MEMORANDUM

◆ 下の写真のモノは、何ですか? 綿毛? 綿帽子? あるいは……?

◆ タンポポつながりで、BLANKEY JET CITY の「ダンデライオン」というのも聴いてみた。

♪ まるで僕たちはタンポポの胞子
  たわむれているだけ空の下で

  BLANKEY JET CITY「ダンデライオン」(作詞・作曲:浅井健一)

◆ この浅井健一というひとは、先日も「ロバの馬車」で引っかかったりして、どうも妙な具合に登場するが、ここでも「タンポポの胞子」である。これにはちょっとびっくりした。タンポポに胞子? タンポポは、シダ・コケ・キノコ・カビの仲間ではないので、胞子などあるはずもない(んじゃなかったっけ?)。

◆ まあ、これは歌詞なので、めいめい自由に解釈すればよいとして(ワタシには、生物学的に特殊な進化をとげた妖怪タンポポといったイメージしか浮かばないが)、せっかくだから、「タンポポの胞子」で検索してみると、出てくるわ、出てくるわ(以下に例を示すが、出典は省略)。

◇ タンポポはどんなところでも花を咲かせる。どんなところにも胞子を飛ばし、アスファルトの隙間にも花を咲かせる。

◇ タンポポの胞子は実に美しいです。思い描く夢をゆっくりと遠くまで運ぶ優しいさまを思い描くことが出来ます。ご承知の通りにタンポポの胞子は風に乗って、遠くまで種を運びます。

◇ タンポポの胞子ちゃんが どこからか飛んできて この綿帽子の上でひと休み?

◇ 例年よりも今年はタンポポの花が多く咲いたように思います。従って綿胞子も真っ盛りですね。

◇ 私はどちらかと言えばその黄色い花よりも寧ろ、そばにあった胞子の方が懐かしく子供の頃にふーふーと息を吹きかけて飛ばして遊んだ記憶が蘇ります。

◇ 9月後半には、綿毛のようなものがフワフワたくさん飛んでいます。タンポポの胞子とは異なり、ユキムシが飛んでいるのかと錯覚したほどたくさんあります。

◇ 風花がよく舞うようになってきた・・・・・・。 と、思っていたらそれは風花ではなく、タンポポの胞子だった。タンポポはその分身をいっせいに大空に放ったのであった。

◇ 昔、たんぽぽの種(白い胞子??のようなふわふわ)が耳の中に入ると耳が聞こえなくなると聞きました。これは本当なのでしょうか?

◇ タンポポは花のうちに刈り取らなければ、綿胞子が出来て種を飛ばしどんどん増えていきます。

◇ 子供の頃、あの綿帽子摘んで、口で吹いて飛ばしたこと思い出すんだけど、あれがタンポポだったとは 綿帽子って綿胞子ってほんとは書くのかなぁ

◆ これらすべてが、BLANKEY JET CITY 経由だとも思えないから(多少は影響があるようだが)、以前からある程度定着している表現なのだろう(もしかして、ワタシが知らないだけで、むかしから一般的な表現だったりもするのか?)。大部分はたんなる勘違いによるものだろうとは思うけれども、それにしても多すぎる。なにか理由があるのかもしれない。

◆ ひとつだけ思いついたのは、「綿帽子」との混同ということ。「綿胞子」という表記も見かけるから、知らないまにこんがらがってしまったのかもしれない。上に挙げた引用では、多くが「胞子」という語を「綿帽子(綿毛)」の意味で使っているようだが、

◇ 〔……〕花が咲き終わると綿毛のついた胞子が、ふわふわと飛び交って〔……〕

◆ のような例もあり、「種」の部分を「胞子」と呼んでいるひともいるひともいるようである。

◆ 不思議なのは、「タンポポ」と「胞子」をキーワードにして検索していれば、「タンポポの胞子」という言い方はおかしい、と指摘する内容の文章にあちこちで出くわしそうなものだが、なぜだか一向に見つからない。その理由として考えられるのは、「タンポポの胞子」という言い方がそもそもおかしくはないから、ということだが、そうなると、これまで書いたことはすべて削除する必要があるなあ。あるいは、タンポポにかぎり誤用ではあるが慣用として認められているので、いちいち訂正するほどのことでもないからか。あるいは、「タンポポの胞子」という言い方をするひとの数が実際には気にするほど多くはないからか。

◆ 以下の2例は、ワタシにとって標準的だと思える文章で、(カビなどの)「胞子」とタンポポの「種(子)」がはっきりと区別されている。このような使い方が一般的だと思っていたのだが、よくわからなくなってきた。

◇ カビが生えているところは、1cm四方の中に約20億から40億の胞子がいると思ってください。ふつうは、そこに酸性の洗剤をかけて、ブラシでゴシゴシとこするわけですね。そうすると、どうなるかというと、ちょうどタンポポの種が風に乗って飛んで行くように胞子が飛んで行きます。
www.souki.bz/maintenance/mos.htm

〔損保ジャパン環境財団:環境公開講座 2001.11.20 生き物の動きの妙(講師:東昭)〕 タンポポの種子は、2~3mmの大きさである。花粉や胞子の約100倍の大きさなので、何の飛行用具もないと親元のすぐそばに落ちるだけで、拡散して子孫を増やすことができない。したがって、落下傘のような飛行用具を持ち、できるだけ広いところに拡散するようなしくみになっている。タンポポの落下傘は、冠毛という1本1本が数mm、直径が約10ミクロンの毛でできているものである。その毛が約120本位ついている。
www.sjef.org/kouza/envslect/envs_35.html

〔◆ 英語ではどうか。英語で、胞子は「spore」、種子は「seed」だが、「dandelion spore(s)」などと書くひともなかにはいるようで、これは日本と同じだが、その割合は日本に比べると少ないように思われる(きちんと調べたわけではないのでなんとも言えない)。では、ふつうに「タンポポの綿毛(綿帽子)」のことをなんと言うかというと、飛ぶ前の球状のひとかたまりのものは「blowball」「dandelion clock」「dandelion puff」などいろいろな言い方があるようだが、飛んでいく個別の綿毛のことになるとどうだろう、「dandelion fluff」か。〕

◆ 原田知世あるいはユーミンの歌「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」から。

♪ 夕焼けに小さくなる くせのある歩き方
  原田知世/松任谷由実「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」(作詞・作曲:松任谷由実,1983)

◆ この俳句的味わいがある(とワタシには思われる)出だしの一行は意外と難しいのかもしれない。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。

◇ ユーミンの歌「ダンデライオン」の歌い始めの歌詞で「夕焼けに小さくなる、くせのある歩き方」とありますが、なにが小さくなるのでしょう? 気になって仕方ありません。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462082904

◆ この一行は日常的なコトバでは書かれていないから、そういう疑問をもつひとがいてもおかしくはない。ユーミンの歌詞の聞き間違いを集めたサイトによれば、

〔空耳ホイッスル - All About Jukeman !〕 ■ダンデライオン
  「夕焼けに小さくなる癖のある歩き方」
    →「夕焼けに(なるとだんだん)小さくなる癖、のある歩き方」(定番)
  「ずっと手をふり続けていたい人」
    →「ずっと手をふり続けて痛い人」(定番)

plaza.rakuten.co.jp/jukeman/4002

◆ 「夕焼けに小さくなる くせのある歩き方」の部分の勘違いは「定番」であるそうだ。ちょっと確かめてみよう。

◇ 私は何を勘違いしていたのか、「夕暮れ時になると、歩幅が小さくなるような歩き方をする、というクセのある人を、ずっと手を振って見送っていた」――と受け取っていたのです。
blogs.yahoo.co.jp/blue_dayfly/61220730.html

◇ 私はずっと、「夕焼けに小さくなる癖」のある歩き方~だと思っていて、「夕焼けに小さくなる癖」というのは、夕焼けの頃までずっと一緒にいた人と別れる時は、ちょっとしんみり寂しいけれど、それを表に出すのも恥ずかしいから、何となく照れ隠しに背を丸めて(小さくなって)歩いてしまう癖・・だと勝手に妄想解釈していました。
penser1.jugem.jp/?eid=547

◇ あのね。恥をさらすようなんだけどね ユーミンのダンデライオンっていう歌あるでしょ その中で 「夕焼けに小さくなるくせのある歩き方」・・・って歌詞あるでしょ~ 私ね。。。 実はね。。。 夕焼けに小さくなる「くせ」。。。がある人だと思ってのよ 夕焼けを見るとうつむいちゃって、なんか暗くなって肩を落として歩く そんな人の事だと思ってたのよ(爆) つい最近まで。
lovelinen.exblog.jp/11476639/

◆ なるほどなるほど。いるんだな、やっぱり。この歌の歌詞を読み返してみたけど、この箇所にかぎらず、あちこちに多様なレトリックが多用されているので、ぜんぶを理解するのはなかなか難しい。ぜんぶを理解しようなどという気もあまりない(ワタシにはさいしょの一行で十分)。ただ、さいごにちょこっとだけ書きつけておくと、まだ若かったころに、遠くを歩いていたワタシに気がついてくれたひとがいて、そのひとが言った「歩き方でわかるもん」というセリフをときどき懐かしく思いだすことがある。

◆ さいしょに「エスポワール」という名のアパートが気になったのは、夕張でだった。それからというもの、どうしたわけだか「エスポワール」の前を素通りできない。

◆ 「エスポワール」の写真がたまったので、並べてみた。

◆ 並べてみたところで、どうということはない。ああ、またひとつこんなところに「希望」があったのだなあ、と思うばかりだ。

◆ 本来、希望というのは具体的なモノではないから、フランス語でも espoir は一般的には不可算名詞で、数えられないということになっている(語尾に複数の s がつかない)。

◆ でも、アパートの「希望」は数えられる。希望がひとつ、希望がふたつ、希望がみっつ……。フランス語で数えると、un espoir、deux espoirs、trois espoirs……。数えられる希望がいくつかあるとき、フランス語では複数形の不定冠詞 des をつけて、des espoirs という。これは「デゼスポワール」と読む。

◆ 希望がよっつ、希望がいつつ、希望がむっつ……。希望を数えるというのも奇妙なものだ。quatre espoirs、cinq espoirs、six espoirs……。なにやら番町皿屋敷のお菊さんになった気がする。お菊さんは1枚、2枚と皿を数えながら、同時に希望を数えていたのではないか?

◆ 7枚、8枚と希望が増えてゆく。希望を数えると、希望が増えてゆく気がする。けれど、ほんとうに増えているのは希望ではない。9枚。それまでだ。ワタシの「希望」の写真も残念ながら9枚しかない。

◆ 「エスポワール espoir」は、フランス語で「希望」の意。「希望」を「除去 dés-」したのが「désespoir」で、これは「絶望」のこと。これも「デゼスポワール」と読む。英語では、despair。

◆ des espoirs(いくつかの希望)も désespoir(絶望)も同じ「デゼスポワール」。

◇ Des espoirs, des espoirs, toujours des espoirs, puis finalement désespoir.
forum.horsjeu.net/bolton-arsenal-2-1-t542.html

◇ - Non, avant j'avais des espoirs, et maintenant je dis : désespoir.
- Et bien c'est pareil : D-E-S-E-S-P-O-I-R ! Mais au fait, as-tu dit des espoirs ou désespoir ?
- Laisse tomber... il y a tellement peu de différence...

www.hypsos.ch/Infos/viewtopic.php?f=18&t=363

◆ 「デゼスポワール」という名のアパートはまだ見たことがないが、もし見かけたら、それは「絶望」の意味ではなくて、「希望がいっぱい」の意味だと思うことにしよう。

◆ いまは、10枚目の「希望」を探しているところ。

◆ 台湾人に喜ばれる日本の土産物のひとつに「救心」があったそうだ。

◇ 「あんた、泊まるの?」
 いきなり日本語だった。部屋はあったが、予想していたよりは高かった。東南アジアの物価レベルに慣れていると、台湾の物価はかなり高ぐ感じる。
 おばさんは部屋のカギを渡し、私のバッグを指さした。
「救心、持ってる?」
「ええ」
「売りなさいよ。高く買ってあげるから」
 台湾に来る直前まで、「救心」という薬があることも知らなかった。「台湾へ行くよ」と友人に言ったら、彼の知人に救心とリンゴを持っていってくれと頼まれた。友人には世話になっているからことわりきれず、しかたなく運び屋になった。リンゴは重いから1キロだけ買ったが、台北の空港には段ボールひと箱のリンゴを持ち込もうとしている日本人がいくらでもいた。救心、中将湯、命の母など、戦前からある日本の古い薬は、日本の植民地時代を体験した台湾人たちには信仰にも似たブランドイメージがある。薬に限らず、日本製品はすべて最高の品物だと信じている。

前川健一『いくたびか、アジアの街を通りすぎ』(講談社文庫,pp.29-30)

◆ ↑は、台北駅裏で安宿を探していた著者の体験。日付は書いてない。似たようなハナシをネットで探してみると、多少は見つかる。

〔『ふあんねる Voy.4』:大川敏「船旅日記(プレジデント・ケネディーに乗って)」(1980年12月31日、高雄)〕 日本語の達者なおやじさんが店先にいて、盛んに私に話しかけてくる。今台湾では「救心」が非常に人気があることや、ニコンのカメラが高く売れると、私が聞きもしないことを次から次へ話してくる。
www.geocities.jp/funamushi21/funnel/Voy4/Voy4-7.html

〔URA(浦達雄)の台湾旅行記(1987年12月29日、台中)〕 夕食は名代レストランで北京料理を食べたが、ここの主人は北海道や東京にも行ったことがあると言って、写真を見せてくれた。そして、話しがはずみ、台湾の人が喜ぶ日本の土産物として、日本のりんご、梨、柿、荒巻鮭、家庭電化製品、電気鉛筆削り、正露丸・中将湯・サロンパス・救心等の医薬品を挙げてもらう。台湾の山地でりんごを栽培しているが、日本のりんごの方がはるかに美味しいとのこと。梨も同様である。
www2.meijo.ac.jp/mei-ura/taiwan.htm

〔高あきらのこの世の中なんでもあり〕 台湾の人は日本の薬が大好き。正露丸、太田胃散、武田のアリナミン、救心などがお土産として喜ばれる。
blog.oitablog.jp/takaakira/archives/2006/05/post_92.html

(2007年1月18日、新大阪駅構内の薬局) その女性の後に続いて、10名ほど中国語をはなす(台湾人)がドドドっと駆けつけて、あれよあれよという間に店頭にある『メンソレータムAD』を大量に買い占め、慌てて去っていきました。その後、ここの店員さんに『台湾の方よくこられるんですか?』と聞いてみると『観光客の方ですが、みなさん、商品名を書いたリストをもってきて大量に買い占めていきます。台湾で買うと高いらしいですよ~』と話してくれました。ついでに、中国系観光客に人気のある薬も聞いてみると、やっぱり一位は昔から変わらず『正露丸』、二位『救心』三位『メンソレータム』だそうです。
chaimama.blog62.fc2.com/blog-entry-160.html

◆ いまでもそうなのだろうか?

◆ ヒマを見つけては、古い写真の整理をしている。これは2007年3月2日の写真。どこで撮ったのかさっぱり憶えていないが、店舗の庇に書かれた電話番号を手がかりに検索すると、すぐに判明。立会川の恩田青果店。テレビ番組の「出没!アド街ック天国」でも取り上げられたらしい(2010年4月17日)。

◇ 恩田青果店:昭和32年創業の青果店。創業以来、毎日競馬場に野菜を卸しています。1日に競走馬およそ200頭分の食料を配達。人参や大根、キャベツなど計7種類の食材を用意。その中にはリンゴやバナナなどのデザートもあります。またお隣では花屋「お花の店 ブーケ」を経営しています。
www.tv-tokyo.co.jp/travel/spot/8328.html

◆ 写真を見直すと、なるほど右側には花が並べられ、庇の文字も「お花の店 ブー」まで読める。

◇ お花の店 ブーケ:花屋。恩田青果店のお隣にあるお店。こちらでは馬の餌ではなく、レースに勝った騎手へのお花のプレゼントに使われています。
www.tv-tokyo.co.jp/travel/spot/8330.html

◆ 青果店と生花店は同音異義語で紛らわしいが、この店の場合は、青果店でもあり生花店でもあるというわけ。

◇ 子どもの絵本で『ちいさいおうち』というのがあるでしょう? 最初は緑の丘の上に家が建つ。町が発展して、だんだんまわりにビルが建って、ついにビルの谷間に埋もれてしまう。それで、最後は、もう一度田舎に移るという。
建築三酔人『東京現代建築ほめ殺し』(新潮OH!文庫,p.100)

◆ バージニア・リー・バートン(Virginia Lee Burton)の『ちいさいおうち The Little House』の冒頭はこう。

◇ Once upon a time there was a Little House way out in the country. She was a pretty Little House and she was strong and well built.

◇ むかしむかし、静かないなかにちいさいおうちがたっていました。それは、ちいさいけれどとてもがんじょうにつくられた、強いおうちでした。
バージニア・リー・バートン『ちいさいおうち』(石井桃子訳,岩波書店)

◆ 訳者の石井桃子(1907年3月10日 - 2008年4月2日)は、101歳まで生きた。原文で「She(彼女)」と書かれる「ちいさいおうち」に、訳者の姿がだぶって見える(なんてことは読んでから書くべきだろうな、やっぱり)。

◆ 横浜市都筑区東方町。

◆ 櫻井寛『世界鉄道遺産』という新書版の本をぱらぱら読んでいると、オリエント・エクスプレスにかんして、

◇ アガサ・クリスティの名作『オリエント急行の殺人』、そして映画「オリエント急行殺人事件」など、数多くの小説や映画の舞台にもなった。
櫻井寛『世界鉄道遺産』(角川oneテーマ21,p.68)

◆ と書いてあって、ここで読書がふきだまりに突っ込んでしまったかのように急停車した。小説の『オリエント急行の殺人』と映画の「オリエント急行殺人事件」って、ジャンルは違うけどおんなじハナシじゃないの? と思ったからだ。数多くあるというのなら、なにもわざわざ1つのものを2つにして挙げることはないだろうに。もしかしてアガサ・クリスティの小説に基づかない「オリエント急行殺人事件」という映画があるのかと思って調べてみたが、どうもないようである。↓のように書いてあれば、問題なく通過したと思う。

〔西日本新聞:連載「新オリエント特急」(小野博人 2001/06/19)〕 アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」(一九三四年)、グレアム・グリーンの「スタンブール特急」(一九三二年)など、オリエント急行を利用した小説家たちによる作品が生まれ、映画化された。
www.nishinippon.co.jp/media/news/0107/olient/olient3.html

◆ グレアム・グリーンの『スタンブール特急』の原題は Stamboul Train だが、アメリカ版では Orient Express に改題された。これは、小説も読んでないし、映画も見てないので、通過。

◆ 「オリエント」ということで、たまたま読んだ本の引用をする(ほんとうは、こっちのことを書きたかったのだが、ハナシがまとまらなさそうだったので、「ついでに」ということにした)。フランスのブルターニュ地方にロリアンという町がある。

◇ 旅行中、ロリアン Lorient という名を道路の標識で幾度となく眺めながら、言葉遊びのようにオリエント(l’Orient=発音は ″ロリアン" というイメージが浮かんできたことはよく覚えているが、本当にこの町の名がオリエントを意味しているのだということには気づかなかった。だからあとになって驚いたのだけれども、実はこの町は十七世紀にフランス東インド会社の基地としてつくられた港が発祥で、そのために ″東方″ という名をつけられたという歴史があったのだ。
玉村豊男『パリのカフェをつくった人々』(中公文庫,p.148)

◆ 地味な身なりをしたこの町は、自分から過去の栄光をアピールなどしない。関心をもってくれたひとにだけ、「ああ、気づいてくれたんですか。それはどうもありがとう。べつにたいしたことじゃないんですけどね」と身の上話をし始める、そんな感じのする町だ。旅をして、目的地ではなく、途中で寄っただけの町になぜだか気が惹かれる。そういう、おまけの「たまたま」の部分がなければ、旅とはいえないだろう。などということを↑の文章から考え始めてしまうけれど、次の引用。

◇  なるほどこの十年間の間に、日本のあちこちの都市にエスニック料理店といわれるものが増えた。〔中略〕
 そもそもエスニック料理という名前をもった独自の料理が、この世界に存在しているのだろうか。これはワールドミュージックという言葉と並んで、かなり傲慢な、思い上がったモノのいい方ではないかと、私は思う。本当に実在しているのはタイ料理であり、モロッコ料理であり、韓国料理であって、こうしたそれぞれの料理には互いに何の関係もないのだ。ヨーロッパ人はよく自分たち以外の世界を、トルコから北アフリカ、インド、日本までを簡単に「オリエント」と呼んだが、私はこれほどに人を馬鹿にした話はないといつも考えてきた。きょうはエスニックでも食べにいきまショ、という表現を日本の女の子が使うとき、その言葉の滑稽さと傲慢とを考えてほしいのだ。

四方田犬彦『けだものと私』(淡交社,p.230)

◆ これは、ほんとにさっき読んだばかりの文章なので、これについては、考えるヒマもまだないが、せっかくだから、載せておく。

◆ 「オリエント」か。ワタシもなにか、オリエントにかんする写真でも撮っていなかったかな、と思って調べたら、こんなのが。横浜の中華街にある「オリエンタル旅館」。もともとは船乗りのための宿泊所だったらしい。宿泊レポートが《YOKOHAYA・YAMASHITA「東方旅社(オリエンタル旅館)」の旅:swalさんの旅行ブログ by 旅行のクチコミサイト フォートラベル》とか《中華街にある怪しい建物、オリエンタルホテルは営業してるのか!?[はまれぽ.com]》で読める。機会があればそのうち泊まってみたい。

◆ と、もう1枚が、最初に載せた写真。東方町。こちらにはあとで驚くような史実などなにも隠されていないだろうけど、せっかくだから、調べないでおこう。そもそも「東方」を「とうほう」と読むのかどうか。違うような気もするけど、これもせっかくだから、調べないでおこう。