MEMORANDUM
2010年06月


◆ 電車のなかで本を読むと、こんなこともある。

◇ やっと交番から逃れて切符を買ってる時、お前はどこへ行くのだ、僕はとよ四季と云う所にかじ屋があるので、其処へ働きに行くんですと云ったらば、駅の人が、柏で降りて、野田線に乗りかえるんだと云って、野田線からとよ四季へ行かれると云われました。「夕飯はまだ食べてないのか。よし腹がへってるだろう」袋そっくりせんべいを貰って僕は記者の中で食べました。とよ四季でかじ屋へ行く道がわからないので、やっと教えて貰って行って見れば違うかじやで、方々聞いてもわからないので、仕方がないからこの辺で使って貰おうと思っても、誰も使う人は居ないのでした。「とよ四季じゃ人を使う家は無いから、柏へ行って使って貰えよ」と云われて駅へ行ったら、駅の人に、「お前はどこへ行くのだ」と聞かれたので、僕はその通り話をして、金は持って居ないので、ただ切符を貰って有りがたく思いました。(昭和十六年・十九歳)
池内紀編 『山下清の放浪日記』(五月書房,p.30)

◆ 野田線。この文章を読んだのが、たまたま東武野田線の電車のなかだった。

◆ 長野県小諸市。小諸城大手門。左、2003年11月5日。右、2010年6月12日。この2枚の写真のあいだに、「平成の大修理」(2004年12月~2008年3月)があったそうで、外観が大きく変わっている。大手門でもらった教育委員会発行のパンフレットによると、

◇ 大手門は、明治時代に料亭や小諸義塾の仮塾舎として利用されたため、中二階や間仕切壁などの造作がなされていました。そこで、今回の保存修理工事では明治の改造を取り去り、小諸城の入り口にあたる城門の大手門としての豪壮な構えを誇っていた享保五年(1720年)改造時の姿に復原し、あわせて東西両石垣の孕み出しがあり危険なため、建物の解体にあわせて積替えを行いました。

◆ つまり、この門からは明治の記憶がすっかり消し去られてしまったというわけ。復元工事以前のこの門はこんな感じ。

◇ 大手門は、説明書が無ければ3階建ての民宿にしか見えないような状態で、1階が部屋になっていて、とても外敵を対象にした門には見えませんでした。
www1.ocn.ne.jp/~oomi/kosiro.html

◆ ワタシはどちらかというと「民宿」の方に惹かれるタイプで、こんな民宿があるなら、ぜひとも泊まってみたい。外見は立派でも見るだけの建物はつまらない。復元工事後、大手門の内部はおきまりの資料展示室になっていた。

◆ 長野県小諸市。さかい果物土産品店。左、2003年11月5日。右、2010年6月12日。こちらはほとんど変化なし。ただ右隣の建物の屋上看板から「アイフル」の文字が消えていることが時代の流れを物語る。

〔アイフル〕 アイフル(AIFUL)の社名は、愛情「Affection」と努力「Improvement」をもって仕事に臨み、お客様の信頼「Faithfulness」に応える、約束「Unity」と活気「Liveliness」に満ちた会社を意味しています。
www.ir-aiful.com/japanese/faq04.cfm#faq-9

◆ どうでもいいけど、アイフルさん、「Unity」に「約束」なんて意味はないよ。

◆ 信越線の横川駅で、名物駅弁の「峠の釜めし」を買って(軽井沢駅)で食べた。駅弁だから、鉄道の車内で食べるのが一番だが、長野新幹線開通後、横川・軽井沢間は廃線になってしまって、バスしかない。バスで食べるのもなんなので、軽井沢駅で食べたのだが、軽井沢駅にも釜めしは売っていていたので、それなら軽井沢で買えばよかった。食べる前、900円はちょっと高いかとも思ったが、具も豊富、ボリュームもたっぷりで、かなり満足(満腹というべきか)した。というわりに、いま具材を思い出して書こうとすると、鶏肉のほかはなにも思い出せない。情けないが仕方ない。腹が減っていると頭はほとんど働かない。食べたあとには、いつも「美味しかった」という記憶しか残っていないのが(ワタシの場合)常である。写真を見直し、また《峠の釜めし本舗おぎのや》のサイトで確認をして、具材のラインナップを書き出してみると、紅生姜、栗、ごぼう、うずらの卵、鶏肉、椎茸、グリーンピース、杏子、筍。

◇ 貧乏学生だった頃は、この峠の釜飯弁当はすばらしく豪華で、超高級のごちそうだった。ほのかに温かく、ずしりと重味のある釜器を膝の上にのせて、上に乗っている具をひとつずつ箸でつまんで噛みしめるようにあじわう。
 椎茸、タケノコ、皮つきのカシワ、ゴボウ、そしていつも不思議に思っていたのが、ほのかに甘いアンズである。栗はいちばん最後まで大事にとっておいて食べた。
 昭和二十七年といえば、一九五二年である。当時、十九歳だった九州出身の大学生には、過ぎた弁当だったはずだ。あの頃、この釜飯弁当の値段がいくらだったのかは記憶にない。
 しかし、現在でも九百円という値段は、まことに良心的だと思う。そして、中身も、姿も、味も、ほとんど変わってはいない。

五木寛之「流されゆく日々~さらば横川の釜飯弁当4」(『日刊ゲンダイ』連載5333回)

◆ ちなみに、カシワは鶏肉のこと。さすがにプロの作家の記憶力はすばらしいものだと思ったが、「峠の釜めし」の販売開始は昭和33年だそうで、昭和27年にはまだなかったらしい。それはともかく、「栗はいちばん最後」というように、具を食べる順番にこだわりを持つひとは多いようで(ひょっとすると、こちらが多数?)、

◇ ちなみに、大好きな具は、栗!! 最後にデザートとして食べるのが楽しみ(^^♪
homefan.exblog.jp/9324452/

◇ 具はなんといっても、鶏肉をメインにうずら卵を楽しみ、最後に栗で締めたいと思いますぅ~♪
blogs.dion.ne.jp/garnet24/archives/8384095.html#comments

◇ ずっと昔に、列車の中で食べた時のことをいろいろ思い出す。そう、いつも栗は最後に食べたのだった。
gensenkan.blog.so-net.ne.jp/2007-03-31-1

◇ 私は好物を最後に残しておくタイプなのですが、釜めしの場合は最後は うずらのたまご→栗→あんず の順番で締めくくるのが通例で、今回も同じ締め方をしました。
blogs.yahoo.co.jp/toyosushinonome/42984446.html

〔後藤藍オフィシャルブログ〕 鶏肉、しいたけ、ごぼう、竹の子、栗、杏が入っていてうまーく均等に少しづつ食べたのですが、最後を栗にするか杏にするかすごい迷いました( ̄▽ ̄;)結果、杏が最後!昔から好きな物は最後派で、小さい頃よくよそ見した瞬間おねぇちゃんに食べられて泣いてたなぁといつも思い出します(^_^;)食べ物の恨みってやつですね!特に杏は大好物だから今では杏だけは絶対にお姉ちゃんあげませんV(^^)V
gotoai.jugem.jp/?eid=128

◆ ワタシはというと、食べた順番さえもはや憶えていない。いやはや。これからは、もう少しアタマを使いながら食事をしたいものだと反省しきり。

  上小

◆ 信州上田をほっつき歩いていると、何度も「上小」という文字に出くわすので、「はてこれはなんだろう」と考えこんでしまうはめになる。「上」はまさか「上州」ではないだろうから、「上田」の「上」でいいのだろう。「上小」で「上田小学校」ということもあるかもしれないが、これでは意味の範囲がかなり狭いので、ほかの可能性として、「上田・小諸」のことだろうかとも思ったりもしたが、どうやら違ったらしい。

〔Chakuwiki〕 上田小県(うえだちいさがた)地方、略して上小(じょうしょう)。上田小諸という考え方もあるが、小諸は佐久地方。「小県=ちいさがた」は難読だ。ドラマ「風林火山」では小県が良く出てきた。「上小」って文字だけ見てたら何かあんまし語呂良くないな。
http://wiki.chakuriki.net/index.php/長野/上小

〔 Wikipedia〕 上小地域(じょうしょうちいき)は、長野県東信地方の上田市を中心とした地域のことを指す名称で、県を10地域に分けるときに用いられる。上田市と小県郡の頭文字を並べた名称である。上小地方、上田地域、上田地方と呼ばれることもある。旧小県郡の範囲、上田地域広域連合の範囲に一致する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/上小地域

◆ なるほど。都道府県内の地域名というのは意外となじみがないもので、たとえば、東京都にしばらく住んでいても、「三多摩」地域の「三」の意味はいまだに知らないし、「城南」「城東」地域などという言い方も、それが正確にどこを指すのかよくわかっていない。まして、他府県のことになると、泊まった宿で天気予報を見ても、いま自分がどこの地域に属しているのかさえわからないことがよくある。