◆ ニュースの見出しに、「一丁目一番地が三丁目の夕日に…」とあるのを見て、なんのことかと読んでみた。 ◇ 〔MSN産経ニュース(2010/09/25)〕 鳩山由紀夫前首相は25日、京都市内の同志社大学で講演し、自らが首相在任時に進めてきた「地域主権」「新しい公共」という一連の政策の優先順位が、菅政権で落ちているとして菅直人首相を批判した。 ◆ 読んでもよくわからない。わからないのは「二丁目とか三丁目の夕日」の「の夕日」の部分で、これに意味があるのかどうか? あるような、ないような。朝日でなく夕日ということで、「すぐに消えてなくなる」というニュアンスが多少は含まれているような気もするが、どうなのだろう。というようなことを書くと、オマエは「三丁目の夕日」も知らないのか、と言われそうだが、同名の漫画を読み映画を観たからといって、この発言にたいする理解が深まるとも思えない。そもそも「一丁目一番地」ってなんなんだ? 「三丁目三番地」よりもエライのか? だって一丁目がなきゃ二丁目も三丁目もありえないんだから、という声もすぐに聞こえてきてきそうだが、なるほどおっしゃる通り、とただうなずくのもしゃくなので、いや、そんなことはないよ、たとえば、 ◆ 神田多町(かんだたちょう)と神田司町(かんだつかさまち)に、二丁目はあるが、一丁目はない(三丁目はもともとない)。 ◇ 〔Wikipedia〕 また、神田多町と神田司町に(二丁目が存在するにもかかわらず)一丁目が存在しないのは、住居表示実施に伴う町名変更により一丁目のみ消滅したからである。 ◆ 新聞が鳩山前首相の「一丁目一番地が三丁目の夕日に」という発言を、もっと削って「一丁目が三丁目に」にするのではなくて、そのまま見出しにしたのはどうしてだろう。洒落た表現だと思ったからだろうか(駄洒落ではあるが)。そもそも鳩山前首相はなぜ「一丁目一番地が三丁目の夕日に」と言ったのだろうか。あらかじめ作文してあったのか、とっさに口をついて出たものか。「江戸っ子」だから、意外に「無駄口(付け足し言葉)」が好きなのかも。 ◆ 「三丁目」と言うときには、つい「の夕日」と付け足してしまう、いや、「三丁目の夕日」と言わなければどうしても落ち着かない。「夕日」と言うときには、もちろん「のガンマン」と付け加えたくなる。しかし、そこまでやるのは野暮だろうから、ここはガマンして、と。そんなことを考えながら講演していたのかも、と想像することは楽しいが、まあ、そういうことはないだろうな。 |
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