MEMORANDUM

  恐山と忍路

《東北文庫 web 物語伝承館》に、こんな文章。

◇ 恐山の地名は元来はアイヌ語のウシヨロ(内湾の意といふ、然らば大湊を指すのであらう。恐山は実に大湊の背後にある)からウソリに転訛し、再転訛してオソリ、オソレとなつたのが、やがて地の印象と結びついてその音を恐の字に当てたのであらう。従つて旧くはこれを宇曽利(うそり)山と記したものもある。
佐藤春夫「恐山半島記」(東北文庫

◆ あっ、と思った。「忍路(おしょろ)と同じだったんだ。

◇  下北半島の不気味な火山、恐山は恐ろしさのための恐れ山と考えられがちですが、麓の大湊あたりに宇曾利という地名があり、宇曾利の後ろの山で宇曾利山であったわけです。北海道では函館の古名がウソリで、アイヌ語で入江の奥の波静かな所を意味しています。
 往年の鰊漁で有名な小樽の近くの漁港で、ソーラン節の中に歌われている地名に忍路(オショロ)がありますが、このオショロもウソリと同じ意味です。

池田光二『山名考』(文芸社,p.30)

〔むつ市観光協会〕 恐山は、藩政時代には宇曽利山(うそりやま)と書かれていました。また、その昔、下北地方を宇曽利郷と呼んでいたこともあったようです。このウソリは、アイヌ語のウショロ(入江とか、湾という意味)に由来していて、これがさらに転化してオソレ(恐)になったものとみられています。
www.mutsu-kanko.jp/guide/miru_01.html

〔小樽學:地名探索〕 忍路はアイヌ語のウシヨロ=湾からきているといわれ、江戸時代にはヲショロ・ヲシヨロなどと書かれていました。1869(明治2)年忍路郡が設置されています。忍路村は1906(明治39)年4月桃内村・蘭島村・塩谷村と合併して二級町村塩谷村となり、忍路郡唯一の村でしたが、1958(昭和33)年4月に塩谷村が小樽市に併合されて消滅、忍路郡も廃止されました。
 「ヲシ」に「忍」の字を宛てるのは、これは今の埼玉県行田市がかつて忍町といっていたことからも、当を得ているといえますが、北海道の人には特に馴染みが薄いかもしれません。

http://otarugaku.jp/article/?c=4&s=8623

◆ 最後の埼玉県行田市の旧町名は忍(おし)町と読む。これらの説が正しいかどうかを判断する能力はワタシにはないのが残念。忍路と恐山。「忍」と「恐」の字が似ているのも、おもしろい。恐山の画像はおともだちの rororo さんのブログからこっそり拝借。

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COMMENTS (2)

rororo - 2010/09/23 13:01

こっこり、にっこり。忍野村もですかね。

Saturnian - 2010/10/09 01:19

rororo さん、

こっこり、にっこり、こっそり訂正いたしました! 
忍野村ってどこかと思ったら、富士の麓でしたか。

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