MEMORANDUM

  露天風呂と野天風呂

◇ ぼくは放浪したとき一番さきに気にしたのはあつさ寒さなので、陽気によって持物をかえなければなりません。夜は野天風呂のそばや駅のベンチでねるので、さむければかぜをひくので、あつければ着るものをたくさんもってあるくのは、リュックがおもくてしかたがない。ヨーロッパもいくさきざきによって陽気がちがうので、とても放浪しにくいところだと思った。
山下清『ヨーロッパぶらりぶらり』(ちくま文庫,p.214-215)

◆ あれっ、と思ったのは、「野天風呂」という言い方なので、というのも、ぱらぱら彼の放浪記を読んでいて、これまで記憶にあるのはすべて「露天風呂」という言い方だったからなので、版によっては「ろてん風呂」とか「ろ天風呂」と書いてあるのもあったけれど、原稿を見たわけではないので、ほんとうはどれがほんとうかよくわらない。たとえば、

◇ 伊香保のろ天風呂は外にあって、みなが入るところは池みたいな形をしているので、温泉の色は茶色で土でよごれたような色をしている。
山下清『日本ぶらりぶらり』(ちくま文庫,p.100)

◇ 「ここが草津温泉のろてん風呂で ただで入れるんですか」と言ったら よその人が「そうです ここが草津温泉のろてん風呂です ただで入れます お前はどこの人だ」と言われたので
山下清『裸の大将放浪記 第三巻』(ノーベル書房,p.479)

◆ かれが露天風呂好きなのは、基本的には、タダで入れるからで、

◇ 玉造の温泉プールは野天にあって、その深さは胸ぐらいなのでおよいでも心配はない。ぼくは毎日のようにそのプールへおよぎにいった。ここは男も女も区別がないので、自由にいつでも、だれでも入れる温泉だった。
山下清『日本ぶらりぶらり』(ちくま文庫,p.113)

◆ あっ、これも野天だな。玉造温泉というと、深沢七郎も訪れたことがあるようで、井伏鱒二との対談で、イタチやらテンの話になり、

深沢 そうですか。私はテンというのは、一回見て、あれがテンだということを後で聞いたんですけれども、出雲のほうに玉造温泉というのがありまして、そこの温泉の野天風呂に入ろうと思って行った時、ネコみたいなのがピューッと飛びまして、あまりおっかなかったので、お百姓が入る共同風呂だから、聞いたら、テンだと言いました。
深沢七郎『深沢七郎の滅亡対談』(ちくま文庫,p.41)

◆ これも野天だな。いや、野テンか。まあ、野天でも露天でもたいした違いはない。ノテンとロテンじゃ、聞き分けることさえ難しい。それでも、違いを見つけようとするひとは多いようで、

◇ 野外、屋外にあるお風呂、外気に面しているお風呂の総称が「露天風呂」であり、この中でも「屋根がない」「自然の中にある」「趣(おもむき)がある」といった、いわゆる「いい感じのお風呂」のことを独自に「野天風呂」と称している、ということのようです。「野天風呂」は「露天風呂」に含まれる、つまり「露天風呂=パスタ」「野天風呂=スパゲティ」のような関係です。
www.benchi.in/?eid=936503

◇ 外気にさらされていれば、露天。野にあるお風呂は野天風呂。露天は野天も含むのでは? 露天>野天
oshiete.goo.ne.jp/qa/470862.html

◆ 野天風呂は露天風呂に含まれる、つまり部分集合ということなら、「露天⊃野天」と書いたほうがいいだろうとも思うけれど、どうなんだろう。

◇ 野天風呂は湯殿の上に屋根がなく、また、四方向共壁がない状態の風呂、つまり周りに屋根も壁もなしと言う風呂です。これに対し、露天風呂は屋根が湯殿の上に、二分の一以下で三方向に壁が無い風呂、という定義があるそうです。
www.tsktn5.net/09izukougen.html

◆ そんな定義がどこにあるんだろう。よくわからない。どうも、野天の「野」の字に大自然を感じてしまうひとが多いようで、それだけまわりに自然が少なくなってきたということなのだろうか。たしかに、とってつけたような露天風呂も多くなったので、「野天風呂」ということで差別化したいという意識はあるのだろうけど。いずれにしても、山下清が放浪していたころとは時代が変わってしまったのは、たしか。タダではいれる露天(野天)風呂もめっきり減った。

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