MEMORANDUM

  放浪の癖

◆ 「裸の大将」として有名な放浪画家の山下清は、1961(昭和36)年、ヨーロッパに(放浪ではなく)旅行に出かけた。その(放浪記ではなく)旅行記を読んだ。そのはじめ。

◇  ぼくはこんどヨーロッパへ旅行することになったので、そのわけはというと、ずっと前に八幡学園をとびだしてから、あっちこっちを歩きまわって、二十なん年のあいだに日本のくにの五分の一くらい見学してしまった。
 それからぼくので展らん会がはじまって、五年のあいだに北海道の釧路から琉球まで、百なん十回も展らん会があったので、日本じゅう、ほとんど見てしまったことになるかもしれない。そのあいだにぼくは貼絵やスケッチや焼物の絵などをたくさんかいて、もう放浪の癖もなおったので、式場先生がごほうびに、外国へつれていってくれることになった。
 それなのにまだ放浪の癖がよくなおりきっていなかったので、三度くらい家をとびだしたのに、すぐつかまってしまって、とても日本で放浪するわけにはいかなくなったので、自分ではこれでわるいくせはすっかりなおったと思っている。それでも、もう放浪はしませんと約束してから三度もとびだしているので、世間はなかなか信用してくれないといわれた。ほんとうのことをいうと、ぼくはいまでも、自分のいきたいところへぶらりとでかけるのは、そんなに悪いことでないような気がするのですが、世の中には放浪ということは悪いことだというきめがあって、ことに外国では、日本よりもずっと悪いことにしてあるという話なので、外国へいくのが二度もだめになり、がっかりしてしまった。
 ぼくは、日本国中ほとんど歩いてしまったので、どうしても外国を見物したいので、そのためにどんな約束をしてもいいと思ったら、もういちど式場先生が外む省という役所にたのんでくれることになった。

山下清『ヨーロッパぶらりぶらり』(ちくま文庫,p.11-12)

◆ いや、冒頭から、おもしろい。「ほんとうのことをいうと、ぼくはいまでも、自分のいきたいところへぶらりとでかけるのは、そんなに悪いことでないような気がするのですが」という本音の差し挟み方がなんとも絶妙である。それから、「放浪の癖」が治ったわけもこの文章から透けて見えるようだ。有名になってしまったので、放浪しようにも、「すぐつかまってしま」って放浪が現実的に不可能になってしまい、また「日本国中ほとんど歩いてしまった」ので、とくに放浪したくなるような場所が日本にはもうなくなってしまった。つまりは放浪に飽きてしまったということなのだろう。放浪の癖が治りきっていなかったときに、八幡学園長に宛てに「もう放浪はしません」と約束した文章がある(昭和29年4月11日付)。こんなのだ。

◇  僕は毎日々々ふらふらして 遠い所迄歩いて行って るんぺんをして居るのは自分でもるんぺんと言う事はよくないと言うのは知っていて るんぺんをしているのは自分のくせか病気だろうと思うので 毎日ふらふらして歩くのはくせか病気だから くせか病気は急になおら無いからだんだんと其のくせをなおそうと思って居るので今年一ぱいるんぺんをして 来年からるんぺんをやめようと思って 学園の先生とそうだんをしたので 幾らくせでもなほそうと思えば今からでもすぐ其のくせがなおると言はれたから 今度からるんぺんをするのを思いきってやめようと思います
 もしるんぺんをした場合は病気と思われてもかまいません

山下清『裸の大将ヨーロッパを行く』(ノーベル書房,p.11-12)

◆ 「くせか病気」はすぐには治らないから、じょじょに治したい、とは見事な理屈である。これを本音に言い換えると、もう少し放浪をしたいから、「今年一ぱいるんぺんをして」、放浪をやめるのは来年からにしたい、それまで待ってほしい、ということになる。なんとも憎めない。山下清は、「外む省」で渡欧の手続きをしているときに、この約束の文書(「ちかいのことば」)のことを思い出す。

◇ 「とにかく、式場先生が全部の責任をもってくださるわけですね」といわれて、先生がぼくのために、山下清の全部の責任をもつという書るいをかいたので、ぼくはずっと前にやたらに放浪に出かけているとき、もうけっして放浪はしませんというちかいのことばを書かされたことを思い出した。ぼくはそのちかいを書いてから、じきにまた放浪してしまったが、先生ははかせだから約束をやぶることはできないので、ぼくはヨーロッパへいくことができる。
山下清『ヨーロッパぶらりぶらり』(ちくま文庫,p.15-16)

◆ ああ、やっぱり! あれは「書かされた」ものだったのね。だから、「じきにまた放浪してしまった」。放浪という「くせか病気は急になおら無い」。ただ治るのをじっと待つしかない。

◇  昭和十五年、ぼくの十八才のときにはじまったぼくの放浪のくせは、なかなか治らないようで、昭和二十九年と三十年は、いくらとめようとしてもとめられないので、出てしまった。ぼくの放浪はどうしてもがまんできないことがあるので、病気かもわからないと思ったほどだ。
 この放浪のくせも、昨年の夏にはおさまったみたいです。ぼくは世田谷に新しい家ができてお母さんと弟と妹ですむことになったから、もう帰る家があるわけです。今までのように厄介になる八幡学園に戻ったり、せまい母の家へかえらなくてもよくなりました。ぼくの部屋もひと部屋あるので、もう放浪しなくてもよくなりました。〔中略〕 ぼくはこれで三十五になって、やっと十八からの放浪の虫がとれてしまったようです。
 放浪の虫がどうしてとれたのか、放浪のくせがどうしてとれたのか、ぼくにはよくわからない。そして、放浪がいいことか悪いことか、わからないが、やめた方がお母さんも安心するし、弟も妹もよろこぶようですからもうやりません。ぼくはどうして放浪したいのか、その虫がどうしてついたか、病気なのか、なんにもわからないのです。それでもやめてうちのものがよろこぶところをみると、あまりいいことではなかったかもわからないので、もうやらないつもりです。
 昭和二十九年の春、あまりたびたび放浪にでてみんなに心配かけるので、八幡学園で、久保寺先生、渡辺先生、式場先生、弟の辰造のいる前に、もうけっして放浪はしません、こんど逃げ出したら病気だとみとめて病院へ入れて治してくれてもかまいません、とセイヤク書をかいたのにすぐ逃げ出してしまいました。でももうそんなものをかかないでも、おちついていられるようになったので、ぼくも放浪のくせはすっかりなおったと思っています。
 放浪よ、サヨナラ。

山下清『日本ぶらりぶらり』(ちくま文庫,p.202-203)

◆ 「放浪よ、サヨナラ」か。山下清のコトバをもう一度、つぶやいてみる。「ほんとうのことをいうと、ぼくはいまでも、自分のいきたいところへぶらりとでかけるのは、そんなに悪いことでないような気がするのですが」。どうなのだろう?

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