◆ 山下清のヨーロッパ旅行記からもうひとつ。とはいえ、まだヨーロッパには着かない。その前にアラスカのアンカレッジ。ああ、なつかしい。 ◇ 〔Wikipedia〕 1990年ごろまで(冷戦時代)は、西側の航空機はソビエト連邦領空の通過をほとんど許可されなかったため、日本・ヨーロッパ間の航空便の経由地として頻繁に使用されていた。日本人をターゲットにしたうどん屋まであったが、現在では旅客便にはあまり使用されていない。 ◇ 〔Wikipedia〕 ソ連崩壊により、1990年代初頭には全ての北極圏経由北周りヨーロッパ線がシベリア上空経由の航路へとシフトされ、現在、旅客便としてこの路線を運航する航空会社はなくなった。しかし、アンカレッジ国際空港ターミナルのうどん屋の味とともにこの路線を懐かしむ人は今も多い。 ◆ 山下清は、アンカレッジで「飛行機がガソリンをつめるあいだ、飛行場にある建物に入って食事をすることにした」とは書いているが、残念ながら、うどんを食べたとの記述はない。まだうどん屋はなかったのかもしれない。それはさておき、アンカレッジで家族に絵はがきを書き、「六月十日」と日付けをつけたら、 ◇ 今日は六月九日だといわれた。そんなはずはないので、六月九日のよる羽田を出発して一ばんたった朝だから十日にきまっていると思ったら、アラスカではまだ九日で、どういうわけかというと、どこでも朝とひるとばんがあるのに、地球はまるいので場所によって朝のくる時間がちがってくるので、朝が午後七時ではぐあいがわるいので、どこの国でも朝を午前にしている。それで算数にくわしい人がいろいろ計算して、地球のいろいろの国の日と時間をきめてあるので、ぼくのように頭のよわい人間は、人がきめたことにしたがうしかないのかもしれない。 ◆ ワタシも「算数にくわしい人」ではないので、じつのところ、国際日付変更線というようなことを正確に理解できている自信がない。ほんとうに引用したかったのはつぎの段落で、 ◇ 世の中にはいろいろぼくにはのみこめないことが多いので、のみこめないことはなんべんもききなおして、のみこめるようにしているのに、なんべんきいてものみこめないこともある。そういうときはしかたがないので、のみこめないことにちかづかないようにするか、わかりやすいところをさがして、でかけていく。 ◆ 理解できないことは理解できるようにできるだけの努力をする。けれど、それでも理解できなかったときには、いさぎよく理解することをあきらめる。なんと見事な人生の知恵だろう。もう少し続けると、 ◇ こんどのヨーロッパでも、いきなりのみこめないことにぶつかってしまって、六月九日が二度くるのは、ぼくの時計がちゃんと動いていて九日の夜から十時間以上もたっているのにまだ九日だというのは、とてもわからない。これは裸になってはいけないの世の中のきめになっているようなもので、そこからにげだせないなら、だまっていうことをきくことにするので、ぼくはだまってはがきの六月十日という日づけを、九日にかきなおした。 ◆ 「そこからにげだせないなら、だまっていうことをきくことにするので、ぼくはだまってはがきの六月十日という日づけを、九日にかきなおした」。これには脱帽。ちょっと文章が上手すぎやしないか。もちろん、文章力の問題ではないのだろう。山下清は、こんなふうに、つねに世の中の常識と格闘していたのだろう。たとえば、熱海温泉で、 ◇ ぼくは金をだしてこんなに温泉へ入る人が大ぜいいるのはどういうわけか、よくわからない。辰造(弟)は働く人が疲れるので温泉へ入りにくるのだと教えてくれたので、家のなかや風呂にいる人の顔をみたがだれもそう疲れたような顔をしていなかった。疲れて温泉へくるならばみんな休んでいるか寝ていそうなものだが、パチンコをしたり、ピンポンをしたり、玉をついたりして遊んでいる。宿屋にいても酒をのんでさわいでいるので、あれでは疲れがなおらないでかえって疲れるのではないかと心配になって、女中さんにもきいてみたが、温泉へきて寝てばかりいる人はひとりもいないと教えてくれた。そういえばぼくも熱海へきてもねていないで弟と町へでたり、ピンポンをしたりして遊んだので、温泉は疲れをなおしたり病気をなおすところではないようにみえた。もう一度温泉へくるわけを辰造にきいたら「清ちゃんは何でもわけをきくが、どんなことでもみんなわけがあるとはかぎらない、温泉だって来る人はいろいろ人によってちがうのだからそうはっきりはわからない」といわれて、そういうものかと、もうきくのはあきらめました。 ◆ 似たようなハナシはいくらでもあるが、アンカレッジから熱海に戻ってしまって、またヨーロッパへ飛び立つのにはいささか疲れたので、この辺でやめにする。 |
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アンカレッジ空港には今でも大きな熊の剥製が展示してあるのだろうか?懐かしい。
僕が始めてパリに行ったときエールフランスの747だったが夜遅く飛び立ち窓の外を見ると数時間で夜明けになり数時間で真っ暗になり北極の地球の真上なんだと時差を光で確認しました。
アンカレッジ空港は濃霧で着陸の時に何度もパワーをかけ加速減速を繰り返し、尾翼の先端が空港手前の林の木の枝に接触してバリバリ音を立てた後、大きいショックを伴う着陸だった事を覚えています。案の定給油後に整備とかで待たされました。
keisuke2925 さん、
ワタシもはじめてパリに行ったとき(大韓航空でしたが)は、まだアンカレッジ経由で、空港の「大きな熊の剥製」が印象に残っています。バカでかかったですね。アメリカ合衆国の地を踏んだのは、後にも先にも、このときだけです。