MEMORANDUM
2011年07月


◆ 神保町の古本屋の店先に、無造作に積み上げられた古雑誌。右に相撲雑誌、左にプロレス雑誌。手に取るわけでもなく、ただ写真を1枚。ウチに帰って、パソコンでじっくり見てみると、おおなつかしい。輪島がいる(「大相撲」1977年12月号)。北の湖がいる(「大相撲」1982年10月号)。千代の富士もいる(「相撲」1982年7月号)。それから、魁傑も(「大相撲」1975年1月号)。同世代のひとのホームページにこんな文章。

◇ 千秋楽の新聞の星取り表を切り抜いて保管していたほど、中学生時代は相撲にはまっていた。その1970年代後半に絶望的な強さを誇っていたのが横綱北の湖であった。ライバルの横綱輪島のファン(左利きの私は輪島の「黄金の左」にいたく惹かれていたのだ。)であった私にとって、最強横綱は千代の富士でも二代目貴乃花でも朝青龍でもなくまちがいなく北の湖なのである。
www45.tok2.com/home/todo94/trip/trip2007/flight2007hokkaido.htm

◆ そうだった。ワタシも輪島が好きだった。理由も同じで、「左利きの私は輪島の『黄金の左』にいたく惹かれていたのだ」った。黄金の左。

〔Wikipedia:輪島大士〕 右手の引きが強いこともあって左の下手投げを得意とし、トレードマークの金色の廻しとかけて「黄金の左」と言われ一世を風靡した。
ja.wikipedia.org/wiki/輪島大士

◆ ああ、そうだったのか。「黄金の左」という表現はかれの黄金色の廻しとかけていたのだったか。ほんとうだろうか?

◇ 輪島がまだ緑マワシの頃の輪島-貴ノ花も見応え充分だった。
sports.2ch.net/sumou/1052991048/

◆ こんな一文はつい引用したくなる。「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃」ではなくて、「輪島がまだ緑廻しだった頃」、「黄金の左」という表現はまだなかったのだろうか? そのころは「緑の左」だったのか?

◆ ついでに、プロレス雑誌も見てみると、「週刊ゴング」1986年5月1日号の表紙、なんとびっくり、ここにも輪島がいた。「輪島、電撃的な全日プロ入り デビューは10月25日国技館か!」。ジャイアント馬場馬場とがっちり握手をする輪島。右手で。次も輪島ファンだったひとの文章。

◇ 私は幼稚園ぐらいからの大相撲ファンです。大受関、大潮関、富士櫻関、輪島関、千代の富士関、曙関、そして、朝青龍関が好きな力士歴です。なかでも、輪島関は大大大好きで、握手会にも行ったことがあります。輪島関は「黄金の左」といわれ、左手が相手のまわしを掴んだら、敵無し状態でした。つまり、輪島関は左利きでした。当然、輪島関は(握手をする手)左手を出してきます。だから、私たち握手してもらう側も左手を出さないと握手できません。それなのに、私は自分が右利きなので何も気にせず、右手を出すと、輪島関は怪訝そうに?していました。頭を撫でてくれたのは覚えていますが、結局どっちの手で握手をしたのかは記憶が定かでありません。
blog.livedoor.jp/hirosharosi/archives/2008-01.html

◆ 輪島はてっきり左利きだと思っていたのだが、右利きだというひともいる。

◇ ちなみに、元横綱の輪島は左下手投げが得意技でした。背も大きいし、左利きでもないはずですが、輪島は右腕で相手を手繰り寄せるのが得意で、左からの投げが効果的だったのです。
oshiete.goo.ne.jp/qa/5585424.html

◆ やっぱり、左利きだというひともいる。

◇ 横綱の輪島と大関の貴ノ花の一番で、立会いで2人とも差し手を出しますが、輪島は左利きですので手と手がぶつかったことがあります。そのとき輪島の中指と薬指の間が裂けて何十針も縫うような怪我をしてしまいました。
soudan1.biglobe.ne.jp/qa6481119.html

◆ 左利きか右利きかで論争してるひとたちもいる。

〔2ch〕 104 : つうか、黄金の左腕を持っていた輪島なんかも左利きじゃないのか?
105 : 輪島は右利きだろ。利き腕じゃないほうの腕のほうが力だけは強いっていうのもあるし。器用さはないにしても。
109 : 輪島は左利き、だって左で手刀切ってたもん(笑)
112 : えっ?輪島って左利きなの?
113 : 左利き有名人リストに載ってないじゃねえかよ。大鵬も朝青龍も双葉山も載ってるのに輪島だけ載ってない。ゆえに輪島は左利きじゃない可能性のほうが強いだろ。

sports.2ch.net/sumou/1052991048/

◆ 結局、よくわからない。

◆ 最初に「無造作に積み上げられた古雑誌」と書いたが、もしかすると、無造作に積んだかのように見せかけながら、ほんとうは、店主が練りに練って積み上げたものかもしれない。どこかの阿呆が、この絶妙の並べ方にヒントを得て、ブログにつまらない記事を書いたりするのではないかと期待して。そんなことも、もしかしてあったりはしないか?

◆ 元大関魁傑の放駒親方が日本相撲協会理事長に就任したのがほぼ1年前。魁傑の現役時代の印象を天声人語子がこう記している。

〔天声人語:2010年8月14日〕 現役時代の魁傑は、まず見た目が際立っていた。浅黒く、足が長い。口を少しとがらせて仕切る姿は、アシカのような海獣を思わせたものだ。柔道の出らしく足技も得意。今ならアスリートと呼ばれそうな運動能力、誠実な土俵態度で女性に人気があった。
www.asahi.com/paper/column20100814.html

◆ もしかして、つぎのようなコトが脳裏を過ぎりはしなかったか?

◇ 子供のころ「魁傑」という大関がいて、お尻がかゆいとき「かいけつ かいけつ」とか言って、お尻をかいてましたよ(^_^;)
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1027929000

◇ 魁傑が当時の子供に人気だったのは、ガチンコの取組ではなく、その四股名に理由があった。お尻を掻きながら、彼の四股名を叫ぶ一発芸。少年時代の淡い想い出である。
twitter.com/#!/shimanamiryo/statuses/33501764976123904

◇ 最近ニュースで放駒親方をよく見る。。。ワシらが子供の頃の人気大関 『魁傑』や!ワシらと同世代の方々は、お尻かきながら 『あぁ、かいけつ!』って、一度は言うたコトあると思う・・・大相撲協会が大変な時に・・・すんません・・・
twitter.com/#!/ganso_okamoto/status/34514724326477824

◇ 高校生の頃、「魁傑ぅ~」と言って、お尻を掻いたらウケタことを思い出した。
twitter.com/#!/masa_kawabata/status/34524959845916672

◇ 子供の頃、父が応援していたのを思い出しました。そして「魁傑」を「かいいけつ(痒いお尻ですね)」と言って笑っていた私の姿も思い出しました・・・。
blogs.yahoo.co.jp/jh4rgh557/19589053.html


◇ 魁傑、私はよ-く覚えてますよん。お尻がかゆい時に「あぁ~かいけつ!」って言ってませんでしたか^^;
s.webry.info/sp/2222picnic.at.webry.info/201104/article_5.html

〔発言小町〕 「お尻に何かついてるよ。」と言って、相手が自分の尻を見た瞬間、「見た肛門!」(水戸黄門)と言います。しばらくしてまた「お尻に、、」と同じことを聞きます。すると相手はその手はもう食わん、とばかりに手を使って自分のお尻を触って確認します。そこですかさず、「カイケツ!」(昔、魁傑という有名な関取がいた。)といってやります。これひっかかると、ほんと腹立ちます。
komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/1019/356897.htm?o=0&p=2

◆ 「魁傑」というコトバの意味などツユ知らず、ただただその「ケツ」という音だけに反応して、無邪気に盛り上がることのできた子どものころがなつかしいといえばなつかしい。

「Luminance HDR」というフリーの画像処理ソフトを使ってみた。なかなかおもしろい。

◆ 7年前の PHOTODIARY の編集をしていた。2003年9月15日、この日は引越の仕事で甲府へ行った(ようだ)。仕事が早く終わり、そのあと温泉で汗を流し、ついでに4トントラックで昇仙峡見物。なんとも楽しい1日だった(ようだ)。

◆ 中央道下り釈迦堂パーキングエリアの所在地は、現在は山梨県笛吹市一宮町千米寺(せんべいじ)であるが、笛吹市ができたのは2004年10月12日で、当時は東八代郡一宮町千米寺だった。ちなみに、このカワイイ彫刻はなにかというと、周辺の釈迦堂遺跡から発掘された埴輪だか土偶だかを模したもの。

◆ 中央線上野原駅の所在地は、現在は山梨県上野原市新田であるが、上野原市が誕生したのは2005年2月13日のことで、2003年には北都留郡上野原町新田だった。

◆ というようないくぶん面倒な作業――といって、だれに強制されたわけでもないので、結局のところイヤではないのだろう――をしていると、ちょっと奇妙な感じがしてくる。夏休みもほとんど終わるころになってから始める宿題の絵日記のようなものだろうか。「明日から海に行きます。晴れるといいな」などと、夏の終わりに書くのはまったくしらじらしいことではあるが、その作業がつまらないかというと、かなり微妙なところがある。

◆ 1492年、コロンブスの船が近づいてくるのをアメリカ大陸から見ていたインディアンたちは、口々にこう叫んだそうだ、「ああ、ついに我々は発見された!」。

◆ コロンブスといえば、先だって刑事コロンボが死んだ。そういえば、スリランカの旧首都もコロンボだ。なぜだろう? コロンボは鳩。