MEMORANDUM

◆ 写真に文字が写っていると、それがなんであれ、つい読みたくなる。2007年1月3日、長岡天神の奉納書初。下敷き用(あるいは練習用)の古新聞(京都新聞)の見出しは、

◇ 新憲法5年内に制定 総裁選討論会で安倍氏

◆ と読める。いつの新聞だろう。字が細かくて、記事の本文までは読めないから、ネット検索で調べると、京都新聞ではないが、

〔産経新聞〕 自民党総裁選に立候補している安倍晋三官房長官、谷垣禎一財務相、麻生太郎外相は11日、日本記者クラブ主催の公開討論会で、憲法改正や日中関係の改善などを議論した。安倍氏は5年を目安に憲法改正を実現する考えを表明、
www.sankei.co.jp/news/060911/sei007.htm

◆ という記事があって、「総裁選討論会」が行われたのが、2006年9月11日。いまから3年半ほどまえ。7年が「犬の1年(ドッグイヤー)」だとすれば、3年半は「犬の半年」か。ああ、せわしない。安倍、谷垣、麻生、これに福田康夫を加えて、このうち一番の「犬顔」は誰だろうか? などと、つまらないことを考えているうちに、すぐさまさらに3年半がたって、どの顔もはっきりと思い出せなくなってしまう。

  

◆ 最近、ある本で「赫」という漢字を知った。新しい漢字を覚えたきっかけなど、すぐに忘れてしまうだろうから、メモしておく。

◇  「赤」より「赫(あか)」という字に惹かれてならない。
 「赤」だと、何か、絵具のチューブから出したままの色彩に思えるが、「赫」はもっと火のように鮮やかで、ぱちぱち音たてて眼底に焼き付いているような、滲みの余韻をもってくるから妙である。それは赤を二つ横に並べただけで、色が増幅し深い広がりをこの文字から感じさせてくれるからであろう。

斎藤真一 『風雨雪』(朱雀院,p.164)

◆ 「ぱちぱち音たてて眼底に焼き付いているような」鮮やかなアカ。いまのところ、ほかに情報がないから、これがワタシの「赫」と表記されたアカの定義である。今後、どこかでまた「赫」に出会うことがあれば変更されるかもしれないが、そうそう目にするとも思えないので、しばらくはそのままだろう。

◇ どうしてもペンなどが手もとにないときは、本の端を少し折り曲げておくだけでもずいぶんと違う。これは、英語では、ちょうど犬の耳が垂れているように見えることから、dog ear と言われている。表のページと裏のページとの双方が重要だというときは、ページの上の端と下の端とを折っておくとよいだろう。
平野啓一郎著 『本の読み方 スロー・リーディングの実践』(PHP新書,p.95)

◆ なるほど、と思ってページの上の端に「犬の耳」を作る、というようなことはしない。図書館で借りた本にそんなことをしてはいけない。《Wikipedia》(フランス語)にも、そう書いてある(ので笑ってしまった)。

◇ Cependant, même enlevée, la corne laisse une trace : elle ne doit pas être utilisée pour les livres des bibliothèques ou les livres précieux.
〔しかし、「犬の耳」は、もとに戻しても、跡が残るので、図書館の本や貴重な本にしてはいけない。〕

fr.wikipedia.org/wiki/Corne_(marquage)

◆ この「しかし」の前には、「犬の耳」の効用として、栞を買わなくてすむ、などと書かれており、これにも笑ってしまったが、考えてみればその通りで、なにも笑うことはない。《Wikipedia》(フランス語)から、ついでにもうひとつ。「犬の耳」といえば、ページの端を少し三角に折り曲げるのがふつうだろうが、

◇ Il existe une variante moins fréquente, selon laquelle la page entière est pliée en deux, parallèlement à la reliure. Selon ses partisans, cette variante permet de moins abîmer le papier.
〔やる人は少ないが、別なやり方もある。ページ全体を縦に半分に折り曲げるのである。その方が紙を傷めないと、ということらしい。〕

◆ いたいた、そういう折り方をしているひともたしかにいた。てっきり大ざっぱなひとかと思っていたら、逆だったのか。こりゃ失礼。反省、反省。もはや、なんのハナシを書こうとしているのかわからなくなっているが、別な本から、

◇ なぜこの事件〔東電OL殺人事件〕に関心をもったかとのお尋ねですが、少し難しくいえば、ありとあらゆる出来事が瞬時のうちに忘れ去られ、過去にとりこまれてしまういまという時代の異常な風潮に、私なりに抵抗したかったからです。すべてがあわただしく過ぎ去るという意味のドッグイヤーという言葉がありますが、この事件の発端から現在までを考えると、その意味がよくわかります。
佐野眞一 『東電OL症候群(シンドローム)』(新潮文庫,p.413-414)

◆ 「ドッグイヤー」とカタカナで書けば、「犬の耳(dog ear)」か 「犬の年(dog year)」かの区別がつかないが、

〔IT用語辞典バイナリ〕  ドッグイヤー〔dog year〕とは、俗に、IT業界の技術進化の早さを、犬の成長が人と比べて速いことに例えた俗語である。1990代後半頃から用いられていた。
 犬の1年は、人間の7年に相当すると言われている。例えば、今までなら1年かかった技術の進歩が2ヶ月もあれば可能になっているようなことがIT業界では珍しくなく、犬の成長が速いことになぞらえられている。あるいは単に時間の流れが速いことを意味する場合もある。
 後に、ドッグイヤーより輪を掛けて速い、人間の18倍で成長するネズミになぞらえた「マウスイヤー」という表現も登場した。

www.sophia-it.com/content/dog+year

◆ そういえば、ワタシのパソコンも「犬の年」ではもう老いぼれだ。そろそろ寿命かもしれない。壊れるまえに買いかえておかなくては、と思う。でも、天寿を全うさせ、その最期を看取ってやるのが飼い主の務めかとも思ってみたり。たんに資金が足りないだけだったり。

◆ 先に、鉄道の廃線跡でトンネルを見て、小学生のころに聴いた南こうせつとかぐや姫の「ひとりきり」を思い出した、と書いたが、これは正確ではない。そのとき思い出した(というより、脳内で自動再生された)のは、「ひとりきり」であることには変わりはないが、その歌声は南こうせつではなくて、本田路津子だった。どうやら、この歌は、ワタシのなかで、彼女の声とともに定着してしまったらしい。第一印象というのはとても大切なものだ。その後、南こうせつの「ひとりきり」を聴いても、癖のある歌い方が耳について、どうも落ち着かない。

〔goo 音楽〕 70年のデビュー時には、その透明感あるヴォーカルから"第二の森山良子"と絶賛を受けた本田路津子。「風がはこぶもの」「ひとりの手」などのヒットを放ち、NHK朝の連続テレビ小説『藍より青く』の主題歌「耳をすましてごらん」(72年)の大ヒットで広く知られるようになった。結婚後に渡米するが、現在は全国の教会を中心に賛美歌シンガーとして活躍。賛美歌のアルバムも発表している。ちなみに「耳をすましてごらん」は、90年に南野陽子によってカヴァーされ大ヒットした。
music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD1150726/index.html

◆ 本田路津子は父親が好きでよく聴いていた。「ひとりきり」は『本田路津子 ニューミュージックを歌う』というアルバムに収録されていたようだ。実家にはまだあるだろうか。

◇ 【SIDE A】 01. 雨が空から降れば(小室等) 02. 結婚しようよ(吉田拓郎) 03. もみの木(麻田浩) 04. インドの街を象にのって(六文銭) 05. 赤色エレジー(あがた森魚) 06. 私の家(六文銭) 【SIDE B】 07. 春夏秋冬(泉谷しげる) 08. 私の小さな人生(チューリップ) 09. マリエ(ブレッド&バター) 10. ひとりきり(南こうせつ) 11. タンポポ(GARO) 12. どうしてこんなに悲しいんだろう(吉田拓郎)
69491180.at.webry.info/200906/article_18.html

◆ そういえば、「春夏秋冬」も、先に彼女の声で知ったので、泉谷しげるヴァージョンを聴いたときには、かなり面食らった。

◆ 《いのちのことば社》(プロテスタント系の出版社)のサイトで、「本田路津子・特別インタビュー」を発見。聞き手は松田一広(朝日新聞社勤務)。

松田 〔……〕 「本田路津子」というお名前は本名(旧姓)ですよね。ある人が「本田さんが信仰をお持ちか、ご両親が信仰をお持ちでは」と言うんですよ。「ルツ」という名前が聖書に出てくるって…。
本田 旧約聖書の「ルツ記」から取って両親が名前を付けてくれました。昔の文語体の聖書は「路津」ではなくて、「路得」と表記されているので、「路得子」という名前の人が結構いるんですよ。牧師さんのお嬢さんとか…。今は片仮名やほかの漢字を充てる人が多くなってきましたが、クリスチャンホームで育った人が多いですね。「ルツ」という女性は、姑にずっと仕えた人ですが、私自身は姑と同居する機会はありませんでした。
松田 姑の主人が亡くなり、ルツさんのだんなさんも早く亡くなったとか。
本田 そうです。結構、面白いストーリーなんですよ。親は適当に名付けたんだと思いますけどね(笑い)。3人の子どものうち、聖書から名前をいただいたのは私だけですから(笑い)。
松田 読みにくい名前ですから、子どもの時に「いじめ」にあったことは?
本田 それは特になかったけど、学校の先生は読めなくて困っていたようです。「本田」の後がつかえて、「どのように読むのですか」と聞かれることが多くて。子どもの頃の私は極端な「恥ずかしがり屋」だったので、先生に「るつこ」と答えるのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。学期始めが特に嫌でしたが、大人になるにつれて、「素敵な名前ね」と言われることが多く(笑い)、わりと好きな名前です。親は「旧約聖書にある名前だよ」と言うぐらいで、由来について特に話してもらったことはありません。でも、子ども時代の私は信仰を持っていた訳でないのに、「神様にいつも見守られている」という意識がありました。

www.wlpm.or.jp/life_st/concert/index.htm

◆ こども心に「変った名前だな」と思っていたので、ちょっとすっきり。ついでに、《Wikisource》で、「ルツ記」まで読んでしまった。ナオミ・キャンベルの「ナオミ」も登場する。

♪ 今は山中 今は浜
  今は鉄橋渡るぞと
  思う間も無く トンネルの
  闇を通って広野原

  文部省唱歌 「汽車」(作詞:不詳,作曲:大和田愛羅,1912)

◆ 奥多摩に廃線になった鉄道跡があった。橋があった。スタンド・バイ・ミーごっこがしたくなる。鉄橋ではなく、コンクリート橋なのがちょっと残念。汽車が来るはずもないので、走る必要もなくのんびり歩く。その先にトンネルがあった。ちょっと入ってみたが、すぐ引き返す。トンネルで思い出したのが、小学生のころに聴いた、南こうせつとかぐや姫の「ひとりきり」という歌のこのフレーズ。

♪ 汽車は行くよ 煙はいて
  トンネル越えれば 竹中だ

  かぐや姫 「ひとりきり」(作詞・作曲:南こうせつ,1972)

◆ この「竹中」は地名で、南こうせつの生まれ故郷である大分県大分市竹中のことだそうだ。大分から豊肥本線に乗ると、5つめが竹中駅。地図を見ると、たしかに竹中駅の手前にはトンネルがある。というようなことを知ったのはついさっきで、ということは、ついさっきまでは、この竹中の意味がよくわかっていなかった。小学生のワタシは、歌詞にローカルな地名が使われるなんて、考えてもみなかった(しかし、どうして、たとえば「ふるさと」ではいけないのだろう?)ので、「今は山中 今は浜」の山中と同じようなものだと思っていた。トンネルを抜けると、竹の中。竹がたくさんあるところ。つまりは竹林か。暗いトンネルから出たと思ったら、今度は竹の林? そんな風に理解して、ちょっとすっきりとしなかった。いや、ほんとうは、この歌詞をつっこんで考えてみたことなど一度もない。ただ、鉄道に乗ると、トンネルというものがあって、それだけでわくわくして、トンネルを抜け出たときには風景が一変しているだろうという期待だけで十分だった。そのあとは、山中だろうが街中だろうが、竹ん中だろうが藪ん中だろうが、どうでもいい。

◆ 東京方面から新幹線に乗り、京都が近づいて、「まもなく京都」という車内放送が流れるころに、トンネルに入る。トンネルから出て、ここが京都かと思っていると、またトンネルに入ってしまう。そのトンネルを出ると、ようやく京都駅に着く。そのトンネルとトンネルのあいだにワタシの故郷の山科がある。もし、ひとつめのトンネルを出たときに、ここが京都だと思って(山科も京都なのだが)、東寺の五重塔なんかをきょろきょろ探してみた方がおられたら、ちょっとだけ申し訳なく思う。

◆ とうわけで、「明太子うどん」を食べた。

◇ 博多より極上の明太子を当店オリジナルソースにて作り上げた一品です。850円。

◆ だそうだが、ワタシには量が多すぎた。刻み海苔がのせてあるほかはうどんと明太子ソースだけだから、ちょっと飽きる。半分の量で、半分の値段なら喜んで、といったところ。ところで、この「博多より極上の明太子」という部分、「明太子といえば、博多」というのが通り相場になっているけれど、明太子の「生みの親」であるスケトウダラ(スケソウダラ)自体は北方の魚で、

〔水産総合研究センター 北海道区水産研究所〕 スケトウダラは、北太平洋に分布しており、日本海(韓半島~サハリン)、太平洋(常磐地方~ベーリング海~カナダ)、オホーツク海(北海道~サハリン~カムチャッカ半島)で漁獲されています。日本近海では、北海道の周辺と三陸地方の沿岸が、主な漁場となっています。
hnf.fra.affrc.go.jp/H-jouhou/osakana/panfu98.htm#05

◆ 日本でスケトウダラといえば、近年、漁獲量が激減しているとはいえ、北海道が本場であることには変わりがなくて、博多の辛子明太子屋でも、北海道産にこだわり続ける店は数多い。

〔しまもと〕 辛子明太子の命。それは素材である「たらこの鮮度」です。明太子の原料となる「スケソウダラ」は北の海でしか獲れません。通常出回っている辛子明太子の、実に9割以上がアラスカやロシアで獲れた冷凍卵と言われる輸入された卵(たらこ)を使用している中、しまもとでは抜群の鮮度を誇る「北海道たらこ」にこだわり続けています。
www.hakatamentai.jp/fs/simamoto/c/kodawari

〔ひろしょう〕 現在、ほとんどの明太子は、アメリカやロシア産の卵で作られています。それは、北海道で水揚げされるスケソウ鱈の卵(真子)の数が減ってきているため、相場の変動が激しくとてもあつかいにくい原料だからです。しかしひろしょうでは、あえて北海道産しか使用していません。その理由は、卵本来の持つ風味と粒子感がひろしょうの明太子に最も適しているからです。
www.hirosyo.com/kodawari.html

〔椒房庵〕 椒房庵の辛子明太子の原料は、北海道産のたらこです。その大きな理由は、なんといっても濃厚なうまみにあります。生のまま塩漬けし、魚卵のうまみをしっかり閉じ込めることができるからです。
www.shobo-an.co.jp/kodawari/hokkaido.html

〔いとや〕 「いとやの味の明太子」は北海道のスケソウウダラの真子のみを厳選使用しておりますので、お口の中で、はじける北海の幸の旨さを存分に堪能いただけます。
www.itoya-mentaiko.co.jp/

〔幸村英商店〕 北海道産の素材にこだわった明太子を作り続けて四十余年。今や、その味わいは博多だけにとどまらず全国の皆様に親しまれるようになりました。
www.yukimura-hakata.com/kodawari.html

◆ 続ければキリがないが、こうして引用していると、北海道ファンのワタシとしては、たいへん気持ちがいい。「明太子といえば、博多の名産」ということになっていて、それはそうなのだから仕方がないが、スケトウダラがいなくては明太子も作れないわけで、そのスケトウダラが実は北海道の特産であることを知らないひとに、そのことを知ってもらうためにも、博多の明太子屋がことさら北海道産にこだわってくれているのは、たいへんありがたい。

◆ 北海道のなかでも、岩内はスケトウダラの延縄漁で有名で、

〔朝日新聞〕 さかのぼれば明治30年代。福井県出身の漁師・増田庄吉が岩内に伝えた漁法が、北海道のスケトウダラはえ縄漁の始まりだとされる。同じスケトウダラ漁でも、えさで釣り上げるはえ縄漁は、底引き網や刺し網、定置網を使う漁より魚体の傷みが少なく鮮度がいい。
mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000750912210001

◆ 岩内っ子のたら丸くんもこう言っている。

◇ ぼくはたらこの親スケトウダラです。岩内のたらこは前浜で一本一本釣った魚をすぐ製品にするので日本一の味になるのです。

◆ とはいえ、この岩内の「日本一」のたらこが博多で辛子明太子になっているかどうかは、よくしらない。でも、博多に「辛子たら丸」はいないと思う。もしいたら、たらこ唇がひりひりして、ほんのり赤く腫れ上がって、明太子唇になってるはずだろう。

◆ そうだ、蕎麦屋に行こう。そう思って、街へ出かけたのは、杉浦日向子が、

◇ ずっと以前、東京には、こんなソバ屋が、銭湯の数くらい、どこにでもあったはずだ。変わりソバや大吟醸はなかっただろうけど、ソバ屋で過ごす、こんなぽっかりとした午後が、ありふれた日常のなかに、いつもすぐそこの卑近さで、あったはずだ。
杉浦日向子とソ連編 『もっとソバ屋で憩う』(新潮文庫,p.38)

◆ と書いていたから。とくに蕎麦が好きなわけでもないけど、彼女のいう「こんなソバ屋」にちょっと行ってみたくなったわけ。それから、

◇  ソバをズズッと、あからさまな音をたてて食べるようになったのは、どうやら、ラジオ普及以降のことらしい。
 ソバ関連の落語を放送でかける際、仕方噺(しかたばなし)のSEとして噺家がズズッとやった。それを聴いたひとたちが、達者な擬音を、オツだねえとマネたのではないかという。
 従来我が国ではおおむね濁りを忌み、麺なら、つるつるは良いがずるずるは下品として、唇をすぼめて食べていた。
 ただしソバは、晩秋から春先にかけてズズズッが公認された。俗に、「きくやよい」=「聴くや善い」=「菊弥生」と云って、菊(十一月)から弥生(三月)までがズズッ公認期間とされていた。つまり新ソバの時期で、新ソバの薫りはかそけきものだから、空気を撹拌させ、口腔から鼻腔へと増幅してこそ、存分に堪能できるのだ。高座のソバは新ソバであるわけだが、いつしかそれが通年の慣習として定着したのだろう。

Ibid., p.79

◆ とこんなことも書いてあった(念のため、SEというのは、サウンドエフェクト、つまり音響効果のことで、システムエンジニアのことじゃないよ)。それで、「こんなソバ屋」に行って、苦手だけれども、ズズッとやってみたくなったのだ。あるいは、自分ではうまくできなくても、蕎麦好きたちが奏でる楽しげなズズズッを聞いてみたいと思ったのだ。そう思って街に出たのだけども、悲しいかな、「こんなソバ屋」がどこにあるのかがわからない。駅前あたりをうろちょろして、「こんなソバ屋」風の蕎麦屋なら、あるにはあったけれど、いまひとつ確信がもてずに、さらにうろちょろ。ちょっと寒い。カラダは冷たい蕎麦よりも温かい蕎麦を欲しているようだ。温かい蕎麦なら、なにも「こんなソバ屋」に行かなくても、駅前の立ち食いで十分な気もしてきた。それで、面倒なので、立ち食いにしようかと思ったが、立ち止まってよく考えると、とくに蕎麦が食べたいわけではない。「こんなソバ屋」に行きたかっただけなのだ。そんなこんなで、けっきょく、新しくできたらしいうどん屋を発見して、うどん屋に入った。それで、注文したのがよりによって「明太子うどん」。「明太子蕎麦」なんてのはないだろうな、と思いつつ、いったいなにがしたかったのやら。