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◆ 森鴎外『伊沢蘭軒』より、蘭軒の愛猫トキの逸話。 ◇ 伊沢分家の口碑に伝ふる所の猫の事は、聴くがままに記すれば下(しも)の如くである。 ◆ 「人語を解する」猫については、以前「ネコのお土産」という記事を書いたときに参照した「猫ちゃんが捕まえてきてビックリした生き物は何ですか?」(《発言小町》)にも、似たような話がいろいろ出てくる。 ◇ 昭和40年代前半、広いお庭に大きな池のある田舎の家に住んでいました。池には立派な金魚がいっぱい。人影が映ると、エサが貰えると思って岸に寄ってくるほど馴れていました。その金魚をノラちゃんがツメで引っかけて持って行っちゃう。そこで、母が「金魚を捕らないで、ネズミでも捕ればいいのに。」とひとり言。翌朝、縁側から庭に下りる踏み石の上に、ネズミの頭とシッポだけがきれいに並べて置いてあったそうです。(もちろん実話です。) ◇ 昔、近所の野良にえさをあげたら、その子が毎日うちの玄関にねずみの死骸を置くようになりました。ただでさえねずみが苦手な母は、毎朝玄関を開ける度「ぎゃーー!!」 母はこんこんと「もうお礼はいいから。持って来たら餌あげないよ!」と説教。翌日からは持ってこなくなりました。 ◇ うちの猫たちは、1匹が敏捷で、よくねずみやら鳥やらを捕まえてきます。もう1匹は、デブ猫なので?捕まえてきたことはなかったのですが、ある時、敏捷な猫の方が捕まえて遊び飽きて放置したねずみを、デブ猫がくわえて見せに来たことがあります。しかも、得意げに「とってきたよー!」という感じで。いや、おまえじゃないだろ!と思わず笑ってしまいました。あと、敏捷な子に「最近とってこないねー」と言ったら、それから1週間連続で私の枕元に獲物を供えてくれました!! ◆ こういうハナシは読んでいて飽きない。 |
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◇ 「それが好いよ。奥様の鼻が大き過ぎるの、顔が気に喰わないのって そりゃあ酷い事を云うんだよ。自分の面あ今戸焼の狸見たような癖に あれで一人前だと思っているんだからやれ切れないじゃないか」
◇ 【今戸焼】 今戸で作った素焼きの土器。天正年間(1573-1592)に始まるといわれ、茶道具・瓦・火鉢などを製した。 ◇ 【今戸焼】 1 今戸で産した焼き物。天正年間(1573~1592)に始まるといわれ、素焼きを主とし、日用雑器・瓦や人形などの玩具も作った。2 《今戸人形の顔から》不器量のたとえ。 ◆ もう少し詳しい説明。 ◇ 今戸焼きは、素焼きの土器を今戸焼と総称したくらい盛んに製造されたもので、焙烙(ほうろく)、人形、灯心皿、瓦燈(かとう)、土風炉(どぶろ)、豚の蚊やり、七輪 、火鉢、猫あんか、植木鉢、招き猫、狸、稲荷の狐、鳩笛など高級品はないが素朴な味わいで人気が高い。瓦職人が余技で焼き始めたともいう。不細工な顔形を今戸焼きの福助とか今戸焼きのお多福とか悪口にした。 ◆ 次も上記のサイトから。 ◇ 昼にソバ屋に入り今戸神社に行く道順を聞き、今戸焼きの話をすると、「今戸神社ではそんな ”どら焼き” 売ってないよ」とご忠告。今戸と言うところは何でこんなに言葉がかみ合わないのでしょう。 ◆ この意味がわかるだろうか? 書きたかったことのひとつが、このことだ。インターネットをやり始める以前に、今戸焼が気になったことがあって、図書館であれこれ調べたことがあった。そのなかの一冊に、今戸焼を今川焼と記していたのがあって、大笑いしてしまった・・・。 ◆ 今戸焼と今川焼。 ◇ 今川焼きって浅草が発祥らしいですよ。今戸という地名があるのですが、今戸→今川になったようです? ◇ わが町浅草ではやっぱり今川焼きと呼んでいますよ。アッもう一つ呼び名今戸(地名)焼きとも… ◇ すいませ~ん。とんでもない勘違いをしておりました~(^ω^) アンコの入っている食べ物は・・・今戸焼じゃなくて・・・今川焼きでした~(^ω^) ◇ えへ、焼き物には目がない!? と言いながら はじめ、私ったら今川焼かと思ってしまいました。(あちゃ) ◇ 私は今戸焼きと今川焼きをずぅっと間違えてました。可愛い招き猫が沢山置いてある縁結びの神社です。 ◆ 時間がなくなったので、続きはまた。 |
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◆ 青空文庫を「山椒」で検索したら、こんな文章にも出くわした。 ◇ 「こうもり、こうもり、山椒食わしょ。」 ◆ というわけで、ハナシはコウモリに移る。かつて子どもたちは地方独自のわらべ歌を歌いながら、コウモリを追いかけ回したものらしい。 ◇ 父さんの田舍では、夕方になると夜鷹といふ鳥が空を飛びました。その夜鷹の出る時分には、蝙蝠までが一緒に舞ひ出しました。 ◇ 蝙蝠来い 仲間の子供たちが声を揃へて喚(わめ)き出したので、お涌も井戸端から離れた。 ◇ 夏の夕方はめいめいに長い竹ざおを肩にしてあき地へ出かける。どこからともなくたくさんの蝙蝠が蚊を食いに出て、空を低く飛びかわすのを、竹ざおを振るうてはたたき落とすのである。風のないけむったような宵闇に、蝙蝠を呼ぶ声が対岸の城の石垣に反響して暗い川上に消えて行く。「蝙蝠来い。水飲ましょ。そっちの水にがいぞ」とあちらこちらに声がして時々竹ざおの空を切る力ない音がヒューと鳴っている。にぎやかなようで言い知らぬさびしさがこもっている。蝙蝠の出さかるのは宵の口で、おそくなるに従って一つ減り二つ減りどことなく消えるようにいなくなってしまう。すると子供らも散り散りに帰って行く。あとはしんとして死んだような空気が広場をとざしてしまうのである。いつか塒(ねぐら)に迷うた蝙蝠を追うて荒れ地のすみまで行ったが、ふと気がついて見るとあたりにはだれもいぬ。仲間も帰ったか声もせぬ。〔中略〕 名状のできぬ暗い恐ろしい感じに襲われて夢中に駆け出して帰って来た事もあった。 ◇ その本〔西瀬英一『南紀風物誌』〕に、南国のたそがれ、子供達が竿をたづさへて路上へでる。「蝙蝠ほい……」と呼びながら飛ぶ蝙蝠を竿で叩き落さうとして、その一日の落日の中をはしやぎまはるといふ、南国に育つた人にはその嫋々(じようじよう)たる郷愁に結びついて忘れられない幼時の夢だといふことが書いてあつた。 ◇ 蝙蝠来い。 ◆ 最初に引用した岡本綺堂の「こうもり、こうもり、山椒食わしょ」の前後を含めてふたたび引用すると、 ◇ 夏のゆうぐれ、うす暗い家の奥からは蚊やりの煙がほの白く流れ出て、家の前には凉み台が持ち出される頃、どこからとも知らず、一匹か二匹の小さい蝙蝠が迷って来て、あるいは町を横切り、あるいは軒端を伝って飛ぶ。蚊喰い鳥という異名の通り、かれらは蚊を追っているのであろう。それをまた追いながら、子供たちは口々に叫ぶのである。 ◆ どうして山椒がでてくるのかよくわからないが、 ◇ 文句は地方によって多少異なるが、「蝙蝠来い、山椒くりょ。柳の下で水飲ましょ」という、蝙蝠が飛ぶのを見て歌う童謡を踏まえたもので、 ◆ と、曲亭馬琴『廿日余四拾両・盡用而二分狂言』の註釈(高木元)にもあった。 ◆ コウモリといえば、夏の夕暮れ。 ◇ 蝙蝠(かわほり)の飛ぶのもしばしば見た。夏の夕暮には、子供が草鞋(わらじ)を提(さ)げて、「蝙蝠(こうもり)来い」と呼びながら、蝙蝠(かわほり)を追い廻していたものだが、今は蝙蝠の影など絶えて見ない。
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◆ 青空文庫を「山椒」で検索したら、こんな文章も。山椒のハナシではないので、先のエントリーでは省いたが、おもしろいので載せておこう。 ◇ 「月ケ瀬」は戎橋の停留所から難波へ行く道の交番所の隣にあるしるこ屋で、もとは大阪の御寮人さん達の息抜き場所であったが、いまは大阪の近代娘がまるで女学校の同窓会をひらいたように、はでに詰め掛けている。デパートの退け刻などは疲れたからだに砂糖分を求めてか、デパート娘があきれるほど殺到して、青い暖簾の外へ何本もの足を裸かのまま、あるいはチョコレート色の靴下にむっちり包んで、はみ出している。そういう若い娘たちにまじって、例の御寮人さんは浮かぬ顔をして突っ立ち、空いた席はおまへんやろかと、眼をキョロキョロさせているのである。そして私もまた、そこの蜜豆が好きで、というといかにもだらしがないが、とにかくその蜜豆は一風変っていて氷のかいたのをのせ、その上から車の心棒の油みたいな色をした、しかし割に甘さのしつこくない蜜をかぶせて仲々味が良いので、しばしば出掛け、なんやあの人男だてらにけったいな人やわという娘たちの視線を、随分狼狽して甘受するのである。 ◆ ああ古き良き大阪だなあ。 |
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◆ サンショウウオで山椒が気になって、《青空文庫全文検索》で、「山椒」を検索してみた。以下はその結果の一部。読書というにはほど遠いかもしれないが、ワタシはこういう断片の文章を読むのが、ことのほか好きなもので。 ◆ まず、薄田泣菫(すすきだきゅうきん)の人間的な山椒の木。 ◇ 勝手口にある山椒の若芽が、この頃の暖気で、めっきり寸を伸ばした。枝に手をかけて軽くゆすぶって見ると、この木特有の強い匂が、ぷんぷんとあたりに散らばった。/ 何という塩っぱい、鼻を刺すような匂だろう。春になると、そこらの草や木が、われがちに太陽の光を飽飲して、町娘のように派手で、贅沢な色で、花のおめかしをし合っているなかに、自分のみは、黄色な紙の切屑のようにじみな、細々した花で辛抱しなければならず、それがためには、大気の明るい植込みのなかに出ることも出来ないで、うすら寒い勝手口に立っていなければならない山椒の樹は、何をおいても葉で自らを償い、自らを現すより外には仕方がなかった。そして葉は思いきり匂を撒き散らしているのだ。 ◆ 『丹下左膳』から2件。「おどろき桃の木山椒の木」に「山椒は小粒でもピリッとからい」。江戸っ子だ。 ◇ 「エエ町内のお方々、おさわがせ申してあいすいません。火事は遠うごぜえます。葛西領は渋江むら、渋江村……剣術大名司馬様の御寮――」 ◇ 「なんのお前様、唐人の化けの皮を一目で引ん剥いだ、御眼力、お若えが恐れ入谷の鬼子母神……へっへっへっなんでごわす? ま、そのお話てえのをザッと伺おうじゃアげえせんか、あっしもこれで甲州無宿山椒の豆太郎――山椒は小粒でもピリッとからいや。ねえ、事の仔細を聞いたうえでサ、案外乗り気に一肩入れるかも知れませんぜ」 ◆ 岡本綺堂の『半七捕物帳』から。酒のつまみ。 ◇ 半七は礼を云って表へ出ると、路の上はすっかり暗くなって、遠い辻番の蝋燭の灯が薄紅くにじみ出していた。藤屋という酒屋を探しあてて、表から店口を覗いてみると、小皿の山椒をつまみながら桝酒を旨そうに引っかけている一人の若い中間風の男があった。 ◆ 和菓子「切山椒」2件。 ◇ 楊庵は肥胖漢(ひはんかん)で、其大食は師友を驚かしたものである。渋江抽斎は楊庵の来る毎に、例(いつ)も三百文の切山椒を饗した。三百文の切山椒は飯櫃の蓋に盛り上げる程あつたさうである。 ◇ 大丸のまむこうに、大丸出入りの菓子や「かめや」あり、旅籠町通りに大丸とならんで大丸の糸店と扇店があり、「みすや針店」のとなりが森田清翁という、これも出入りの菓子や。十月十九日べったら市の日には店へ青竹にて手すりを拵(こし)らえ、客をはかって紅白の切山椒を売りはじめます。たいした景気、極々よき風味なり。向側の「かめや」にても十九日にはやはり青竹にて手すりをこしらえ、柏餅をその日ばかり売ります。
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