MEMORANDUM

  続・熊旅館

◆ 一昨日のスポーツ新聞に、クマが出た。

◇ 黒い影が木立の間でぬっと動いた。ぎょっとして立ち止まると、こっちを向いた。真っ黒だ、クマか。冗談じゃない、風呂に入りに来たぐらいで食われてはたまらない。サラリーマン稼業を生き延びて、定年まで残り4カ月。こんなところでクマ死にできるか。
「59歳後藤新弥のスポーツ&アドベンチャー」(『日刊スポーツ』2006年2月5日付)

◆ なにもわざわざ引用するほどでもないけれど、行きがかり上つい引用してしまったのは、標高2150メートルにある八ヶ岳の本沢温泉の露天風呂をめざした編集委員の記事の一部だが、いくらんでも 「クマ死に」 はないだろう。とても定年まで残り4カ月の記者が書く文章とは思えない。さらには 「黒い影」 がクマではなくて、カモシカだったというオチまでついて、続きを読む気が失せた。その代わりに、別なことを思い出した。

◆ 以前ここで 「熊旅館」 のハナシを書いた。その後、ある本を読んでいたらそこにも熊旅館が出てきたので、そのことを書こうと思って忘れていたのを思い出した。去年の夏、新潟発小樽行フェリーの船内で読んだ堀田善衛の 『ミシェル 城館の人 第三部 精神の祝祭』(集英社文庫)がその本で、三部作の第一部も第二部も読んでないのに、なぜかしら第三部だけが手元にあって、旅支度をしていたときに、たまたま目について旅行カバン(といってもデイパックだが)に放り込んだ。ミシェルというのは、『エセー』 で名高いミシェル・ド・モンテーニュのことで、第三部では、モンテーニュも旅に出る。

◇ われわれのミシェルは、一五八〇年六月二十二日に彼の城館を出て、北東フランス、ドイツ、スイス、オーストリアを経てイタリアへの、十七ヵ月にもわたる旅に出た。
堀田善衛 『ミシェル 城館の人 第三部 精神の祝祭』(集英社文庫,p.7)

◆ この旅の記録は後年発見され 『旅日記』 として出版されるにいたったが、ドイツのバイエルン地方のケンプケンで、熊旅館に泊まったことが記されている。堀田善衛訳を引用すれば、

◇ 〈町の大きさはサント・フォアくらいで、美しく人口も多く、にぎやかで立派な家が多い。われわれは 「熊屋(ウルス)」 に泊まった。まったくきれいな宿屋である。この宿では、わが国の上流の家でも滅多に見られないような、各種の大きな銀盃が出された。〉
Ibid.,p.56

◆ また、ローマでも、

◇ 一行は、はじめ熊屋(ウルス)なる宿に泊まり、十二月二日に、に、サン・アンジェロ橋の袂にあるスペイン人の家に部屋を借りている。
Ibid.,p.97

◆ 書きたかったのはこれだけ。熊旅館が16世紀後半のヨーロッパにもあちこちにあった、ということを知ってうれしかったというわけ。参考までに 『旅日記』(Journal de Voyage)の当該箇所を原文で。

◇ KEMPTEN, trois lieues, une ville grande corne Sainte-Foi, très belle & peuplée & richemant logée. Nous fumes à l’Ours, qui est un très beau logis. On nous y servit de grands tasses d’arjant de plus de sortes, (qui n’ont usage que d’ornemant, fort labourées & semées d’armoiries de divers Seigneurs), qu’il ne s’en tient en guiere de bones maisons.
humanities.uchicago.edu/orgs/montaigne/h/lib/JV1.PDF

◇ ROME, trante milles. On nous y fit des difficultés, come ailleurs, pour la peste de Gennes. Nous vinmes loger à l’Ours, où nous arrestames encore lendemein, & le deuxieme jour de décembre primes des chambres de louage chés un Espaignol, vis-à-vis de Santa Lucia della Tinta.
Ibid.

◆ 16世紀のフランス語がネットで読めるというのにも驚いた。

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