MEMORANDUM

◆ 千葉県に落花生で有名な八街(やちまた)という市がある。ふと地名の由来が気になって調べてみると、

〔八街タウン〕 明治政府の政策によって、放牧地だった小金・佐倉両牧が開墾され、最初に開墾された地は初富と名付けられました。以降、開墾地には着手の順序と吉祥の意味をもつ文字を組み合わせた名が付けられ、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三の地が開墾されました。つまり、開墾が8番目だったことから「八街」と名付けられたのです。
www.yachimata-town.com/history/

◆ 明治維新によって職にあぶれた武士の失業対策として、明治政府は北海道をはじめ全国各地に武士を入植させ、農地の開拓にあたらせた。千葉では、幕府の馬牧場だった土地の開墾が計画され、その八番目の開墾地が「八街」と名づけられた、ということらしい。つまり、八街は開墾地八番という意味。

  • 初富(はつとみ) 現在鎌ケ谷市の一部
  • 二和(ふたわ)・三咲(みさき) 現在船橋市の一部
  • 豊四季(とよしき) 現在柏市の一部
  • 五香(ごこう)・六実(むつみ) 現在松戸市の一部
  • 七栄(ななえ) 現在富里市の一部
  • 八街(やちまた) 現在八街市
  • 九美上(くみあげ) 現在香取市の一部
  • 十倉(とくら) 現在富里市の一部
  • 十余一(とよいち) 現在白井市の一部
  • 十余二(とよふた) 現在柏市の一部
  • 十余三(とよみ) 現在成田市、香取郡多古町の一部
ja.wikipedia.org/wiki/八街市

◆ 開墾地1番から13番まで、仕事がらなじみの地名も多い。これまで一連のものとして考えたことはなかったので、つなげてみると、妙にすっきりした気分。

◆ 開墾地四番は豊四季(とよしき)。3年前、豊四季を通ったとき、「豊四季駅前四軒横丁」には、2軒しか飲食店がなかった。いまはどうなっているだろうか?

  あくび

◇ 欠伸(あくび)がしたくてたまらない。
夏目漱石 『吾輩は猫である』(青空文庫

◆ と述べているのは「名前はまだ無い」ネコで、たまたま(タマではない)このネコの飼い主がこのネコの写生を始めたものだから、このネコは主人のためにあくびも我慢せざるをえななくなってしまったというあんばい。ふつうのネコなら、あくびをしたいときにしてなんの問題もない生活を日々送っている(のだと思う)。「のだと思う」と付け加えたのは、こちらが間近で写真を撮っていたりすると、あくびをしたあとで、ちらとこちらを見て、ちょっと恥ずかしそうなそぶりをすることもあるからだ(たぶん、気のせいであるのだろうけど)。

◆ おともだちの自転車女さんの言うとおり、

◇ 知らない人間のアクビを見てもうれしくもなんともないけれど、ネコやイヌのアクビを見ると何となく微笑んでしまいます……

◆ もちろん、ネコやイヌのあくびにかぎらない。たとえば、シカのあくびだって、微笑むには十分だ。問題は「知らない人間」のあくび。

〔教えて!goo〕 時代の流れとでもいうのでしょうか、電車に乗っていて女性で口に手もやらず大あくびをする人がこのところ増えたように感じています。
oshiete1.goo.ne.jp/qa2466286.html

◇ 近頃電車で手で覆うことなく欠伸をする女性を見かけるようになりました。
jjig2.exblog.jp/9599648/

◆ ワタシもそう思う。なにも電車のなかにかぎらない。あくびをしながら歩いている女性をさいきんよく見かける。このようなことを書くと、

◇ 女が、男より行儀をよくしなければならないということ。人前で足を出してはいけない、欠伸をしてはいけない、思うことを云ってはいけない。そんな不公平なことはありません。女だって男と同じように疲れもする、欠伸もしたい、云い度(た)いと思うことは沢山ある。疲れやすいこと欠伸をしたいことなどは、むしろ男より女の方がよけいかもしれない。それだのに、なぜ、昔から男は、食後でも人前でも勝手に足を出し欠伸をし、云い度いことも云えるのに、女にそれが許されないのだろう。
岡本かの子 『女性の不平とよろこび』(青空文庫

◆ というふうな文脈でハナシが進みそうになるが、あくびを手で隠すかどうかというのはあくまでマナーの問題であって、これにはあまり関心がない。気になっているのは、かくも頻繁にあくびが出てしまうような身体の状態のほう、ひいては、多くのひとをそのような状態にさせてしまうような社会のアリカタのほうなのだが、こんなことを考えはじめると、いくら時間があってもたりなくて、すぐに眠たくなって、ついあくび。もう寝よう。あしたの朝は早いから。

◆ 東京はいま、雨が降っている。けして雪ではない。文庫本を読みながら、ときおり、雨音を聞いている。

◇ 気温がゆるんで霙(みぞれ)まじりの雨が降る日もあったが、やがて牡丹雪(ぼたんゆき)が舞い、それも粉雪に変った。かれらは戸外に出ることもせずに炉の近くで身を寄せ合ってすごしていた。
吉村昭 『羆嵐』(新潮文庫,p.12)

◆ 粉雪といえば、以前コブクロの歌詞のことをしつこく書いていた時期があったが、そのときに「粉雪」という記事で、コブクロの「NOTE」とレミオロメンの「粉雪」を取り上げて、歌詞のなかの「粉雪」の使い方がおかしいのではというハナシを書いた。あたりまえといえばあたりまえだが、小説家は「粉雪」をおかしく使わない。それを確認してほっとした。こんなのもある。

◇  青空に粉雪が舞っていた。冬の太陽を受けた小さな破片が、白一色に埋もれた大地にきらきら光りながら落ちてくる。銀色にそそり立つ山嶺も、山々に囲まれた盆地の村も、粉雪を浴びて明るく輝いている。
 空の涙みたいだ。

坂東真砂子 『山妣』(新潮文庫

◆ 雨だって「空の涙」だろう、というのは負け惜しみ。

◆ 先に書いたとおり、いま吉村昭の『羆嵐(くまあらし)』という小説を読んでいる。タイトルでは「クマ」と読ませている「羆」という漢字、これは「ヒグマ」のことで、ふつうの内地の)「熊」とは異なる。

◇ 東北地方からの移植者であるかれらには、羆が恐ろしい肉食獣であるという意識は薄く、熊はどことなく愛らしく、動作の飄々(ひょうひょう)とした動物のようにも感じていた。しかし、渡道して以来かれらは、多くの先住者たちから羆が内地の熊とは異なった野生動物であることを知らされていた。内地の熊が最大のものでも三十貫(110キロ余)程度であるのに、羆は百貫を越えるものすらある。また内地の熊が木の実などの植物を常食としているのとは異なって、羆は肉食獣でもある。その力は強大で、牛馬の頚骨(けいこつ)を一撃でたたき折り内臓、骨まで食べつくす。むろん人間も、羆にとっては恰好の餌にすぎないという。
吉村昭 『羆嵐』(新潮文庫,p.30)

◆ この「羆」という漢字を、ワタシは西村寿行の小説で覚えた。羆の登場する作品は数多くあるが、たとえば、『赤い鯱(しゃち)』から、

◇  黒褐色の体毛を持った羆を金毛(きんげ)と呼ぶ。金毛は凶悪、獰猛な正確を有する。人間を喰う羆といえば、金毛である。
 人家の板壁を掻き破って侵入し、妊娠中の主婦の腹を喰い、家族をつぎつぎと叩き殺した羆がいる。北海道はじまって以来の凶悪な羆だった。結局、七人を殺し、三人に重傷を負わせた羆は射殺されたが、これが金毛だった。

西村寿行 『赤い鯱』(講談社文庫,p.10)

◆ それで、この「北海道はじまって以来の凶悪な羆」の事件を小説化したのが、いま読んでいる吉村昭の『羆嵐』というわけ。大正4年12月、この開拓民を襲った未曾有の大惨事は「三毛別羆事件」と呼ばれている。

三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん、六線沢熊害事件苫前羆事件とも)とは、1915年12月9日~12月14日にかけて、北海道留萌苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)六線沢で発生した日本史上最大最悪の熊害(ゆうがい)事件。冬眠に失敗した空腹のヒグマが数度にわたり民家を襲い、当時の開拓民7名が死亡、3名の重傷者を出すという被害があった。
ja.wikipedia.org/wiki/三毛別羆事件

◆ そういえば、「北海のヒグマ」と呼ばれた代議士がいて、謎の死を遂げた。彼の息子も先月死去したが、その理由ははっきりしない。いや、それよりも、ここしばらくマスコミをにぎわせている鳥取の女性。週刊誌でその容貌を見たが、彼女はもしかして「鳥取のヒグマ」と呼ばれてはいなかっただろうか。なんでも、彼女のまわりでは七人もの男性が変死しているということらしいのだが。どうにも、ハナシが血腥(なまぐさ)くなってしまって、いけない。こんなときには、札幌千秋庵の「山親爺」でも食べてくつろぐにかぎる。

◆ また前置きが長くなると困るので、一枚の写真を先に掲げておこう。テルメ金沢の写真。剥製のシロクマ、手前に仮眠室からあぶれて背もたれのない椅子にだらしなく寝ている男、その横にすでに起きて新聞を読む男。この写真が、さいきんの「お気に入り」の一枚。見ていて飽きない。見ているあいだにいろんなことがアマタをよぎる。たとえば、

◇ 草がこいの小舎(こや)に住むかれらは、穴居生活をしてい時代の人間たちと大差ない生活をしている。それは、地上に棲息する動物の一種属として、自然の変化に容赦なくさらされた生活であった。穴居していた人間たちは、強大な力をもつ肉食獣の食欲を満たす存在にすぎなかったはずである。が、生命を守る手段として刀槍を手にし、遂には銃器を得ることによって、獣類と対抗し打ち克(か)つことができるようになった。
吉村昭 『羆嵐』(新潮文庫,p.43-44)

◆ これは、いま読んでいる吉村昭の『羆嵐(くまあらし)』という小説の一節だが、上の写真を見ながら、「よくもまあ、クマの目の前で、(銃も持たずに)のんびりと寝ていられるものだなあ」と思ったり、男の寝相に「ニンゲンもどうぶつなのだなあ」と感心したり。その他いろいろ。

◆ 一枚の写真に、たとえば、そのようなことを思ったりする。この「たとえば」が多ければ多いほど、「いい写真だなあ」と思うのだと思う。

◇ 「大阪城を建てたのは誰?」「豊臣秀吉!」「違うよ、大工さんだよ」「ぎゃふん」
www.potalaka.com/potalaka/potalaka226.html

◆ 毎日、写真を撮っている。そう書いても間違いではないだろうが、プロの写真家であるわけでもないので、ワタシがしているのはシャッターを押すことくらいで、写真をほんとうに写しているのはカメラだ、という意識が強い。写真を撮ってほしい場所にカメラを連れていって、カメラに「ここの写真を撮ってください」とお願いをする。「準備ができたから、シャッターを押せよ」とカメラが言うのに「はい、わかりました」と応えてシャッターを押す、いつもそんな感じで写真を撮っている。

◆ カメラが撮った写真を、パソコンのディスプレイで改めて見て、「PhotoDiary」用に編集をする。写真を撮ったのはワタシではなくてカメラだ、とつくづく思い知らされるのはそのときで、シャッターを押したのが自分であることなど忘れて、ときどき「この写真、いいなあ」とか思ったりする。一般的には、「いいなあ」とワタシが思った写真を撮ったのもワタシということになるので、それでは自己満足になるほかないが、写真を見ているときには、ワタシはたんなる鑑賞者なので、だれが撮ったのかということは気にならない。ただ、好きな写真とそうでない写真があるばかりである。

◆ 前置きが長くなってしまったので、前置きだけにしておく。

◇ ペンギンとホッキョクグマの赤ちゃん誕生

◆ というニュースの見出しにびっくり。よく読むと、

〔MSN産経ニュース〕 和歌山県白浜町のレジャー施設「アドベンチャーワールド」で、ホッキョクグマとエンペラーペンギンの赤ちゃんが相次いで生まれた。〔中略〕 生まれたのは今月13日。北極と南極に住む動物がくしくも同じ日に生まれた。
sankei.jp.msn.com/life/trend/091023/trd0910232121020-n1.htm

◆ なんのことはない、ある動物園(ではなく、レジャー施設?)で、シロクマの赤ちゃんとペンギンの赤ちゃん(ひな)が同じ日に生まれたというだけのことだった。そうした偶然にも驚くべきであったのかもしれないが、なにしろワタシは、一瞬とはいえ、シロクマとペンギンとのあいだに子どもが生まれた、と思ってしまったのだから、シロクマの子ととペンギンの子が「くしくも」同じ日に生まれたという偶然など、もはやたいしたこととは思えなかった。もちろん、哺乳類と鳥類が番(つが)って子を産むなどということがあろうはずもないので、読み間違うほうがどうかしているのではあるが。

◆ シロクマとペンギンは交配不可能だが、シロクマとヒグマは交配が可能であるらしい。

◇ ホッキョクグマは分岐分類学的にヒグマに極めて近い位置にあり、互いに交配して生殖能力のある子孫を残せる。野生でも稀にこのような個体が存在している。このためヒグマとホッキョクグマの生殖的隔離は不完全である。昨今では温暖化の影響もあり、北上してきたヒグマと陸地に上がってきたホッキョクグマの生息域が重なり「ハイブリッド」と呼ばれるヒグマとホッキョクグマの交配種が確認されている。 ハイブリッドは体毛はホッキョクグマのように白いが、盛り上がった肩と土を掘るための湾曲した長い爪などヒグマの特徴を強く受け継いでいる。
ja.wikipedia.org/wiki/ホッキョクグマ