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♪ 男は誰もみな 無口な兵士 ◆ 一日の仕事を終えて、疲れ切って(というほどのこともないが)、もうこのまま寝てしまおうかと思ったりもしたが、やはり風呂に入っておこうと、よたよたと銭湯に向かい、ひと風呂浴びて、いくぶんか元気を取り戻して、脱衣場でくつろいでいると、女湯の脱衣場のほうからの会話が聞こえる。会話と書いたが、ひとりの声しか聞こえない。もしかするとケイタイで通話していたのかも。あるいはひとり言だったのかも。ありふれたオバサンの声。 ◇ ・・・いまではテレビがおともだちでね。 ◇ 今日なんか休みなんだから、どこかに出かけてくれればいいんだけど・・・。 ◆ 話題は定年退職したダンナの日常であるようだった。あいかわらず話し相手の声は聞こえない。ひとりが一方的にしゃべりまくっている。とにかく声がでかいので、聞くつもりはなくとも聞こえてしまう。 ◇ 男は、もう早く死んでもらわなきゃダメだね。 ◆ 風呂上りにこんなハナシを好き好んで聞きたくはないが、耳をふさぐのは手間なので、聞こえるにまかせる。そうか、早く死んでしまったほうがいい? ◆ 女湯のとなりには仕切り一枚をへだてて男湯があって、そこには見えないにしても男たちがいるだろうから、などとは思いもしない。あるいはわざと男に聞かせているのか? |
◆ おともだちの霧さんがこんなことを書いている。 ◇ 古本屋で買った文庫を読んでいると、半分くらいのところに 「搭乗口案内」 と書かれたレシートが一枚挟まっていた。「コシバトシアキ」 さんが12月13日に福岡行きのANA251便を予約した際のものらしい。搭乗口は58。座席番号は19G。コシバさんは飛行機の中でこの本を読んだのかなと思いつつ読み進めていくと、後半の頁にもう一枚のレシート発見。12月8日付のブックキヨスク新大阪店。買い上げは文庫1点で、本書の値段と一致する。本書 『市民ヴィンス』 は昨年の12月発行。出張か、旅行か、帰省か。大阪で買った新刊を移動のお伴に持ってきて、福岡の古本屋に売ったということなんだろうな。二枚の紙切れから、自分とは関係のない人、今後交差することもないだろう未知の人のほんのひとときが窺える。古本を読んでいてこういうものにぶつかると、なんだか嬉しくなる。 ◆ 古本といえば、こんなことがあった。2003年10月23日、久里浜。通りすがりに入った古本屋の棚をのぞいていると、あとから10歳くらいの女の子を連れた若い母親がやってきて、こどもがあれこれおもしろそうな本をひっぱり出し始めるとすぐに、こう言った。 ◇ 「ここの本はキレイじゃないのよ。ばっちいの。さあ行きましょ」 ◆ 「ばっちい」 というコトバが標準語かどうかいまひとつ確信がもてないので、念のために書き添えておくと、「ばっちい」 とは汚いという意味であるが、古本屋の本が汚いというなら、古本屋になんか来なければいいのに、と思ってしまった。まあ、店に入るまでは、古本屋だとは思わなかったのだろうけれど。 ◆ 古本を読むと、ときにおまけがついてくる。それは霧さんが書いていたようなことで、喫茶店のレシートとか、病院の診察券とか、まにあわせのシオリのようなもの。他人の痕跡。あるいは、個人の蔵書印が押してあったり(まれには、公共の図書館の蔵書印であったりもするが)。 ◆ あるいは書き込み。赤鉛筆でやたらに傍線を引いてあったり、「?」 で疑問点を記してあったり、余白いっぱいに細かい字で感想を書き連ねてあったり。参考になることもある。 ◆ 図書館の本も、新着図書を一番に借りるのでなければ、みな古本である。もちろん、個人の所有物ではないのだから、書き込みをしてはいけない。だが、よく見かける。
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