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◆ かつて「自由自在」という参考書のシリーズがあった。いまもあるらしい。 ◇ 「人間」という字は「人の間」と書く。これは、「人の間にあってこそ、人のためになってこそ人間と呼べる」のだと私は理解している。「人」という字も、人は支えあわなければ生きていけないことを示している。つまり、「他人があってこその自分」という謙虚な気持ちを持てということだと思う。 ◇ 〔ウリグリース千賀子のPure・Heart〕 私達は人間としてこの世に生まれました。3年B組金八先生の訓話ではありませんが、人間とは『人の間』と表現されるように、私達は多くの人の縁の中で生き、そして多くの人と人との間で自己を磨き、意識の成長とつなげる旅を続ける旅人です。そしてこの旅のことを、時の先人は『人生』と名付けました。この言葉の示す通り、まさに人生とは『人を生きる』ことに他なりません。 ◇ 〔織田誠康運命相談室〕 「人間 にんげん」を、訓読みすると「ひとま」である。「ま」は、「真」や「魔」に通じ、「人間」という存在は、「人真」や「人魔」の「間」を、しょっちゅう行ったり来たりしている。悪いことをやってしまった場合、よく「魔が差してしまった」と言うが、それは、「人間」の「間」に「魔」が差して、「人間」が、「人魔」になってしまったということである。 ◆ 三者三様ながら、なんというコトバの自由自在。こんな風にコトバを操れたら、さぞ気持ちのいいことだろう。 |
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◆ もういちど同じ文章を引用する。 ◇ 人間というのは「人と人の間」と書くごとく、その「あいだ」にことの真(まこと)はある。決して己の内にのみあるわけでもなければ、相手の内にのみあるわけでもなく、たがいの「あいだ」にある。 ◆ くわえて、似たような文章を引用する。 ◇ 〔わらじ医者よろず診療所所長 早川一光〕 「人間」という字を考えてみてください。人と人の「間」。人と人との間には、何もみえませんが、実は、この「間」が大切なのです。ある人がいくら学問ができようと、ある人がいかに教養があろうと、その二人の間がうまくいかなければ人間としてどうでしょうか?間合いがうまくいくというのが人間のできた人なんです。 ◇ 〔国平寺住職 尹碧巌〕 人と人の間があるということで人間とも言います。この「間」こそが大事なのです。親子の間、兄弟の間、師弟の間、上司と部下の間、隣人との間など、66億人との間があります。人と人との間を理解する者が人間なのです。 ◇ 人間と言う字は“ひとのあいだ”と書きます。〔中略〕 本当の人間というものは「人と人の間」にあるのですね。〔中略〕 人と人の関係、親と子、夫と妻、或いは兄弟、親類関係も、また、国家と国家の関係にしても、この関係の「間」にこそ、本当の人間の美しさというものが現れてこないと全てが幸せな道へと歩めないのですね。 ◆ なにが似ているのか。まず「人間」を「人と人の間」と解釈していることが共通している。「人間」という文字を見て、これらふたつの漢字のつながりを考えたときに、多くのひとにとっていちばん自然に出てくるのが、この「人と人の間」であるのかもしれないが、その理由がワタシにはよくわからない。ワタシには「人の間」で十分に思えるからで、複数であることを強調したいのであれば、「人々の間」(among people)と書く手もあるはずだが、あまり用例を見かけない。なぜだろう。 ◆ 「人と人の間」と書かれた場合のこの「人と人」というのはいったいだれなのか。不特定多数を表すためにとりあえず「1+1」式に表現したのだろうか。この場合、「人と人と人の間」とか「人と人と人と人の間」と書くときりがないから、複数の最小値である2にとどめて簡潔な表現にしたということになろう。 ◆ しかし、引用した文章においては、どうやらそういうことではなさそうだ。「人と人の間」の「人と人」が意味しているのは、不特定多数としての「人と人」ではなくて、「一人(ひとり)と一人(ひとり)」(between someone and someone)の「二人」のことであるように思える。さらに、この二人のうちの一人はかならず「ほかならぬ私」であって、「人と人の間」というのは、「私とだれかの間」(between someone and me)、自己と他者という二者の関係としてのみ理解されている、とそのようにワタシには思える。 ◆ これは、たとえば、「人間(対人)関係に悩む」というときの「人間」に近いかもしれない。第三者同士の「人間関係」に「私」が悩むことも可能なはずだが、たいていは「私とだれか」の関係に「私」が悩んでいる。《教えて!goo》にこんな質問。 ◇ 私は正直言って人間ということばは好きではありません。なぜ「人間」ということばが好きではないのかというと、「人間」は「『人』の『間』」と書きます。つまり、「『人』と『人』との『間』でもまれて暮らす『人』」という響きがあるような気がするのです。(というより、私が個人的にそう感じるんですが・・・) だから「人間」ということばはあまり好きではないのです。「ホモ・サピエンス」や「人」や「人類」はまあまあいいんですが、「人間」はどうも好きではありません。人はどういう場面で「人類」「人間」「人」ということばを使い分けるのでしょうか。 ◆ この「質問」の動機を、質問者が明かしている。 ◇ 私は対人関係があまり得意でなく、あちこちで人と人とのあいだでぶつかりあいがおき、嫌われ者になってきました。だから、もう対人関係をしたくなくて、対人関係に疲れてしまってそういうことを書きました。 ◆ なんだか、新年早々、暗いハナシになってしまったが、ついでだから、もうひとつ。 ◇ 〔牧師 鈴木栄一〕 人間とはよく言ったものである。読んで字のごとく、人は人との間(関係)に生きている。生まれてから死ぬまで、誰の世話にもならず、自分だけで生きることのできる者はひとりとしていない。人は「関係」の中に存在しているからだ。故に生きる最大の苦しみは「人間関係」にある、ということになる。 ◆ 書きながら考えているので、まとまりのない文章になってしまった。ワタシも「人間関係」というものが得意ではないが、あまり苦しみはしない。苦手なことを克服しようとはあまり思わない。無駄な努力はしない。ワタシも人間であるはずだが、世界は「人間関係」ばかりじゃないよ、と言いたい気分だ。今日、空はとっても青かった。 |
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◆ 本を読んでいて、たとえば、 ◇ 人間というのは「人と人の間」と書くごとく、その「あいだ」にことの真(まこと)はある。決して己の内にのみあるわけでもなければ、相手の内にのみあるわけでもなく、たがいの「あいだ」にある。 ◆ というような文章に出くわすと、もういけない。ぎょっとして、読みすごせない。人間というのは「人と人の間」と書く? 「人間」というのは、「人の間」と書くのであって、「人と人の間」とは書かないだろう。そうではないのか? たんなる話の枕だとは承知しつつも、あれこれ考えてしまって、先に進めない。なんとも難儀な性分である。 ◆ 後ろに「間」がつくコトバをいくつか思い出してみる。雲間、波間、谷間、昼間、山間。雲間は「雲と雲の間」の意味で、波間は「波と波の間」の意味かもしれないが、谷間は「谷と谷の間」の意味じゃあないだろう。昼間は「昼と昼の間」の意味じゃあないだろう。山間は「山と山の間」のことなのかどうか、よくわからない。 ◆ 風間というコトバは、辞書(『大辞林』)を引くと、ふたつの意味があるようで、ひとつは「風の絶え間」、もうひとつは「風の吹いている間」。風が吹こうが、風が止もうが、どちらも「風間」であるらしい。なんとも難儀なコトバである。 ◆ 難儀なコトバといえば、食間もまた同じ。辞書(『大辞林』)には、 (1) 食事と食事の間。 ◆ とあって、これでは食間に服用と指示された薬をいつ飲んでいいのか迷ってしまうひとがいるのも当然だろう。たとえば、《Yahoo!知恵袋》に、 ◇ 大正漢方胃腸薬に書いてある、「食間」を「食べている最中」という意味だと思っていませんでしたか?? これは私の愛用の薬ですけど、ついこの間まで食間の意味を知りませんでした。。m(_ _)m 食間って食事と食事の間なんですね! ◆ そして、この「質問」にたいする「ベストアンサー」は、 ◇ 実は・・・私が それを知ったのは ほんの数年前で、それまでは 食事中に飲んでました。運良く?元薬剤師のママ友ができて 彼女から教えてもらうまでは。その彼女に聞いた話しでは、座薬を座って飲む人もいたとか。なので、私達は まだいい方ですよね♪ ◆ きりがないので、冒頭の引用の「人間」にもどる。人間の場合、意味としては、「人と人の間」ということになるのかもしれないが、表記としては、「人の間」であって、それをわざわざ、 ◇ 人間というのは「人と人の間」と書くごとく、 ◆ と敷衍して冗長に書く理由が、よくわからない。もしかすると、「~間」という表現には、自然に「**と**の間」という、ふたつのものを想定した形式を強制するような力があるのかもしれなくて、あくまで想像ではあるが、「人の間」では、どうも「すわりが悪い」と感じて、「人と人の間」に落ち着いたのかもしれない。とはいえ、ワタシとしては、「人の間」で十分である気がする。「日本人の間では」という表現をいちいち「日本人と日本人の間では」と翻訳して理解するひとは少ないだろう。それと同じではないか? ◆ そういえば、行間というコトバもあった。「行間を読む」などという。「行と行の間」の何も書かれていないところに何かを読むというのは、かなり高度な技能だろう。ワタシなど、ご覧のとおり、本の一行を読むだけで四苦八苦していて、いつまでたっても行間など読めそうにない。 |
![]() ![]() ◇ 一体に旨い魚や鳥というのは飼って見たらさぞ可愛いだろうという気がして、これは例えば石川県金沢のごりがそうであり、獣の中では象や河馬が可愛いが、その両方とも非常に旨いそうである。 ◆ 最後の部分をワタシは最初「非常に旨そうである」と読んでしまい、それで、動物園でゾウやカバを見て、思わず「うまそう」と口走り、「お父さんったら、最低!」と妻と子どもから非難をうけるオヤジの図がアタマに浮かんだが、よく見直すと、「旨いそうである」と書いてあった。 ◆ ゾウやカバのような巨大な動物を「可愛い」と言うのには少し抵抗があるが、そういえば、以前「おっきくって、かわいい」という記事を書いた。 ◆ 生きているゾウやカバを見て「うまそうだ」と思うひとはいるだろうが、公園に置かれたゾウや描かれたカバを見てそう思うひとは、さすがにいないだろう。いや、いるかもしれない。 ◆ かわいいものはおいしい。おいしいものはかわいい。かなりハナシが飛躍するが、以前「ひよこ裁判」という記事を書き、その最後におともだちのめめさんの「ひよこ」という文章を紹介したことを思い出した。 |