◇ 生まれつき地図が好きである。 ◆ と書いたのは井上ひさしで、「生まれつき」というコトバを「地図好き」にダイレクトにつなぐとはなんとも大胆に思えるが、まあそういう人もいる(いた)のだろう。つづけて、 ◇ 地図は現地そのものではない。現地をたくさんの記号に写しかえたもの、いわば記号の集積である。つまり筆者は、現地や現物よりも、その代用品である記号を集めたものの方が好きだという変人なのである。自分は変人である、と決めつけなければいろんなことが判ってくる。実人生そのものより物語という代替物の方が好きだというのもそのせいだろうし、イタリア料理店のテーブルの前にすわることよりイタリア料理の本を丁寧に眺める方が好きだというのも、筆者の地図好き=記号好きとどこかでつながっているにちがいない。 ◆ ワタシもの多少(多分に?)そのケがあるかもしれない。たとえば、旅そのものと旅の本を読むのとどちらが好きかと考えてもなかなか答えはでない。たとえば、『駅前旅館に泊まるローカル線の旅』という本を読むのはそれだけで楽しいし、その本のなかに、じっさいに見たことがある駅前旅館が出てくれば、それはそれでまた楽しい。たとえば、会津田島の和泉屋旅館。 ◇ ぼくが度々お世話になっている和泉屋旅館は、田島の街の会津西街道に面した古い旅館である。〔中略〕 狭い間口、大きなガラス戸の玄関、土間と板張りとの異様なほどの高低差、そして長い廊下……。 ◆ ワタシは一度もお世話になったことはない(そもそも駅前旅館に宿泊したこと自体がない)が、二度田島の町を訪れて、二度和泉屋旅館の写真を撮っていた。だから、「大きなガラス戸の玄関」だけは知っている。一度目は2003年5月10日、二度目は2007年3月6日。この間、2006年3月20日の町村合併で、住所が南会津郡田島町から南会津郡南会津町田島に変更になったことを除けば、(外観は)なにも変わっていないように見える。それだけでもすばらしい。もう一度訪れる機会があれば、そのときにはぜひ泊まってみたい。ただ、 ◇ 七月の田島の祇園祭りのときには、祭り見物の客でどの旅館もいっぱいになる。 ◆ そうだから、その時期はダメか。いや、前もって予約してでも、その時期に行くべきか。そう、会津田島にも祇園祭があるのだった。そう、まさにいまお祭りの最中なのだった。いまから行くか。 ◇ 〔南会津町公式サイト:会津田島祇園祭〕 今から約800年以上の昔、鎌倉時代の文治年間に、この地方を治めることになった長沼五郎宗政(ごろうむねまさ)が、旧地で信仰の厚かった 牛頭天王(ごずてんのう)・須佐之男命(すさのおのみこと)を奉斎し、天王社として祭ったことが始まりで、その後、今から400年前の慶長8年に、領主長沼盛実が京都八坂神社に準じた祭礼格礼を取り入れ、「祭の決まり」を定めて、現在の祇園祭に至ったとされています。 ◆ 二度と行く機会はないとしても、十年も経てば、自分の写真と他人の文章がワタシのアタマのなかでないまぜになって、和泉屋旅館に泊まったという偽の記憶がしっかりと刻まれているかもしれない。そうなればいい。そういえば、偽の記憶が刻まれそうな旅館がもうひとつあった。鎌倉の「対僊閣」。 |
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