MEMORANDUM

◆ 個人の記憶というものは、いったいどのようなかたちでどのような場所に保管されているのだろうか? そのようなことを考えると、ワタシはいつも木の年輪のイメージを思い浮かべる。

◇ TCK 「東京ダービー」 とJRA 「日本ダービー」 への参加型イベント 『ダブルダービー』 で、ご応募をいただいていた、ダービーにまつわる川柳の受賞作品が、本日、決定しましたのでお知らせします。
www.tokyocitykeiba.com/news/news.php?id=962

◆ このダービー川柳で、友人がJRA賞を受賞したそうである。

◇ 想い出の ダービー馬聞き あきらめた Miss四十路

◆ 「選評」 はこう。

◇ 好きな馬で年代がばれるのは競馬ファンならでは。雅号が郷愁を誘います。

◆ 郷愁は哀愁の間違いではないかと思うのだが、それはいいとして、この川柳コンテストの受賞作にもうひとつ似たような趣向のものがあって、

◇ その年の 記憶の鍵は ダービー馬 モノ忘れお父さん

  熱発

◇ たとえば、九州の島津薩摩守様は、この川崎宿にお入りになると決まって熱発なさる……
井上ひさし『四千万歩の男(4)』(講談社,p.198)

◆ 発熱ではなく熱発(ねっぱつ)。ワタシはこれを競馬用語だと思っていた。たとえば、

〔日刊スポーツ〕 今週日曜の「第68回オークス」(G1、芝2400メートル、20日=東京)の1番人気候補だったダイワスカーレット(牝3、松田国)が17日に、熱発が発覚。出走を回避することが決定した。管理する松田国師は「前日の体温は37度8分~37度9分を維持していたのに、17日の朝は39度を超えていた。輸送もしなくてはならないし、これでは全能力を発揮できない。だから競馬を使わないことに決めて、獣医に速やかに処置をしてもらった」と明かした。[2007年5月17日11時35分]
www.nikkansports.com/race/f-rc-tp0-20070517-200014.html

◆「競馬を使う」(レースに出走する)なんてのもビミョウに競馬用語であろうけれど、「熱発」もまた同じ。

〔競馬用語辞典〕 熱発【ねっぱつ】 風邪などの原因で馬が発熱すること。
www.kappagi-keiba.net/dictionary_view_word.php?wordid=318

◆ けれども、この「熱発」、競馬用語にとどまらず、医学用語でもあるらしい。

◇ 昼間まで元気だった妹が熱出してます(’・ω・) 熱発ですねー(医療用語だと、「発熱」じゃなくて「熱発」なんですよねー)
miuyumimiyu.cocolog-tcom.com/coco/2007/01/post_452e.html

◇「熱発」という言葉、懐かしいです。友達が看護士してるんですが、昔よく「ねっぱつ」と言っていたのを思い出しました。医療系に携わる方は大体そうおっしゃいますよね。
kazu-rerere21.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_452e.html#comments

◇ 普通の人は「発熱」って言うんでしょうが、こういう医療的・介護的な仕事してると、熱が出ること「熱発」って言います。とは言え、ここのところ私の熱発は正直珍しいことではありません。
ricordi.blog.ocn.ne.jp/treasure_of_life/2007/06/post_5220.html

◆ また、軍隊(自衛隊)用語でもあるらしい。

◇ 軍隊では発熱することを「発熱」とはいわずに、「熱発」(ねっぱつ)という。
www.srif9920.net/senzin/index.asp?sdid=6

◇ ちなみに・・・戦中派の父は、“洗面器” を “面洗器”、“発熱” を “熱発(ねっぱつ)”・・・
bbs3.sekkaku.net/bbs/?id=siritori2

◇ パラオ仮入隊中悪寒戦慄し四十度近い熱発ありマラリアではないかと心配したが検査の結果マラリアではなくデング熱らしいとの事であった。
www.saganet.ne.jp/critical/senkizumosaburou.html

〔自衛隊用語集〕 熱発就寝(ねっぱつしゅうしん) 読んで字のごとく、熱出して寝込んでること。点呼のときなど、欠席者の内訳を報告するときに「○○一士熱発就寝!」などと報告する。一般の看護婦さんとかも使う言葉である。
mokei-albion.net/jieitaiyougo.html

◆ また、沖縄方言でもあるらしい。

◇ あとさ、沖縄の人は熱が出たら、熱発っていうさ~。本土は発熱。。。。最初、熱発っていってたら、みんな、はぁ~~?状態。。。。でも、この前、医者のカルテみたら、熱発ってかきよった!!! 沖縄の人かね~~~???
plaza.rakuten.co.jp/yutoyonohaha/diary/200511050000/#comment

◇ ちなみに熱が出ることを沖縄では、熱発(ねっぱつ)と言います。「今日、熱発なので、会社を休ませてください。」 こんな風に使います。
www.melma.com/backnumber_42572_3571471/

◇ ネイティブ沖縄の皆さん 「熱発」は標準語ではないよ 方言です 正しくは「発熱」ですからね
blog.livedoor.jp/kai_kuboi/archives/cat_731478.html

◆ というわけで、だれかの日記に、たとえば「ちょっと前から熱発して、呼吸もだんだん苦しくなってきた」とあるのを読んだ場合に、その作者が、なにゆえに「熱発」というコトバを用いているのかを知るのはそう簡単なことではない。競馬好きなのかもしれないし、医者なのかもしれないし、自衛隊員であるかもしれないし、沖縄出身者であるかもしれないし、あるいは?

◇ 午後四時半体温を験す、卅八度六分。しかも両手なほ冷、この頃は卅八度の低熱にも苦しむに六分とありては後刻の苦さこそと思はれ、今の内にと急ぎてこの稿を認む。さしあたり書くべき事もなく今日の日記をでたらめに書く。仰臥のまま書き終る時六時、先刻より熱発してはや苦しき息なり。今夜の地獄思ふだに苦し。雨は今朝よりふりしきりてやまず。
正岡子規『墨汁一滴』(青空文庫

◆ 職業に貴賎はないが、好き嫌いはある。

◆ 永六輔の 『大語録』 という本をせっかく図書館から借りてきたので、パラパラとページをめくっていると、

◇ 「広告代理店にも、いい人はいます。でも、いい広告代理店はありませんよ」
永六輔 『大語録 天の声地の声』 (講談社+α文庫,p.111)

◆ この文章をヒナガタとして、広告代理店をほかのコトバに置き換えてみるのもおもしろい。社会保険庁とか。緑資源機構とか。特殊法人とか。マスコミとか。いや団体であれば、業種を問わず、ほどんどの団体にマッチするヒナガタであるかもしれない。組織とはそういうものかもしれない。

◆ 内田樹がブログでこんなことを書いていた。

〔内田樹の研究室〕 代理店がらみの仕事は前に一度だけやったことがある。そのときに 「今後二度と広告代理店がらみの仕事はしない」 と堅く心に誓ったのである。別に代理店でお働きになっている個々の方々に怨みがあるわけではない。業界の風儀が私の肌には合わなかったというだけである。別に一般論として 「広告業界はよくない」 などという非道なことを申し上げる気はない。私はそちら方面の仕事は性に合わないのでやらないというだけのことである。したい方はどんどんなされればよい。私はそういうこととには不案内な人間なので、そちら方面には足を向けない。東は東、西は西。
blog.tatsuru.com/archives/001319.php

◆ 広告代理店はいまでも人気の業種であるのだろう。こんな就職希望者がいる。

〔毎日就職ナビ:エントリーシート添削講座〕 また広告のターゲットは人の心であり、そこにダイレクトにアプローチできるので、それを見た人とも繋がりがもてることも広告業界ならではだと思います。実際、私も朝日新聞のジャーナリスト宣言の広告を見たとき、言葉の儚さや葛藤から抜け出し、前向きに言葉と付き合おうと思ったことを覚えています。私も、ただ商品を宣伝するだけでなく、人生が少しだけ楽しくなるような広告がつくりたいです。
job.mycom.co.jp/08/pc/visitor/2008conts/es/4/contents/all/4.html

◆ 朝日新聞の 「ジャーナリスト宣言。」 の広告ポスターはこんなのだった。「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」。どこの広告代理店が作ったのかはしらないが、どれだけの費用がかかったのかはしらないが、この広告にどんな効果があったのだろうと不思議に思う。逆効果も効果のうちか?

◆ べつな広告のことも思い出した。これについては、以前 「不気味な広告」 で書いた。

◇ 命は大切だ。命は大切に。そんなこと何千何万回言われるより 「あなたが大切だ」 誰かがそう言ってくれたらそれだけで生きていける。

◆ いま見直しても不気味だ。こんな言葉のチカラなどワタシにはとてもじゃないが信じられない。

◆ あと、見るたびに腹立たしいのがJRAのポスター。これについては 「JRAのメインキャラクター」 に書いた。ワタシの投資した少なからぬお金が、どこの馬の骨ともわからぬタレントの懐に入っているかと思うと、まったく腹立たしい。これはまったくの私憤であるが、義憤を感じることもある。

◆ 毎日新聞にこんなニュース。《クールビズ:キャンペーン日当、1人当たり7万6300円》

◇  クールビズなど地球温暖化防止を訴えるキャンペーンのため、環境省が大手広告代理店 「博報堂」 に支払う日当(1日7時間)が最大で1人当たり7万6300円に上ることが分かった。時給なら1万円を超える計算だ。19日の参院文教科学委員会で、民主党の蓮舫委員が、環境省の資料を分析した結果として明らかにした。契約は05年度から3年連続で結ばれており、今年度の総費用は約27億円、3年間では80億円を超える見通し。
 蓮舫委員は、高額過ぎると迫ったが、環境省は 「広報のための費用として妥当で、無駄遣いではないが、指摘は参考にしたい」 と話している。
 分析の対象とされたのは、06年10月から今年3月までにキャンペーンの運営にかかった人件費9640万円。博報堂の社員に対する日当は、プロジェクトリーダーが7万6300円で最も高く、主任級が5万5300~6万4400円、一般スタッフが3万2900~4万4100円だった。
 また、06年度は博報堂の社内にキャンペーン事務所が置かれたが、下半期だけで約990万円の経費が計上された。同省によると、電話代や光熱費、博報堂社員とは別に電話応対をするスタッフの人件費などが含まれるという。【山本建】
毎日新聞 2007年6月19日 23時42分 (最終更新時間 6月19日 23時55分)

www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070620k0000m010150000c.html

◆ この金額、大手広告代理店に支払う費用としては妥当であるのかもしれないが、それが 「無駄遣い」 でないかどうかはまた別な問題だろう。このキャンペーン費用に見合った効果が得られなかった場合の責任はいったい誰がとるのだろう?

◆ 学生のころ、一度だけ広告代理店の仕事をしたことがある。数時間でデタラメなフランス語の翻訳をして、10万円の報酬。生まれ変わったら、そのときはぜひ広告代理店に就職したいものだ。

◆ とある文房具屋さんにこんな貼り紙。店主お気に入りの名言集のようなものだろうか。あるいは習字のおけいこかもしれない。「その席にいない人を非難するな(アメリカ初代大統領ワシントン)」 とか 「君の考え方はまだ若いよ、人間短所を見たらどんな人間だってだめだ」 とか。それから、ワタシがいちばん気に入ったのがこれ。

◇ 「テレビでさ、料理をひとくち喰って、うまいという奴は信用しちゃいけません」
永六輔 『大語録 天の声地の声』 (講談社+α文庫,p.97)

◆ まったくそうですよね、とワタシがベテランの運転手Bさんに話しかけると、Bさんはすかさず、

◇ 「なんで? ひとくち喰って、うまいものはうまいじゃん?」

◆ と言ったので、ハナシが終わってしまった。しようがないので、あとでひとりで考えた。そもそもグルメ番組では 「まずい」 というコトバはあらかじめ禁じられているわけだから、予定調和的に発せられる 「うまい」 のひとことは、三文役者の台詞のようで、いかにも白々しく感じられる。あるいは、ひとくちで評価ができる料理というものはよほど単純な味付けなのではないか? 食事というのはもっと総合的なもので、ラーメンや丼といった単品メニューならまだしも、コース料理などはすべて食べ終わってからでないと評価できないはず。あれこれ。

◆ そうして、思い当たったことがひとつ。それは、ワタシは 「ひとめぼれ」 ということにあまり縁がないということだった。ひとくち食べておいしいと思える即座の反応がワタシには欠けているらしい(ひとくち食べてまずいと思ったことなら幾度もあるが)。衝動買いという経験もあまりない。服や靴でも、しばらく身に着けているうちに、からだになじんでくるものがあって、そのときに初めて、「ああ、これはいいものだな」 と思う。ワタシはそんな性格なので、「運命の出会い」 といったようなハナシを聞いてもあまりピンとこない。たいていは、カン違いだろう、と冷ややかに見つめるだけである。料理にたいしても、きっと同じことなのだろう。あるものを食べてからずいぶんと経ったころに、「ああ、またあれが食べたいな」 と思い、そのことで初めてその料理が好きなことに気がつく。そんな人間が、時間の制約によってすべての判断をその場で要求するようなテレビのグルメ番組を好きになれるわけがない。

◆ 犬の糞のつづき。

犬の糞(くそ) きたないもの、軽蔑すべきもの、数多くあるものなどをいうたとえ。
三省堂 『大辞林』

◆ ありふれた名字も犬の糞に例えられることがある。

◇ 鈴木、佐藤、高橋、田中、木村、山田、渡辺など、どこにもころがっているので、そんな苗字は 「犬の糞」 とかいわれてるとか、私もその犬の糞です。悲しい。
oshiete1.goo.ne.jp/qa2762988.html

◇ 「鈴木・佐藤は犬の糞」 ってあったなあ。どこにでもいる名字って事。今、犬の糞も見なくなったけどね。
piza.2ch.net/log2/hosp/kako/958/958591834.html

◇ 日本では 「佐藤斉藤犬の糞」、中国では 「張三李四」 (=張家の三男、李家の四男)というね。
tmp.2ch.net/asia/kako/1017/10178/1017899425.html

◇ クラスで唯一の 「佐藤」 を名乗った覚えはあまり無い。「佐藤後藤犬のクソ」 といって、佐藤と後藤は何処に行っても転がっているのだそうだ。くそ。この言葉には地方によって 「佐藤山田」 だとか 「佐藤斉藤」 だとかのバリエーションがある様なのだが、何にしても佐藤は必ず入っている様である。すなわち佐藤は後藤より山田より斉藤より、より犬のクソに近いという訳か。くそ。
yusen.rainy.jp/k051.html

◆ たしかに 「佐藤さんがいっぱい」 だったりすることもあるなあ。

◇ 渡辺という姓はかなり日本国内でも(当たり前か)ポピュラーな姓で,特に新潟には多いとされているのでした。そんなわけで 「佐藤渡辺犬の糞」 などという格言(ちがう)もあったりするわけなのでした。
www.on.rim.or.jp/~makosan/no0/isiya.html

〔臼杵の姓〕 ずいぶん前 「さとうごとうは、いんのくそ」 などと長老が語っていたが、佐藤姓はダントツ。
www.coara.or.jp/~myks4/sei/sei.html

◆ 臼杵市は大分県。佐藤が入っていないヴァージョンもある。

〔長崎でよくみる名字〕 あと、松尾はどこにでもおるやろ 松尾、山口、犬の糞(いんのくそ)って言うやん
www.nagasakids.net/n_ch/read.cgi?bbs=main&key=1010432349

◇ 宮崎県に住んでいるのですが、県北、特に高千穂を含む西臼杵郡では、「甲斐・興梠犬の糞」 と言われるほど、この二つの姓を持つ方が多いです。
q.hatena.ne.jp/1095527263

◆ 興梠は 「こうろぎ(こうろき)」 と読む。興梠木の木がいつのまにか脱落したらしい。

◇ とにかく北勢地域は伊藤、加藤が多く、「伊藤、加藤は犬のクソ」 なんていいます。(笑) どこでもころがっていると言う意味でしょうね。
www.hikoshima.com/bbs/heike/100421.html

◆ 北勢地域は三重県。四日市市を含む。

〔Wikipedia〕 白洲が理事を務めるゴルフクラブに、ある日秘書らしき若者から 「これから田中がプレイしますのでよろしく」 と挨拶があった。応対した彼が 「田中という名前は犬の糞ほどたくさんあるが、どこの田中だ」 と返したところ、「総理の田中です」 と返答があった。
ja.wikipedia.org/wiki/白洲次郎

◆ 白洲は白洲次郎、田中は田中角栄。つぎは犬ではなくて馬の糞。

◇ 私の名字でもある「佐藤」は日本全国で最も多い姓である。秋田県内においてもしかり。私の母が日頃から話している 「佐藤、高橋、馬の糞」 という言葉からも 「佐藤=日本一多い姓」 である、というのは般常識化しているのだろう。
www.mumyosha.co.jp/ndanda/05/medieval10.html

〔言葉の世界・伝言板〕 私の名字は 「佐藤」 です。「佐藤」 は全国でも多い名字ですが、これを言うのに、「佐藤、XXは馬のクソ」。昔は馬はそれくらい普通にいたんでしょう。(どこでこんな言葉覚えたんだか、記憶にない。辞典には載ってないし。)
www.asahi-net.or.jp/~hi5K-stu/bbs/bbs0003.htm

◆ あら、こちらもやっぱり佐藤さんだ。

  犬の糞

◇  六、七間先に犬の糞が落ちているのが見えた。だが、傍らへよけることはできない。よけたのでは歩数がふえてしまう。ではぽんと飛び越えることは? それもできない。「二歩で一間」 という物差しをこっちから狂わせるようなものである。
 「あの上へどちらの足も落ちねばよいが……」
 祈りながら近づいたが、祈ったりすると物事はとかく悪い目へ傾くようで、忠敬の左足は犬の糞の真上を踏んだ。雪駄がわずかにぬるりと滑り、白足袋の踵に汚物が付着したようだった。

井上ひさし 『四千万歩の男(1)』 (講談社,p.10)

◆ さて、この 「犬の糞」 の 「糞」 という漢字は、なんと読むべきだろう? フン? それともクソ? と、またまたどうでもいいようなコトが気になってしまったのである。以前、「伊勢屋稲荷に犬の糞」 のことを書いた。

◇ 諺ニ江戸ニ多キヲ云テ伊勢屋稲荷ニ犬ノ糞ト云也
喜多川守貞 『守貞謾稿』 第4巻(東京堂出版,p.98)

◆ これはトウゼン、犬のクソと読むものとばかり思っていたが、犬のフンと読むひともいるらしいことを知って、ちょっとびっくりしている。

〔朝日放送:歴史街道〕 これらの店の多くが 「伊勢屋」 の屋号を掲げていたので 「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞(ふん)」 と、含みのあるはやり言葉が生まれたほどだった。
www.asahi.co.jp/rekishi/2006-01-16/01.htm

◆ テレビではクソという読みは下品なので、フンにしたのだろうか、とも思ったが、

〔落語・講談によく出ることば 話芸“きまり文句”辞典〕 (火事に喧嘩に中っ腹、)伊勢屋、稲荷に犬の糞いせや、いなりにいぬのふん):【意味】江戸の市中で多く目についたものの代表をいうことわざ。
wageiidiom.cocolog-nifty.com/takmat/cat3249531/

〔Wikipedia〕 又江戸では伊勢出身の商人はかなり多かったらしく 「江戸名物は伊勢屋、稲荷に犬のふん」 と言われていた。
ja.wikipedia.org/wiki/伊勢商人

◆ というふうに、それ以外でもあちこちにフンが見つかるので、なにか根拠があるのかもしれない。けれども、その根拠がワタシには皆目わからない。やはり、クソという読みを “four-letter word” (忌み言葉)のようなものとして無意識のうちに避けたのではという気がする。

◇ 火事と喧嘩は江戸の華、といわれます。こんなものがしょっちゅうあったんでは、たまったものではありませんが、その他にも江戸に多かったものを表す言葉が残っています。いわく、「伊勢屋 稲荷に 犬の糞」。都築道夫氏によると、最後のは、「いんのくそ」 と発音するのが正しいそうです。
homepage3.nifty.com/capt-taka2/zatugaku/zatugaku7.htm

◆ 都筑道夫は江戸っ子らしいから、あるいはこれが正しいのかもしれないが、そうすると、また別なコトが気にかかる。イヌのクソではなくて、インのクソ。それではと、「いんのくそ」 を調べてみると、

◇ 例えば 「大工調べ」 という落語の中で切る啖呵に 「犬のくそでかたきをとる(卑劣な手段で復讐するという意味)」 という台詞があります。これを 「いぬのくそ」 ではなく 「いんのくそ」 と発音するのが江戸訛りなんですね。
back.shohyoumaga.net/?month=200511

◆ 志ん朝もそう発音したらしいから、 江戸弁では 「いんのくそ」 なのだろう。けれども、インノクソと発音するのは江戸だけではないようで、モノモライのことをインノクソと呼ぶ地域(九州)があるらしい。

◇ 佐賀弁では、「ものもらい」 のことを、「いんのくそ」 といいます。 なんで犬なのかは残念ながらわかりません。
www.bunbun.ne.jp/~kuri2/saga/020.html

◇ 一昨日から、「おひめさん」 ができている。左目に。ちなみに 「おひめさん」 とは 『ものもらい』 のことです。うちの近所では 「おひめさん」 と言います。ただ、「おひめさん」 と呼ぶと、頭にのってどんどん大きくなるので、「いんのくそ」 と呼ばなきゃいけないと近所のばあちゃんは言います。
kaoribatake.blog.ocn.ne.jp/yuko/cat4402539/

◆ 二番目の引用文の筆者は熊本のひと。長崎にはインノクソ横町が。

〔「ナガジン」発見!長崎の歩き方〕 犬の糞横町(いんのくそよこちょう)/これはどこか一定の場所の地名ではなく、ある条件が当てはまるとこう呼ばれるというニュアンスのもの。西浜町や銅座町、江戸町などにこう呼ばれる道筋があったといわれるが、その条件とは、道が狭くしかも不潔な感じの横町ってことらしい。各町でそう呼び合ったというが、決して自分の町のことは言わなかったところらオモシロイ。
www.at-nagasaki.jp/nagazine/hakken0606/index1.html

◆ などなど。探せばまだまだあるだろう。

◇ 氷見線で雨晴(あまはらし)へ行った。美しい砂浜のある町である。七〇年代末、ここで北朝鮮の工作員が日本人のカップルを拉致しようとして失敗したことがある。布袋をかぶせたが、男性の方に強く抵抗されて逃げ出したのだ。工作員は上は背広なのに、下はステテコ姿だったそうだ。私は北朝鮮にも拉致にもいくばくかの思いがあるが、雨晴で途中下車したのはそのせいではなかった。遠い昔の記憶のためである。
関川夏央 『汽車旅放浪記』 (新潮社,p.151)

◆ 雨晴のハナシを続けようと思っていたのだが、気が変わった。上の引用文の 「布袋をかぶせたが」 の 「布袋」 の漢字がとっさには読めなかった。ついアタマのなかでこれをホテイと読んでしまったのである。背広にステテコを着合わせるような人物なら、アタマに布袋様(ほていさま)を被せかねない。そんな気もして、それにしてもどうして布袋様なのだろうと不思議に思った。

〔Wikipedia〕 布袋尊(ほていそん)とは、日本では七福神の一柱であるが、元来は中国唐末の明州(浙江省)に実在したとされる異形の僧・布袋(ほてい)のことである。本来の名は、釈契此(しゃくかいし)であるが、常に袋を背負っていたことから付いた俗称である布袋という名で知られる。
ja.wikipedia.org/wiki/布袋尊

◇  さらにいうと、この人物は、後梁(こうりょう)(九〇七~二三年)のころ(もしくは唐の末期)に、浮世にいたらしい。うまれたのは、この杭州からさほど遠からぬ、寧波(ニンポー)(当時、明州)の奉化である。
 名は、契此(かいし)という。禅僧であったというが、寺は持たず、居所も定めない。明州の奉化あたりで家をまわっては食を乞い、物をもらうと、杖にぶらさげている布袋(ふくろ)に入れた。いつもこのふくろをかついでいるところから、異名として布袋とよばれた。

司馬遼太郎 『街道をゆく 中国・江南の道』 (朝日文庫)

◆ さて、この布袋様、中国では弥勒菩薩ということになっている。弥勒菩薩というと、

◇ 日本人には、中宮寺や広隆寺の弥勒菩薩(半跏思惟像)が有名ですが、中国に行けば、大きなお腹の布袋様が弥勒菩薩です。実在の布袋和尚が弥勒菩薩の生まれ変わりとされているから。あまりのイメージの違いに誰でも驚く。
160.29.86.21/religion/miroku.htm

◆ 土星人のワタシでも驚く。

◇ しかしその 「弥勒菩薩」 を見てまず驚きます。弥勒といいながら、そこにいるのは大きなお腹を抱えて大笑いする布袋和尚(ほていおしょう)だからです。中国では、布袋和尚が弥勒の生まれ変わりだといわれており、弥勒菩薩の像はすなわち布袋和尚なのです。日本人は 「あれが弥勒?」 と不思議な気持ちになります。
二階堂善弘 『中国の神さま』 (平凡社新書,p.15)

◆ 土星人のワタシでも不思議な気持ちになる。台湾の焼きものの町として知られる鶯歌で、ミニチュアサイズの布袋様の焼きものを土産に買ったことがある。布袋様を買ったつもりだったが、売った側は弥勒菩薩のつもりだったか? それにしても、なんともおちゃめな布袋様(弥勒菩薩)である。

◆ 日本でも、中国仏教の性格を色濃く残す黄檗山万福寺(京都府宇治市)には、天王殿に布袋様が、いや弥勒菩薩様が、どんと腹を突き出して座っておられる。