◆ 神保町の古本屋の店先に、無造作に積み上げられた古雑誌。右に相撲雑誌、左にプロレス雑誌。手に取るわけでもなく、ただ写真を1枚。ウチに帰って、パソコンでじっくり見てみると、おおなつかしい。輪島がいる(「大相撲」1977年12月号)。北の湖がいる(「大相撲」1982年10月号)。千代の富士もいる(「相撲」1982年7月号)。それから、魁傑も(「大相撲」1975年1月号)。同世代のひとのホームページにこんな文章。 ◇ 千秋楽の新聞の星取り表を切り抜いて保管していたほど、中学生時代は相撲にはまっていた。その1970年代後半に絶望的な強さを誇っていたのが横綱北の湖であった。ライバルの横綱輪島のファン(左利きの私は輪島の「黄金の左」にいたく惹かれていたのだ。)であった私にとって、最強横綱は千代の富士でも二代目貴乃花でも朝青龍でもなくまちがいなく北の湖なのである。 ◆ そうだった。ワタシも輪島が好きだった。理由も同じで、「左利きの私は輪島の『黄金の左』にいたく惹かれていたのだ」った。黄金の左。 ◇ 〔Wikipedia:輪島大士〕 右手の引きが強いこともあって左の下手投げを得意とし、トレードマークの金色の廻しとかけて「黄金の左」と言われ一世を風靡した。 ◆ ああ、そうだったのか。「黄金の左」という表現はかれの黄金色の廻しとかけていたのだったか。ほんとうだろうか? ◇ 輪島がまだ緑マワシの頃の輪島-貴ノ花も見応え充分だった。 ◆ こんな一文はつい引用したくなる。「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃」ではなくて、「輪島がまだ緑廻しだった頃」、「黄金の左」という表現はまだなかったのだろうか? そのころは「緑の左」だったのか? ◆ ついでに、プロレス雑誌も見てみると、「週刊ゴング」1986年5月1日号の表紙、なんとびっくり、ここにも輪島がいた。「輪島、電撃的な全日プロ入り デビューは10月25日国技館か!」。ジャイアント馬場馬場とがっちり握手をする輪島。右手で。次も輪島ファンだったひとの文章。 ◇ 私は幼稚園ぐらいからの大相撲ファンです。大受関、大潮関、富士櫻関、輪島関、千代の富士関、曙関、そして、朝青龍関が好きな力士歴です。なかでも、輪島関は大大大好きで、握手会にも行ったことがあります。輪島関は「黄金の左」といわれ、左手が相手のまわしを掴んだら、敵無し状態でした。つまり、輪島関は左利きでした。当然、輪島関は(握手をする手)左手を出してきます。だから、私たち握手してもらう側も左手を出さないと握手できません。それなのに、私は自分が右利きなので何も気にせず、右手を出すと、輪島関は怪訝そうに?していました。頭を撫でてくれたのは覚えていますが、結局どっちの手で握手をしたのかは記憶が定かでありません。 ◆ 輪島はてっきり左利きだと思っていたのだが、右利きだというひともいる。 ◇ ちなみに、元横綱の輪島は左下手投げが得意技でした。背も大きいし、左利きでもないはずですが、輪島は右腕で相手を手繰り寄せるのが得意で、左からの投げが効果的だったのです。 ◆ やっぱり、左利きだというひともいる。 ◇ 横綱の輪島と大関の貴ノ花の一番で、立会いで2人とも差し手を出しますが、輪島は左利きですので手と手がぶつかったことがあります。そのとき輪島の中指と薬指の間が裂けて何十針も縫うような怪我をしてしまいました。 ◆ 左利きか右利きかで論争してるひとたちもいる。 ◇ 〔2ch〕 104 : つうか、黄金の左腕を持っていた輪島なんかも左利きじゃないのか? ◆ 結局、よくわからない。 ◆ 最初に「無造作に積み上げられた古雑誌」と書いたが、もしかすると、無造作に積んだかのように見せかけながら、ほんとうは、店主が練りに練って積み上げたものかもしれない。どこかの阿呆が、この絶妙の並べ方にヒントを得て、ブログにつまらない記事を書いたりするのではないかと期待して。そんなことも、もしかしてあったりはしないか? |
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