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◆ 出会いというのは奇妙なもので(と書いてしまい、消すのも面倒なのでそのままにしておくが、なにもたいしたハナシではない)、静岡市駿河区小鹿にあるタミヤの第二物流センターの二つ星のロゴを見た数日後、ブックオフで『田宮模型の仕事』という文庫本を目にしたので、買って(105円)帰って読んだ。読んでから、すでに読んでいたことに気がついた(以前に同じくブックオフで同じく105円で買っていたのだった)。とはいえ、気がついたのは、読んだ記憶があるということだけで、内容はきれいさっぱり忘れていたのだが。この本の解説に、 ◇ 私は仕事がら世界中の都市を訪れるが、その世界の街で、あの星がふたつ並んだマークを眼にする。赤と青の四角の地に白く抜かれた二つの星。そのマークを見ると、その看板が掛けられた店が何を売っている店なのか一瞬にしてわかる。考えてみると、これはすごいことである。例えば、コカーコーラの看板も世界中で見掛ける。しかし、そこはコークを売っているキオスクかもしれないし、レストランかもしれない。看板はその店が何の店なのかまでは表しはしない。しかし、タミヤの星のマークが見えたら、そこはホビーショップ以外の何ものでもないのである。この星のマークは、もはやタミヤ一社のロゴでなく、プラモデルを含むホビー業界そのもののシンボルなのだ。知らない街でホビーショップをさがすときは、とにかくあの二つの星をさがせばよいのである。世界広しといえども、一社のロゴマークが業界そのもののシンボルになる、そんな会社はタミヤ以外ないのではなかろうか。
◆ 『田宮模型の仕事』は、講談社インターナショナルから英訳(Master Modeler: Creating the TamiyaStyle)も出版されているようで、その案内文には、こうあった。 ◇ The blue and red star logo of Tamiya is now recognized internationally as the mark of model kits of unrivalled quality and precision.
◇ 〔静岡ホビースクエア〕 静岡の模型の歴史は戦前の木製模型時代から遡れば半世紀以上の歴史があります。今や静岡の模型の出荷額は全国シェアの大半を占めるに至り、その歴史の長さと圧倒的なシェアから、静岡は「模型の世界首都」として世界中の模型ファンが集まる街へと成長しています。静岡が誇る模型の魅力と優れた地場産業をより多くの人に伝えたい。より多くの人に静岡のホビーを楽しんでほしい。そんな願いを込めて、2011年、新たなホビーの情報発信基地「静岡ホビースクエア」が誕生しました。 ◆ 写真は模型のタミヤの近くにあった「おちゃのタミヤ」。一族だろうか? |
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―― 君は逃げるつもりか。
◇ 〔NHKニュース:台風の倒木でリス30匹逃げ出す(2012/06/20 18:26)〕 東京・武蔵野市の動物園では、台風4号の影響で、高さ22メートルの大きな木が倒れて、リスの展示施設を壊し、およそ30匹のリスが逃げ出しました。 ◆ さいごの部分は、どうせなら、「武蔵野市に住む××××ちゃん(8さい)」のように、事件の目撃者である「小学生の女の子」の住所と名前と年齢も書いてあれば完璧だったろう。さらには、捕獲された11匹のインタビューも読みたかった。パンに釣られたやつは、自分のあさましさに恥じ入っているだろうか。網で捕らえられたやつは、自らを犠牲に多くの仲間を救ったことを誇らしく思っているかもしれない。聞くところによると、「放射能を避けるため、西へ逃げるつもりだった」と理由を述べたものもいたらしい。写真のリスも逃げたかどうか。 ◆ 根元から折れたというアカマツも気になる。 ◆ 冒頭の2行の引用は、太宰治の『猿ヶ島』から。青空文庫で読める。 |
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◆ 本をパラパラめくっていたら、 ◇ 「ダウン・バイ・ロー」というのは、どうだろう。一昔前のジャームッシュに同じ題名のフィルムがあったが、法律に叩かれて牢屋に入ったこともあるくらい、世の中を広く見ているくらいの意味である。ちょっと違うかな。まあいいや。(99・5・5/12) ◆ という箇所に目が止まったので書き写し、出典を明記したあとで、念のために確認しなおした。そしたら、書名を間違っていたので、訂正した。ワタシはなんと『けだものだもの』とタイプしていたのだった。それはさておき、ジャームッシュの「ダウン・バイ・ロー」。いや、さておいてはいけない。なぜなら、ワタシはこの映画のタイトルも「Down by Law」ではなく「Down by Low」だといまのいままで思っていたのだから。そんな「けだものの私」に「Down by Law」という英語の意味などわかろうはずもないので、他人の力を借りることにする。 ◇ 〔映画で英会話 Tango Tango!!:2009/07/17〕 タイトルの down by law には二つの違う意味があり、一つは、音楽(主にジャズ)のスラングで下積みを通して得た才能に対して「尊敬を得る」という意味。〔中略〕 もう一つは、刑務所で使われるスラングで、have someone's back 「誰かを支援する、応援する 支える」という意味があるそうだ。 ◇ 〔マガジンひとり:2009-09-21〕 「ダウン・バイ・ロー」とは、法にダウンさせられる、転じて “法や社会に縛られず自由に生きていける人間” なる意味のスラングで、頼りになる仲間という意味でも使われる。 ◇ 〔Mevrouwのブログ:2010/12/03〕 Down By Lawの意味を調べた。広い範囲で使われるのは、「Cool!」ということ。もうひとつはアメリカ南部のチンピラが言い出したスラングとかで、「ムショ仲間」のことらしい。ムショでダチになった同士は友情の証として、先に出たら服役中のダチの家族の面倒をみてやったりするのだとのこと。 ◇ 〔2012〕 『Down By Law』とは… 主に黒人のスラングで、下積みを通して得た才能に対して『尊敬を得る』という意味と、『誰かを支援する、応援する、支える』という意味を含む、『親しい兄弟のような間柄』を呼ぶ言葉。 ◇ down by law, as i understand it, is a hip-hop term. when an m.c. wants to declare his dopeness, and that everyone in the community agrees that he's dope, he'll say that he's "down by law". the movie title is obviously a play on words. ◇ 〔down by law - WordReference Forums:2004/11/04,〕 "down" dans ce sens veut dire (à mon avis) au bout du rouleau, abattu, vaincu, déprimé (comme dans "down and out in paris and london" - by george orwell) and "by law" veut dire "conformément à la loi". toutefois "down" peut aussi vouloir dire "southwards", et dans le film, les personnages s'enfuient vers le sud dans les bayou de la Louisianne. ◇ 〔flahute:2008/01/27〕 As slang, the phrase “down by law” carries a couple different meanings. In a musical sense (primarily jazz), “down by law” means having paid your dues, to have earned respect for your talent through hard work. In its other sense, that of prison slang, “down by law” means to have someone’s back. ◇ 〔DVDFile:2002/11/05〕 The interview [conducted in June of 2002] is interesting to listen to. In it, he discusses the meaning of the term "down by law" (originally prison slang, by the mid-80s, it came to mean you were close friends with someone). ◆ DVDの特典にジャームッシュのインタビューが収録されていて、そこで「Down by Law」の意味について自ら説明しているらしいので、これを聞けばこの問題は一件落着するのだろう。ネットでも文字に起こしたものが出まわっていたようだが、見つけられなかった。 ◆ 上のいろんな引用を読んだかぎりでは、なんとなく、「臭い飯を食った仲」という日本語が近いんではないかと思ったが、ちょっと違うかな。まあいいや。 |
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◆ フランス語の「belle」(ベル)は「美しい」という意味の形容詞「beau」の女性形だが、名詞として用いると「美しい女性(美女)」の意味にもなる。「眠れる森の美女」は「La Belle au bois dormant」で、「美女と野獣」は「La Belle et la Bête」(英語では、「Sleeping Beauty」に「Beauty and the Beast」)。「belle」で、よく知られているのが、もうひとつ。ビートルズの「ミッシェル」 ♪ ミーシェル マー ベル ◆ で始まる、ビートルズの「ミッシェル」。英語のサイトでは、「ma belle」を「my belle」と書いてあるサイトも少なくない(「my bell」と書いてあるサイトもある)。じっさいに聴いてみても、ワタシの耳では「ma(マー)」だか「my(マイ)」だかよくわからない。2つの歌詞サイトから歌詞を引用すると、 ♪ Michelle, ma belle. ♪ Michelle, my belle. ◆ となっている。さいしょの3行が英語で、つづく3行がそのフランス語訳という構成なら、1行目の「ma belle」は「my belle」(あるいは「my bell」)であってもいいような気もする。歌詞の設定としては、歌い手である英語圏の男性が、ミッシェルというフランス女性を好きになったはいいものの、フランス語があまり得意ではない。ミッシェルも英語があまりできない。覚えたてのフランス語を使ってコミュニケーションをとろうとするが、やはりフランス語ではもどかしい。で、英語だけれど、このコトバならキミにもわかると思うから、「アイ・ラブ・ユー、アイ・ラブ・ユー、大好きだ」、ってな感じだろう。このフランス語初心者の男性にとっては、「ma belle」だろうが「my belle」だろうが「my bell」だろうが、たいした違いはないだろうと思う。以下、勝手にこの男性のアタマのなかをのぞいてみると、フランス語で「ぼくの愛しい人」ってのは「マー・ベル」っていうらしいぞ、「マー」は「My(マイ)」のことで、「べル」ってのはよくわからないけど、英語の「bell(鈴、鐘)」とおんなじ発音だ、つまり「ぼくの鈴ちゃん」って覚えておけばいいんだな。妄想しすぎたか? ◆ 引用した歌詞の5、6行目は明らかにフランス語。引用した2つの歌詞には1箇所、「les(レ)」と「des(デ)」の異同がある。これは、じっさいに聴くと、ワタシには「デ」と聞こえることが多いし、フランス語としてもそのほうが自然だろうと思うが、いろいろなヴァージョンを聴くと、「レ」に聞こえるのもあって、わけがわからなくなる(参考:《paulmccartney.com :: View topic - Michelle》)。カタカナで表記してみると、 ♪ ソン デ(orレ) モ キ ヴォン トレ ビヤン ナンサンブル ◆ ぐらいになるか。このフランス語の箇所は、当然のことながら、フランス語を解さないひとにはお経を聞いているのと変わりない。日本人だけでなく、英語圏のひとにとってもそうである。お経ではなく意味のあるコトバの連なりとして聞き取ろうとした場合には「空耳」になり、「ソン・デー・モー・キー(sont des mots qui)」の部分が「Sunday monkey(日曜日の猿?)」に聞こえたりするらしい。「ミッシェル」の空耳を集めた《The Beatles - Michelle Funny Misheard Lyrics》から、一部を見てみると(5行目のみ)、 ・Sunday monkeys bone Trey Brennan's son, ◆ などなど。 ◇ 〔Houston Press〕 I misheard the French-language section of "Michelle" -- "Michelle ma belle / sont les mots qui vont très bien ensemble / très bien ensemble" -- as "Michelle, my belle, Sunday monkey go play piano song, pi-a-no song," and I see from numerous Internet sites that I was far from alone. How are American five-year-olds supposed to know French? ◆ ミッシェルといえば、アメリカのオバマ大統領婦人の名が、ミッシェル。ポール・マッカトニーがホワイトハウスで大統領夫妻を前にしながら「ミッシェル」を歌った動画が《YouTube》にあった。ここに「日曜日の猿」がいるかどうかを一度確かめてみてほしい。 |
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◇ 〔『週刊朝日』2012年6月22日号:大林宣彦〕 僕が尾道で撮った「尾道三部作」は大勢の人に愛してもらえて、多くの人が尾道を訪れてくれました。しかし地元の行政関係者の間では、「大林は尾道の発展を30年遅らせたアホ監督だ」と言われています。僕は町をこのまま残してほしいという気持ちで、崩れた土塀やひび割れた瓦屋根や、歩きにくい山道ばかりを撮った。行政にすれば、尾道の恥ばかりを、日本のみならず世界にもさらしたというわけです。 ◆ そういえば、尾道には行ったことがない。あれこれ考えるのは、行ってみてからにしたいが、とりあえず行く予定はないので、下調べがてらネットを見ていると、《尾道空き家再生プロジェクト》というのを見つけた。
◆ 山手地区の「不思議で個性的な」建築には、「ガウディハウス」なんてもあるらしい(画像も同サイトより)。 ◆ ついでに、思いつきで、ふたたび岡村孝子の「夢をあきらめないで」の一行。 ♪ 乾いた空に続く坂道 後ろ姿が小さくなる ◆ 尾道も坂の町である。ということで、この「坂道」の情景が尾道の山手地区であるとするなら、どうだろう。ここで歌われている「坂道」は「乾いた空に続」いているのであるから、上り坂ということになる。後ろ姿の「あなた」は、坂を上って遠ざかっていくわけだろう。駅に行くには坂を下らなければならない。坂を上ってどこへ行くのか? 坂の上に実家があるのかもしれないが、それでは夢をあきらめてしまったひとのハナシになりそうだ。あるいは、山を越えて、反対側の町に出るつもりか? 「熱く生きる瞳」の持ち主である「あなた」なら、それぐらいのことはやりかねないかもしれないが、情景設定としては特殊すぎるだろう。それに、尾道の山手地区の坂道は狭く曲がりくねっているのが多そうだから、「乾いた空に続」くような広々とした坂道自体がないような気もする。というわけで、この歌の「坂道」は尾道の山手地区には存在しないだろうな、と思った次第。いつか、じっさいに尾道に行って坂道を歩けば、そのときに、また思いだすだろうと思う。 |
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♪ 乾いた空に続く坂道 後ろ姿が小さくなる ♪ 夕焼けに小さくなる くせのある歩き方 ◆ 似たような情景を歌ったこれらの歌詞の後者のほうを、先に「俳句的味わいがある」と書いて、じっさいに俳句にすれば、どのようなものになるだろうかと、散歩の途中に考えてみたが、俳句の作法も知らないし、才能もないようなので、 ◇ 夕焼けに 遠ざかるひとの 歩き方 ◆ ぐらいしか思いつかなかった。ちなみに「夕焼け」は夏の季語だそうだ。デキはともかく、俳句をひねっているうちに、「夕焼けに小さくなる くせのある歩き方」の一行が「俳句的」だなと感じた理由のひとつが、「体言止め」にあったのだと気がついた。気がついたが、「体言止め」とはなんなのかについてあまり理解していないことにも気がついた。ちょっと国語の復習をしてみよう。 (1)◇ 〔緑ブタ先生の高校受験国語の時間ですよ〕 体言止め・・文末を体言(名詞)で止めること。 ◆ さいごの文は、俳句ではいちいち「体言止め」だと指摘するのもバカらしくなるほど「体言止め」が多用されている、と理解する。 (2)◇ 【体言止め】 和歌・俳諧などで、句の最後を体言で終えること。言い切った形にしないために、余情・余韻をもたせることができる。「新古今集」に多く使われ、その特徴の一つとなっている。名詞止め。 ◆ なるほど、以下に例示される2つの和歌も(たまたまなのか)「新古今集」からだ。 (3)◇ 〔国語の散歩道〕 ○心なき身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行法師) ◆ ↑の説明は、よくわかる。「絵や写真のように、そこにその景色がポンと置かれるような感じ」というのは、なるほどなと思う。それに対して、『大辞林』の「言い切った形にしないために、余情・余韻をもたせることができる」というのは、ワタシにはピンとこない。これら2つの説明は、正反対のことを言っているようにも思える。「体言止め」といっても、いくつか種類があるのではないか? それとも、観点が異なるからか? (4)◇ 〔くろねこ@国語塾〕 〔「体言止め」とは〕どんなんかと言うと、とにかく名詞・代名詞でぴたっと文が終わること。例えば、この例の『古池や 蛙飛び込む 水の音』は、普通の文やったらどうやって終わる?」 ◆ これなどは『大辞林』の説明に沿った文例だと思うが、ワタシは「古池や 蛙飛び込む 水の音」が中途半端である(言い切っていない)ようにはまったく感じないので、「古池や 蛙飛び込む 水の音がした」に変換する意味がよくわからない。そもそも、これは「『普通』の『文』」ではない(「普通」でもないし「文」でもない)と思う。 (5)◇ 〔マンガの修辞学:名詞止め(別名:体言止め)〕 〔「体言止め」は〕名詞が、文の最後に来る。それはつまり、名詞以降の「動詞・助動詞」が省略されるということです。そこで、省略された語が何なのかを探っていくうちに、省略部分の意味を埋め合わせる部分を想像していくことになります。これが「余情」ということです。 ◆ なんとなくわかってきた(書きながら考えているので、こういう書き方になる)。上に見られるような、「体言止め」には「余韻」とか「余情」があるといった説明は、「体言止め」が(述語などを欠いた)「不完全な文」だと考えることからくるのだろう。 (6)◇ 〔Wikipedia:文〕 文(ぶん)とは、一つの完結した言明を表す言語表現の単位である。基本的には主語と述語(一方が省略されることもある)からなる。 ◆ 「文」がそのようなものだとすれば、なるほど「体言止め」は「不完全な文」だということになるだろう。しかし、コトバがすべて「文」の形を取らなければならないということもない。なんでもいいが、たとえば「東京特許許可局」というコトバに対して、これは「なにかが省略されている不完全な文」であり、このコトバには「余韻」「余情」が感じられる、というようなひとがいたら、ちょっとどうかしているのではないか? ◆ 収拾がつかなくなってきたので、ハナシを、先に引用した「よくわかる」説明に戻すと、 (3)◇ ○光る海。 ◆ この「光る海」と「海が光る」の対比は、(すべてではないにしても)ある種の「体言止め」をうまく説明しているようにワタシには思われる。「夕焼けに小さくなる くせのある歩き方」の「歩き方」のあとになにか省略されていると考えることには無理があると思うが、「くせのある歩き方が夕焼けに小さくなる」へはスムーズに変換できるだろう。そうなると、これは一種の「倒置法」ではないかという気もして、《教えて!goo》の、 ◇ ちょっと今更この年で聞くのも恥ずかしいんですけど、倒置法と体言止めっていっしょなんですか?なんか見た感じ同じにみえるんですけど、どなたか、ここが違うってところを知っていたら教えてください。 ◆ という質問者と同じことを質問したくなるが、その回答は、予想通りに「全然違います」だったりするので、質問しないで、自分で考えることにする。 ◆ (しばらく考えた結果)要するに、ある種の「体言止め」には「倒置法」に基づくものもあるということなのだろう。「海が光る」を「倒置」した「光る、海が」から「が」を取れば、「体言止め」である「光る海」になる。 ◆ とはいえ、どうして「が」を取るのか?、と聞かれても答えられないので、「倒置法」に基づくと説明はあまり説得力がないかもしれない。この種の「体言止め」というのは、英語でいえば、(関係詞を用いた)「先行詞+形容詞節」という表現に近い感じがする(「The sea is sparkling.」→「the sea which is sparkling」)。 ◆ そうして、こうした「体言止め」が「絵や写真のように、そこにその景色がポンと置かれるような感じ」がするのは、さいごに置かれた「体言(名詞)」がそれにかかるすべてのコトバをまとめあげ、いわば「額縁」として機能するからだろうと思う。また、「体言止めは、写真芸術に似ています」というコトバにはたんなる比喩を越えた関連があるとも思うが、もう少しじっくり考えてみることにしよう。 ◆ ついでながら、岡村孝子の「夢をあきらめないで」の ♪ 心配なんてずっとしないで 似てる誰かを愛せるから ◆ という一行は、どうにも不気味で、かなり怖い。 〔補遺〕◆ (5)の《マンガの修辞学》には「体言止め」とはべつに「名詞提示」という分類項目もあった。 (7)◇ 〔マンガの修辞学:名詞提示〕 似たようなレトリックとして、「体言止め(名詞止め)」というものがあります。「名詞提示」も「体言止め(名詞止め)」も、ともに名詞だけがポツンと置かれることによって効果をしめすというところは似ています。しかし、この2つは異なります。「名詞提示」は、ただ名詞を置いて並べたもので、そのうしろに特に省略した言葉が見当たらないものです。その点で、「体言止め(名詞止め)」とは区別されます。 |