鷹山」は、どうだったろうか。 ◆ ところで、「大鷹鳥谷山」は、山名としては「山」がつかないのが正式なようだ。 |
◆ たまたまネット上で見つけた文章を読んで、不意に、思わずほろりとしてしまった、その著者であるあなたに心からの感謝を。 ◆ その理由がワタシにもよくわからないのだが、ネットであれこれ検索していたら、フランスのとある大学の博士論文に出くわして、ぺらぺらとPDFのページをめくっていたら(めくるもなにも最初のページにあるのだが)、論文にはつきものの「謝辞(Acknowledgements)」があって、それを何の気なしに読み始めてしばらくしたら、涙が出てきた。疲れのせいだろうか。 ◇ My special thanks go to my colleagues in the laboratory. It was a pleasure sharing all these years with you. In particular, I will never forget Ferdinand’s and Julien’s advices and french grammatical lessons as well as Patrice’s good humor and endless jokes. ◆ 読みなおしても、やっぱりほろりとする。簡潔な、これ以上は簡潔にしようがないほど簡潔な文章のせいだろうか? たえとば、「Patrice の気のきいたユーモアとたえまないジョーク」。また、たとえば、論文執筆を「この長くて険しい、けれどステキな旅」(amzing がうまく訳せない)にたとえたところ。 ◆ この論文の著者は、名字はドイツ系で、名は Mariana。国籍はわからないが、Juan と Josep という名前と考えあわせると、スペイン語圏だろうか? ◆ Juan and Josep も簡潔すぎて、どういう関係なのかはよくわからないが、こどもだろうか? 家族には、「Mom, Dad and sister Laura」とあって、夫が出てこないから、シングルマザーだろうか? と、どうでもいいことまで想像してしまうが、おそらく、この謝辞のなかでいちばんほろりとしたのは、この Juan と Josep にたいするつぎのくだりで、 ◇ Your company and patience during the most difficult moments kept me sane. ◆ これも簡潔すぎて訳すのが難しいが、「あなたたちが、文句ひとつ言わずに、いっしょにいてくれたおかげで、このもっとも困難な期間を、わたしはなんとか乗り越えることができたのでした」。直訳っぽくすれば「わたしは正気を保てたのでした」。じっさいのところ、論文を書くというのは、気も狂わんばかりの精神の集中と努力を長きにわたって必要とする作業なのだろう。 ◆ さいごに、「Last but not least, to my dear friends: Paula, Alex, Javi and Gaby」というくだりがあって、この「last but not least」を(ネット)辞書で引くと、 ◇ 最後に述べるが決して軽んずべきでない(もの[こと]として). ◆ いやはや、「陳腐な決まり文句」とは。いや、これは辞書を引かなきゃよかったな。というより引く辞書を間違えたか。(この「陳腐な決まり文句」という言い方にしたって、おそらくは、英語の辞書かなんかに、cliche とでも書いてあって、それを「陳腐な決まり文句」という、それこそ「陳腐な」決まり文句で訳しただけのことだろう。) ◇ 最後に述べるが決して軽んずべきでない(もの[こと]であるが), 大事なことをひとつ言い残したが 《★Shakespeare 「ジュリアスシーザー」から》. ◆ シェークスピアだったか。『リア王』にも、出てくるようだ。 ◆ このホームページも、じっさいのところ、いろいろなひとに支えられてできている。いつか閉じる日がきたら、あらためて謝辞を書きたいと思う。さしあたって、だれにあてるともなく、陳腐な決まり文句で、このページを閉じる。ありがとう。 |