◆ 森鴎外『妄想』から、三度目の引用。 ◇ 自分は錫蘭(セイロン)で、赤い格子縞の布を、頭と腰とに巻き附けた男に、美しい、青い翼の鳥を買はせられた。籠を提(さ)げて舟に帰ると、フランス舟の乗組貝〔ママ〕が妙な手附きをして、「Il ne vivra pas !」と云つた。美しい、青い鳥は、果して舟の横浜に着くまでに死んでしまつた。それも果敢(はか)ない土産であつた。 ◆ ドイツからの帰途、セイロン(スリランカ)で、現地人に青い鳥を押し売りされた森鴎外。そういえば、ちょとまえに読んだ「馬面」の成島柳北の『航西日乗』にもこんな記述。これもセイロン(錫狼)。 ◇ 唯(た)だ土人狡猾(こうかつ)無恥、人に迫て物を売り、囂々(ごうごう)蚊蜹(ぶんぜい)の如くなるは極めて厭(いと)ふ可し。土産数種を買ひ、黄昏(こうこん)舟中に還る。 ◆ 外国人観光客に「蚊蜹」(カやブヨ)みたいにブンブンとまとわりついて、押し売りまがいにしつこく土産物を売りつけるのは、なにもスリランカにかぎったことではないが、鴎外も柳北もけっきょくなにかしら買わされてしまっているのが、おかしい。柳北がマルセイユ行きのフランス船でセイロンのゴールに立ち寄ったのは、1872(明治5)年。マルセイユからフランス船に乗った鴎外がセイロンに立ち寄ったのは、1888(明治21)年。『航西日乗』の校注者の注によれば、 ◇ イギリス船の寄港地がコロンボであったのに対して、フランス郵船はスリランカ南部のゴールに寄った。 ◆ ということだから、鴎外が寄港したセイロンの港もゴールだったのだろうか。 ◇ 八時港口に達す。港はポイントデガウルと云ふ。此地は北緯六度一分に在り。港の左に灯台有り、台下水石相激し、噴散雪の如し。土人は眼鋭く鼻高く印度人種中にて最上等に位す。衣服は新嘉坡(シンガポール)と一様なり。港口風浪平かならぬ故、奇なる小舸(しょうか)を造り客を載す。其の製、舟の一傍に木板を附け軽重の権衡を取り、覆没を防ぐ。舟の体は横甚だ狭くして尺余に過ぎず。長さは二丈許なり。土人多く舟に来り、澣衣(かんい)を乞ひ土宜(どぎ)を売り投宿を勧む。喧囂(けんごう)厭ふ可し。 ◆ これはゴール入港の場面。このときも、現地人は乗船客にわんさかとまとわりついて、洗濯(澣衣)の注文を取るものやら、土産(土宜)を売りつけるものやら、宿の呼び込みをするものやら、さわがしいことこのうえない。まあ、港やら駅やら観光客が集まるところは多かれ少なかれそんなものだろう。日本もかつてそんな時代があっただろう。森繁久彌の『駅前旅館』のような。 ◆ 写真の灯台が、柳北が見たものと同じであるかどうかは、まだ調べてない。 |
このページの URL : | |
Trackback URL : |