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◆ クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』。その冒頭近くのシーン。米軍の上陸に備えて、海岸線に塹壕を掘っている兵士たち。そのうちのひとりである西郷(二宮和也)が、妻への手紙の文面を朗読するかたちで、つぶやいた台詞「墓穴を掘る」についてのちょっとした疑問。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。 ◇ 『硫黄島からの手紙』を観てきました。そこでひとつ質問なんですが、二宮が初めて登場するシーンで妻・花子に語りかけると思うのですが、「花子…、俺たちは掘っている。そこで戦い、そこで死ぬ穴を。○○○掘ってんのかな」というセリフがありますが、○○○は何といったのでしょうか? 「オケツ」と聞こえたような気がするのですが、お尻のことですか??? なぜお尻??? ◆ こんな回答。 ◇ 「墓穴(ボケツ)」って言ってましたよ。「墓穴を掘る」っていう慣用句と、「戦場で死ぬかもしれない場で穴を掘っている事実」とを掛け合わせたのです。 ◆ この回答を読んで、「?」と思った。たしかに土葬の習慣のない今では、「ボケツと掘る」という表現はもはやほとんど比喩的な意味でしか使用されなくなってはいるが、この場面で、この「墓穴を掘る」という表現が、自らがそこで死に埋葬されることになる墓穴(はかあな)を掘るという本来的な意味以外に、慣用句としての「ボケツと掘る」のニュアンスが掛け合わされているとはとても思えない。ワタシはそう思ったのだが、「墓穴を掘る」という表現にたいする以下の数々のコメントを読むにつけ、自信がなくなってくる。 ◇ 西郷が冒頭で言う「…墓穴掘ってるのかな」という言葉。穴を掘るという事と絡ませて粋な台詞です。これが英語などにどう生かしていくのか、そちらの方も気になります。 ◇ 「オレら何掘っているんだろうな。」と隣の兵士が聞くと、「墓穴掘ってるのかもな。」みたいな会話がある。うまいジョークだなあとつい感心してしまったが、ボケツだったのか墓穴だったのかは誰にもわからない。 ◇『墓穴を掘る』なんていうしゃれもね、日本人でこの当時でこんなこと思いつけるやついたのかなあと。今の日本でも、かなりめだつかな。 ◇ 「ハナコ、今俺たちは穴を掘っている。」 「墓穴(ボケツ)ってやつかな。」(←ちょっと切ないダジャレ、涙。) ◇「墓穴」などという熟語も駆使されていることから、日本語へのアダプテーションも問題ないのだろうと思いきや、二宮扮する日本兵のキャラクターがどうにもアメリカ臭い。 ◇ 日本独特の言い回しもいいのではないでしょうか。英語字幕だと殺風景ですが。「墓穴を掘る」ってそのまま英訳しても意味はわからないでしょうね。 ◆ はたして、ここでの「墓穴を掘る」というコトバが、「絡ませて粋な台詞」だったり、「ジョーク」だったり、「しゃれ」だったり、「ダジャレ」だったり、「熟語」だったり、「日本独特の言い回し」だったり、するものだろうか? ◇ 冒頭でのシーン。前線で塹壕を掘りながら「俺達、墓穴掘ってるのかなぁ。」 本来「いやぁ、墓穴掘っちゃってさぁ」なんて、軽く使えるような言葉ではないはず。 ◇ 砂浜で塹壕を掘っている二宮和也が「俺たち、墓穴を掘っているのかな」というセリフはもはや脚本がもとから日本語で書かれたものだと錯覚させる。 ◇ 最初の方のシーンで、ある日本兵が海岸で戦闘用の穴を掘りながら、『墓穴を掘ってるみたいだな』とポツリ。まさに言葉通り。今まで、“墓穴を掘る” の意味は知っていたが、その漢字まで考えたことはなかった。何でこんな言葉が生まれたのだろう? ◇ 「俺たちは掘っている。・・・墓穴掘ってんのかな」という二宮和也の印象的なセリフ、これって英語ではなんていうのかな…? こういう日本語のおもしろさがアメリカ映画で見られたというのはちょっとした衝撃です。 ◇ 冒頭の二宮くんの語り・・・「 花子・・・。俺たちは掘っている。自分たちが入る穴を・・・墓穴(ぼけつ)掘ってるのかな・・・。 」という日本にいる妻に宛てた手紙の日本人でしか持ち得ないメンタリティの細部まで、描いた脚本に驚いた。 ◆ 「ボケツ」と発音されたコトバは、いまでは多くのひとにとって、「墓穴(はかあな)」という具体的なものをイメージさせる力はほとんどなくなっており、もっぱら「ボケツを掘る」という抽象化された慣用表現を連想させるものであるらしい。「オケツ」と聞き違えるひともいるようでは、「ボケツを掘る」という言い回しは、無用なイメージの拡散を防ぐためにも、「ハカアナを掘る」と発音されるべきだったかもしれない。 ◇ 日本語の台詞も割とちゃんと出来てたし。でも墓穴「ぼけつ」はウソでも「はかあな」にして欲しかったかなぁ。………(←) いや、あってるんですけど、でも。 ◇ 砂浜にざん壕を掘る若い兵士西郷(二宮和也)がボヤきます。「俺、墓穴(ぼけつ)、掘ってるんだろうか?」 のっけからジャブをくらったようで、ぐぐっときました。ここでは墓穴(はかあな)のほうがいいんじゃないかなぁ思いつつも、これからどこまで心臓をえぐってくれるのだろうかと、身構えました。 ◆ 「ボケツ」と「ハカアナ」は同じものだというのが辞書的定義であっても、現実の語感においては、「ボケツ」と「ハカアナ」とではいちじるしく異なるものであるらしい。 |
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◆ 風になることを風化という。人間が風になることはなかなかできない。けれど、岩石にはその特権が与えられている。宮沢賢治に 『楢ノ木大学士の野宿』 という作品がある。野宿第二夜。宝石学が専門の楢ノ木大学士には石たちの会話が聞こえる。 ◇ その時俄(には)かにピチピチ鳴り ◆ 「バイオタさん」 の本名はバイオタイト。biotite は黒雲母。「プラヂョさん」 はお医者さん。石の医師、医師の石。本名はプラジオクレース。plagioclase は斜長石。 ◇ 「プラヂョさん、プラヂョさん。プラヂョさん。」 ◆ 「長くても一万年は持ちません」 というコトバになぜかほっとする。 |
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◇ 風邪をひく。 / 六年ぶりくらいに、お医者さんに行く。 / はりきって、よそゆきのブラジャーをしていく。迷ったすえ、パンツもよそゆきのにする。 ◆ 検索エンジンでパンツとブラジャーをキーワードにこちらを訪問された方には申し訳ないけれども、残念ながら、パンツとブラジャーのはなしではない。 ◇ 風邪をひく。六年ぶりくらいに、お医者さんに行く。 ◆ こんな短い文章から、あれこれ考える。医者に行くのが6年ぶりとはよほど健康なんだなあとか、それとも医者がよほどキライなのかなあとか、でも風邪をひいたくらいで医者に行くんだなあとか、6年間で一度も風邪をひかなかったのかなあとか、それともよっぽどひどい風邪だったのかなあとか、あれこれ。 ◆ ワタシは風邪をひいたくらいでは医者には行かない。そもそもあまり風邪をひかない。というようなことを何度も自慢気に書いてきた記憶があるが、このところトシのせいか体調がすぐれない日が続いて、「風邪気味なもので」 と言うことが増えた。 ◆ たとえば、さいきん頻繁に頭が痛くなる。ズキズキと痛む。世に頭痛持ちのひとは多いというはなしは聞いたことがあっても、これまでワタシは頭痛というコトバの意味さえよく理解してはいなかったらしい。ああ、これが頭痛というものなのか、と妙な感心をしている。 ◆ けれど頭痛が続くと、感心しているばかりではすまなくなって、先日くすり屋さんに行った。「頭痛に効くお薬ありませんか?」 「ほかに症状は?」、ほかにべつだん症状はなかったが 「ええと、のどが痛いです」 と答える(のどが痛いのはタバコの吸いすぎだろう)。すると、くすり屋さんは満足そうに 「風邪ですね」 とかぜ薬を出してくれる。ワタシもこのなりゆきに満足して、かぜ薬を買って帰る。ああ、風邪でよかった。 ◆ 医者に行くのは怖い。多少のことなら風邪ということにしておけばいい。もしかしたら、とんでもない病がワタシを蝕んでいるかもしれぬ、ふとそんな恐怖におそわれるときには、いつでも風邪ということにして・・・。 ♪ 天国じゃなくても 楽園じゃなくても |
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◆ 《Yahoo!知恵袋》 にこんな質問。 ◇ ごはん粒を、指で丸める(こねる)癖のある人って何か心の病気?友達がよくこねています。。。粒といえども食べ物ですし、見ていていい気がしないのですが。。。 ◆ これを読んですこしショックを受ける。ワタシもよくコンビニのおにぎりでそれをやる。心の病気だろうか? 精神分析ならそのように解釈するかもしれないが、司馬遼太郎にならって、ワタシはそれを 「原始のよろこび」 だと(小声で)いいたい。 ◆ なんであれ、こねることは楽しい。たとえば鼻くそ。 ◇ 僕は鼻くそを人差し指と親指で丸める感触が好きです。 ◆ と正直に告白するひとはまれだろうが、パン生地ならどうか? ◇ パンを捏ねるのってやっぱり好き。発酵してふんわりとした生地を、やさしくしっかり丸め直すときの、手触りが好きなの。 ◇ ♪パンこねセラピー♪ なんのことはない、パンをこねるだけのことなんですが、、、でも、ぷにゅぷにゅのやわらか~いパン生地をさわるというのは、癒し効果大♪ 頭の芯までぷにゅぷにゅになっていく感じで心地いい~。 ◇ ホームべーカリーもあるけど 手でこねる楽しさを奪われるのはイヤッ!w あれが醍醐味だなあ。 ◇ パンって、こねる時が楽しいです♪ ごしごし、ぐるぐる、生地作りをしていると、なんだか気分爽快~! いいかも^▽^; ◇ 僕がパン作りで一番好きなのはこのこねる時間です。生地がだんだん滑らかに柔らかく変化していく様子は感動ものです。酵母や粉は生きているんですね~。 ◇ パンをこねる感触も粘土みたいで気持ち良いですよね! ◆ なるほど、ご飯つぶをこねるよりはパン生地をこねたほうが気持ちがよさそうだ。 ◆ ほかにもまだこねるものはいろいろある。熊本に 《DaDa》 というグループがある。ダダは 「こねる」 もの。ということで、「こねる」 をキーワードにさまざまな活動をしているらしい。 ◇ 代表の高木淳二氏(建築家)は、ある日、建設現場で処分に困っているどろどろした土に出会いました。「何かに使えないだろうか」。知り合いの瓦職人に見せたところ、瓦には向かない土だとわかりましたが、このとき瓦職人が土を見分けるために見せた仕草に氏は着目しました。「そういえば、左官や陶工も同じ仕草をする」。彼らは土を練って手のひらに取り、紐状に伸ばして輪を作ってみるのです。 ◆ なんであれ、こねることは楽しい。理屈をこねることも楽しい? |