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◇ サナダ虫が「真田紐」から名前ができたといっても、今の若い人はそのわけを知らない。それで、僕は「サナダ虫」をもっと若い人に知ってもらおうと思って、新しく、「きしめん虫」と名前を変えて発表した。 / ところがである。その日から僕のところにジャンジャンと抗議の電話が鳴り続いたのだ。すべて名古屋からだった。 ◆ 「若い人」 ではないけれど、ワタシも真田紐なんて知らない。 ◇ さなだ-ひも (名) 眞田紐 〔天正ノ頃、信州ノ眞田氏、刀ノ柄(ツカ)ヲ巻キ始メタルヨリイフト云、或云、眞田幸村、高野山ニ居テ織リ始メタリト、或ハ、狹之機(サノハタ)の約ニテ、古ノ狹織(サオリ)ノ帶ナドノ遣ナラムトイフハイカガ〕 木綿絲ニテ、扁(ヒラタ)ク厚ク組ミ作レル紐、大抵、縞(シマ)ニ打ツ、或ハ、幅ヲ廣ク打チテ、男帶ナドトス、又、絹絲ヲ交フルモアリ。 ◆ 長野県小県郡の 《真田町公式ホームページ》 によれば、真田紐の用途について、
◆ 「下駄スケート」 の写真も上記サイトより (この写真、スケート靴の下に敷いてある新聞の記事もスケート関連である)。写真の説明には、「実際は足袋を履いた上に真田紐で縛っていた」 とある。 ◆ 真田といえば、NHKの人形劇 『真田十勇士』(1975.4.7~1977.3.25) が懐かしい。辻村ジュサブロウの人形。 ◆ きしめん、真田紐、サナダムシ。たしかに 「さなだムシ」 を 「きしめんムシ」 と呼ぶのはあんまりだと思うから、「きしめん」 を 「サナダムシめん」 と呼んではどうか? これもやっぱりあんまりだから、「真田紐」 を 「きしめん紐」 と呼ぶことにしよう。これなら問題はなさそう? 問題もないけど、必要もない? |
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◆ 先のエントリー「わたしのグランマ」で引用した、 ◇ Only people from the hills like the Walton's called their mom's "ma." ◆ という一文の、the Walton とは何かというと、The Waltons というテレビ番組があって、 ◇ The Waltons was a television series about the lives of a family who lived in the Blue Ridge Mountains of Virginia. John and Olivia Walton, the parents, lived with their seven children on Walton's Mountain. Their home was also shared by John's parents. John and his father, Zeb, together ran a lumber mill from the home. ◇ The show ran on CBS from 1972 to 1981./ The family, consisting of Olivia and John Walton and their seven children, struggles to live a decent life during the Great Depression and the Second World War (roughly from the early 1930s to the mid-1940s in the continuity of the series). ◆ 舞台は “the Great Depression” (大恐慌) から第二次世界大戦にかけてのヴァージニア州の山間部。家族はウォルトン夫妻(ジョンとオリヴィア)と7人のこども、それからジョンの両親。11人家族。かなり人気のあった番組のようで、放映当時大学生だったファンのひとりは、つぎの日のテストのことなんてどうでもよかった、と。 ◇ It didn't matter if I had a test on Friday, the Walton family always got an hour of my devoted attention on Thursday night. ◆ ワタシは観たことがないので、よくわからないが、『大草原の小さな家』 みたいな家族ドラマだろうか。ちなみに、『大草原の小さな家』 (Little House On The Prairie) は、 ◇ 1870年代後半のアメリカ中西部で暮らすインガルス一家の家族ドラマ。 ◇ Little House On The Prairie was an American one-hour dramatic television program that aired on the NBC network from 1974 to 1982. ◆ と、あれこれ調べているうちに、The Waltons も日本で放映されたことがあるということを知った。邦題は 『わが家は11人』。なーんだ! |
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◆ 《Wordorigins.org》 というサイトがあって、 ◇ This site is devoted to the origins of words and phrases, or as a linguist would put it, to etymology. Etymology is the study of word origins. (It is not the study of insects; that is entomology.) ◆ そのなかの 「discussion board」 をときどき見ているが、最近のトピックに “Grandma - Why must we use this term?” というのがあった。その 「トピ主」 がいうには、 ◇ Most of us call our mothers "mom" or "mommy" when young, or "mother." Only people from the hills like the Walton's called their mom's "ma." So, why do we insist on using the term Grandma instead of Grandmother or Grandmom? My grandchildren refer to me as grandmother which seems formal but more respectful than grandma. ◆ かいつまんで言えば、アメリカでは、母親を、ふつう 「マム」 とか 「マミー」、あるいは 「マザー」 と呼ぶのに、祖母にたいして、「グランマザー」 とか 「グランマム」 ではなく、「グランマ」 と呼ぶのはどうしてか? トピ主は、彼女自身3人の孫がいるらしいが、どうも杓子定規なひとで、母を 「マム」 と呼ぶなら、祖母は 「グランマム」、「マミー」 なら 「グランマミー」 といったふうに、きちんと対応していないのが気になるらしい。母親をふつう「マ」とは呼ばないのだから、祖母を 「グランマ」 と呼ぶことは筋が通らない、そう主張しているようでもある。トピ主によれば、母親のことを 「マ」 と呼ぶなんてのは、「ウォルトン家の人々」 みたいな山奥出身の田舎者だけ、ということになる。 ◇ I am not the first (or last) younger grandparent who cringes at the sound of the word grandma. Sorry, but the word sounds hick to me. Yes, I am from a big city where the word is used frequently. ◆ 広いアメリカで、こんな発言をすれば、ハナシがややこしくなるのは必定。The Dictionary of American Regional English (DARE) にリストアップされた “grandma” のヴァリアントは以下のとおり(DaveWilton の引用による)。 ◇DARE has an extensive entry on "grandma" and its variants: / gran(d)maw / is found chiefly in the South, Midlands, and West. / gramma / is scattered, but chiefly found in the North, North Midlands, and West. / grammaw / is chiefly Midlands, but also found with some frequency in the South and West. / gram(s) / is North and North Midlands. / grammamma /, / gran(d)mam(m)a /, and / gran(d)momma / is chiefly found in the South, South Midlands, and among African Americans. / grammom /, / gran(d)mom /, / gran(d)ma('a)m /, / grandmahm /, and / grandmum / are clustered in the Central Atlantic states. / grannie / and / granny / are widespread. / grammy / is chiefly North and North Midlands. / grammammy /, / gran(d)mammy /, and /gran'maamy / are chiefly South and South Midlands. ◆ アメリカ映画で 「おばあちゃん」 が登場したら、なんて呼ばれているか確認してみるとおもしろいかも? |
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◇ 近所の犬ですか? ◆ その店員さんは、にこっと笑って、ひとこと。 ◇ じゃじゃまるくん。 ◆ 会話としては、ひどく舌足らずなように思えるかもしれないが、これで十分だった。「そうなのよ、おとなりのオウチで飼ってる犬で、じゃじゃまるって名前なの。放し飼いにしてるから、いつも、こっちに遊びに来てるの。かわいいでしょ?」というぐらいの内容を、たったひとことで言ってしまうとは、すごいひとである。支払いをすませ、外に出て、しばらくじゃじゃまるくんの相手をし、写真を撮り、そろそろ出発しようかとしたときに、もう一度店内のほうをのぞいてみると、さっきの店員さんがこちらを見て、ニコニコしている。軽く会釈をして、再び仕事に向かった。 ◆ 名前を知ろうが知るまいが、その犬の愛らしさに変わりはないけれど、やっぱり名前がわかると親しみが増す。いつかまた近くに行くことがあったら、この広い駐車場のあるコンビニに寄ってみることにしよう。そうして、じゃじゃまるくんに会えるといい。 ◆ コンビニの店員との会話については、以前べつのハナシを書いた(「トイレ、ありますか?」)。 |
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◆ キライなものに対しては、沈黙するのが最良の対処法であることを重々承知しつつも、酔っ払ってしまっているときには、そういうわけにもいかなくなる。 ♪ 涙の数だけ強くなれるよ ◆ ふだん部屋では、ビールしか飲まないのに、いまはたまたまウィスキーを飲んでいて、すこしカラダが熱い。鼻歌なども歌ってしまう。で、ふと口をついて出てしまったのが、岡本真夜の「TOMORROW」。この歌がワタシの口から漏れ出てしまった原因について、あれこれ考えてみるのも一興であるけれども、この詮索はやめておくことにして、いきなりだが、ワタシはこういった「がんばれソング」が好きではない。酒の勢いでいえば、大キライである。というのも (と書いて、しばらく考え込むはめになるわけだが)、その手の歌にはあまりに細部が抜け落ちているからである。 ◆ このアスファルトに咲く花はいったいどんな種類の花なのか? アスファルトを突き破って成長する植物は、強いというコトバのたんなる比喩以外のなにものであるのか? アスファストをいとも簡単に隆起させ、堂々と花を咲かせる植物の生命力を、われわれはホントに賞賛しているのだろうか? ともすれば、美的ではないという理由によって、排除する側にわれわれは立つのではないだろうか? (脈絡が飛ぶのは酔っ払いの習性として許していただきたいが、)花を愛で、それをカメラに収めるアマチュアカメラマンは無数にいるだろうけれど、アスファルトからやっとの思いで顔を出し、花を咲かせることに成功したものたちに、気がつき、あえてそれにファインダーを向け、価値あるものとしてシャッターを押すにいたるひとがどれぐらいいるのだろうか? ◆ ワタシはアスファルトに咲く花がキライである。引っこ抜きたいとさえ思う。そもそも花はアスファルトの上に咲くべきではない。そこにどうしても花が咲かねばならないというのなら、まずやらなければならないのは、それを強さだと思ってしまうことではなく、そこからアスファルトを剥がすことだろう。 ♪ 名前も知らなかったけれど ◆ 「TOMORROW」 にもまして、キライなのは、SMAP の「世界に一つだけの花」 で、こうしたコトバのつらなりはあまりにも空虚ではないか? 好きになったものに対しては、すこしでも知識を得たいと思うのが、自然ではないだろうか? 名前がわからなければ、調べればいいではないか? 好きなひとの名を知りたいと思わないひとなどどこにいるだろう? この歌は花屋の情景を歌ったかのようであるけれども、この歌詞を作った槇原敬之は、じっさいに花屋に行き、花を買ったことがあるのだろうか? どうもアタマのなかだけの花屋に思えてならない。 ♪ 頑張って咲いた花はどれも ◆ などというのなら、なにも花屋に行く必要がないではないか? それこそ 「アスファルトに咲く花」 を手折って持ち帰ればいい。花屋に行って、花を買うつもりなら、どうしたって選択をしなければいけない (花屋の花を全部買うほどの余裕があれば別だが)。 ♪ 困ったように笑いながら ◆ なぜこの人は笑っているのだろう? 困ってしまうのはむしろ店員のほうではないか? 「どのような花をお探しですか?」 「それがよくわからないんです」 ◆ 近年いろいろと花を歌った(ように思える)歌がヒットしたけれども、どれもじっさいの花を歌っているようには思えない。サクラを歌った歌があれこれあっても、みなアタマのなかに咲いているだけではないのか? それに比べれば、すこし以前の歌は、「シクラメンのかほり」にせよ、「(このカッコのなかを埋めるべき歌が思いつかない、ご教示を請う。思い浮かぶのは、アグネス・チャンの「ひなげしの花」とか中島みゆきの「アザミ嬢のララバイ」とか原田知世の「ダンデライオン」とかチューリップの「サボテンの花」とかマイナーなうたばかり)」にせよ、もうすこし具体性があったように思う (花の名前を明示するということが問題なのではない)。 ♪ バラが咲いた バラが咲いた 真赤なバラが ◆ これはマイク真木の「バラが咲いた」であるが、こんな単純な歌詞の歌でも、「花が咲いた」ではなく、「バラが咲いた」と歌うことによって、かろうじて救われているようにワタシには思える。 |