MEMORANDUM

◇ 「黒猫のタンゴ」 はもともとイタリアの曲に日本詞をつけたもの。それを聴いたフランス人がオケもそっくり真似、フランス人の子供にフランス語で歌わせ、ヒット。オリジナル・ヴァージョンとして皆川おさむのレコードがフランスでも発売になったらしい。
www.psychopla.net/pgf.text9.html

◆ フランス語ヴァージョンは、「Je veux vivre tango」 というタイトルで、Eric Berda という子どもが歌っている。歌詞はまったくつまらない。両親があれこれうるさいとガキが不平を言っているだけ。

◇ Moi je veux vivre tango tango tango
 Mais mon père et ma mère sont toujours après moi
 Moi je veux vivre tango tango tango
 Vraiment ils exagèrent
 Ah quels parents j'ai là
 La la la la la la la
 (タンゴのように生きたいよ、タンゴ、タンゴ、
  でも、パパとママがうるさくて、
  タンゴのように生きたいよ、タンゴ、タンゴ、
  ああ、なんて両親をもっちゃったんだろう、
  ラ、ラ、ラ・・・)

www.paroles.net/chansons/34684.htm

◆ 猫は出てこない。なので、当然なことながら、

◇ Il manque les Miou de la version japonaise dans la VF,
(フランス語のには日本語ヴァージョンのニャーオがないですね、)

www.bide-et-musique.com/song/887.html

◆ どうもこの 「ニャーオ」 がないとものたりない。

◇ sur la pochette japonaise il y a la photo d'une petite fille. c'est elle qui faisait les miaulements de chat ? :-D
(日本のジャケットには、女の子の写真があるけど、ネコの鳴き声を出してるのはこの子かな? :-D)

www.bide-et-musique.com/song/4067.html

◆ ううん、それはB面の「ニッキ・ニャッキ」を歌ってる置鮎礼子だよ! というわけで、フランスではあまり流行らなかったらしい。

◆ あと、デンマーク語ヴァージョンも見つけた。「Min Kat Den Danser Tango」というタイトル。これにはネコが出てくる。意味はわからない。参考まで。

◇ Min kat den danser tango, tango, tango
 Og den er meget dygtig,
 Ja, tænk dig bare at,
 Min kat den danser tango, tango, tango
 Og så´ den verdens sødeste lille missekat.

www.korsgaard-kristensen.dk/sangtekster/bornesange/M/minkatdendansertango.htm

◆ 『黒ネコのタンゴ』 のことをちょっと調べてみたら、ちょっとではすまなくなった。以下メモ書き(おっと、ここはもともとメモなのだった)。

◇ 当時わずか7歳だった皆川おさむが1969年 (昭和44年) に歌ったこの 「黒ネコのタンゴ」 は200万枚以上の大ヒットを記録しました。みおだみずほさんによって新たな日本語の詩がつけられたこの曲は、元々はイタリアで毎年行われている「ゼッキーノ・ドーロ」という子供のための音楽コンテストの入賞作品だそうです。
www.worldfolksong.com/songbook/masterpiece/kuroneko.htm

◆ オリジナルはイタリア。ゼッキーノ・ドーロ (Zecchino d'oro) 入賞作品。

◇ 「ちんちんぽんぽん」 はイタリアのゼッキーノ・ドーロという子供たちの音楽コンテストで第14回(1972)に入賞した曲で 「cin cin pon pon」 という題名で汽車が近くを通る歌です。どうみてもチンチンと聞こえるので和訳を変えてしまったということみたい。第11回は有名な 「黒猫のタンゴ」 原題:「Vorevo un gatto nero (黒猫が欲しかったのに)」です。2曲とも原曲も聞いてみるとなかなかかわいい曲です。
www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200407/2004070500183.htm

◆ 「ちんちんぽんぽん」 の原題が 「cin cin pon pon」 だったとは! 以下、イタリア語の歌詞の一部。

◇ Volevo un gatto nero, nero, nero,
 mi hai dato un gatto bianco
 ed io non ci sto più.
 Volevo un gatto nero, nero, nero,
 siccome sei un bugiardo
 con te non gioco più.
 (黒、黒、黒猫がほしかったのに、
  白猫をくれるだなんて
  あんまりじゃないか。
  黒、黒、黒猫がほしかったのに、
  キミはうそつきだから
  もういっしょに遊ばないよ)

 www.filastrocche.it/nostalgici/canzoni/volevo.htm

◇ ところで、フィンランドの日本の音楽について少々。ふだんこちらで日本の曲を耳にすることはほとんどないのだが、フィンランドの30代以上の人には馴染みの日本の歌が2曲ある。それは、「上を向いて歩こう」 と 「黒猫のタンゴ」。「上を向いて歩こう」 はやはり 「スキヤキ」 という題名で60年代に爆発的に人気が出て、そのあと何度も、フィンランド人歌手がそのカバーを歌っている。 / 「黒猫のタンゴ」 は日本で売れたすぐ後、フィンランドでも子供の歌手がフィンランド語で歌い、人気が出たそうだ。
www.shinshu.co.jp/lensai/finland/fin101_105.html

◆ フィンランドでも・・・。

◇ この曲を知っていると世代がばれるが、日本で一世を風靡したこの曲が、世界のタンゴを紹介するタンペレ・ラジオの番組で紹介された。歌詞もフィンランド語に翻訳され、かわいらしい声の男の子が歌っているのは、原曲と同じである。歌詞の中に 「日本から . . . 」 という部分があり、「そんなのあったっけ」 と家内と一緒に首をかしげたが、曲後の紹介でも日本のタンゴ曲と紹介されていた。 / 実はこの曲ムスタン・キッサン・タンゴ(日本語の曲名の直訳)は、来フィン早々にスーパーで適当に購入した童謡のカセットに、私が好きになった 「ミナ・ソイタン . . .」 の2つ前の曲として集録されており、頻繁に聞いていたのだが、「 日本から . . . 」 はない。たぶん、番組用に歌詞を一部変更したのだと思うが、故国の曲が紹介されることは、なぜか誇らしいから不思議だ。
www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1825/980202.html

◆ フィンランド語のタイトルは、「ムスタン・キッサン・タンゴ」 (Mustan kissan tango)。以下、歌詞の一部 (訳はできません)。

◇ Hei, tanssi kissa tango, tango, tango,
 nyt mustan kissan tanssi sen ikioma on!
 Soi mustan kissan tango, tango, tango,
 se japanista lensi tänne meillekin.
 La-la-la-la-la-la, lal-la!

www.angelfire.com/la3/meeri/20laulut.htm

◆ さらには、フランスでも、韓国でも・・・。以下、次回。

◆ 7月16日、昼。渋滞の奥多摩街道をトラックで走っている。FMラジオからは 『黒猫のタンゴ』 が流れ出す。赤信号で停車する。ふと歩道に目をやると、黒猫が一匹、すたすた歩いている! ちらりとこちらを見て、にやりと笑う。

◆ 7月16日、夜。仕事が終わって、東急田園都市線の車内。最相葉月の 『青いバラ』 を開く (12日に青い薔薇を見たので、気になって、図書館で借りてきた本)。数ページに目を通したあと、ガラガラの車内を見渡す。相互乗り入れのため、車輛は東武のもの。すわっていたのは車輛の端の三人掛けロングシートのドア寄り。このロングシートの反対の端が車輛の端で、その車輛の端の壁面には、「京成バラ園」の広告! 線路は東急、車輛は東武、広告は京成 (と、これはどうでもいい)。

◆ こんな 「たまたま」 に囲まれて毎日を生きている。なんとしあわせなことだろう。

◇ 自然発生のゲンジボタルは青森まで、ヘイケボタルは北海道でも見られる。
allabout.co.jp/travel/drive/subject/msub_hotaru.htm

◆ 北海道ではホタルを見たことがなかった。そもそもホタルが生息していることも知らなかった。ゲンジではなくヘイケなのが残念だが、それでもホタルがいるらしい。ヘイケボタルの分布はサハリン、シベリア東部にまで及ぶという。とはいえ、基本的にホタルは熱帯の昆虫なので、

◇ ゲンジボタルの場合は北上して分布をひろげたが、ブラキストン線 (津軽海峡) はついに越えられなかったのである。しかしヘイケボタルの場合は、耐寒限界温度がより低く、北海道をさらに北上し、シベリアにまで達することができたと考えるべきなのである。
矢島稔 『昆虫誌』 (東書選書,p.14)

◆ ブラキストン線とは、ご存知のかたも多いだろうが、

◇ 英国の学者ブラキストンが明治時代、「北海道と本州の生物分布が明らかに違う」として、津軽海峡に“生物境界線”を提唱した。これがブラキストン線だ。端的に言うと、日本では、ヒグマ、キタキツネは北海道にしか生息せず、ツキノワグマ、ホンドギツネは本州にいて北海道にはいない、という具合だ。
www.toonippo.co.jp/photo_studio/insects/choucho/shijimi/column25.html

◆ もう少し例をあげれば、

◇ ブラキストン線は、ニホンザル・ツキノワグマ・ニホンカモシカ・モグラ科などの北限、ヒグマ・クロテン・ナキウサギ・シマリスなどの南限となっている。
www.eic.or.jp/ecoterm/index.php?act=view&serial=2340

◆ といった具合。

◆ 先に 「ゲンジではなくヘイケなのが残念だが」 と書いてしまったが、そもそも源氏も平家も北海道とはなんの関係もないので、なにも残念がる必要はない。ただ北海道には各地に義経伝説が残されていたりもするので、どちらかといえば、平家よりは源氏のほうが北海道に似つかわしいかと思ったまでのハナシ。

◇ 生涯を通して報われることの少ない悲劇の若武者への熱い思いは、 "義経は、ひそかに平泉を出て北へ向った"という伝説を今に伝えています。青森から船で津軽海峡を渡り、北海道各地に足跡を残しながら、ついには大陸にわたり、ジンギスカンとなったという壮大なロマンにまで発展しています。
www.akiku.com/hokkaido/yoshitsu.html

◆ ヨシツネははたしてブラキストン線を越えたのかどうか?

◆ 先日スポーツ新聞の芸能欄を読んでいたら、こんな記事が目についた。電子版から再録すると、

◇ シンガー・ソングライター福山雅治(36)が15日、鳥取県内にある「植田正治写真美術館」の開館10周年展覧会の内覧会に出席した。福山は著名写真家の植田さんから強く影響を受け、写真家として本格的に活動し始めた。
www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-050716-0001.html

◆ そもそも福山雅治が音楽活動のほかに、写真もやっていて、「テレビ朝日の公式カメラマンとして00年シドニー五輪、04年アテネ五輪に参加。個展を開くなど写真家としても活動中」 であることも初めて知ったが、それはさておき、気になったのは (福山雅治とはまったく関係ないことだが)、「内覧会」 というコトバである。ワタシにとって内覧会というコトバは、これまで (仕事がら) 新築マンションなどの住宅とのつながりでしかイメージされておらず、この記事で美術展覧会にも用いられるのを知って、このコトバにたいするイメージに多少の修正を余儀なくされた。《goo 辞書》 で 「内覧会」 を引くと、

◇ 限定された人に対して,何かを披露する会の総称。新規店舗が正式開店に先駆けてマスコミや関係者などを招いて行う見学会や,建築業者が新築住宅に購入者を招いて行う完成披露会など。
三省堂提供「デイリー 新語辞典+α」より

◆ とあり、もともとは不動産関連の用語で、それが美術界にも転用されたのではないかと思うが、違うかもしれない。ワタシが美術展の内覧会にあたるコトバとしてこれまで知っていたのは、「ヴェルニサージュ」 (vernissage) というフランス語だった。

◇ 「ヴェルニサージュ」ということばは、文字どおりには油絵の仕上げとしてニスをかけることを意味するのだが、それがしばしば、展覧会がオープンする直前、アトリエから会場に絵をもちこんで行なわれたところから転じて、展覧会開幕前の内示日ないし初日を指すようになり、現在でもこの意味で用いられているらしい。
www.museum.pref.mie.jp/miekenbi/hillwind/hill_htm/hill65_4.htm

◆ らしい、は不要で、実際に用いられている。

◇ A vernissage (varnishing, from French), also known as a preview or private view, is the ceremonial start of an art exhibition. It is usually a social event that people attend to show up, strolling around with glasses of free sparkling wine and canapés, talking to artists about the works in the exhibition.
en.wikipedia.org/wiki/Vernissage

◆ なるほど、シャンパンとカナペを目当てにやってくるひとも多いかもしれなくて、

◇ フォトグラファーの Exposition (展覧会) がパリ3区の小さな会場で行なわれました。この日は Vernissage (ヴェルニサージュ)、オープニングの日だったのでシャンパンを期待しつつのお出かけです。
3soleils.blog3.fc2.com/blog-entry-99.html

◆ 最後に、《The Digital Artist》 の 「Art and Design Dictionary」 でみつけた Vernissage のほどよい説明。ターナーの逸話は有名。

◇ A private showing, preview, or opening of an art exhibition -- an event marking the start of an exhibition. This word was used with increasing frequency in the United States in the last decade of the 20th century. Vernissage has its roots in the old practice of setting aside a day before an exhibition's opening for artists to varnish and put finishing touches to their paintings -- a tradition that reportedly dates to at least 1809, when it was instituted by England's Royal Academy of Arts. One famous member of the Academy, Joseph Mallord William Turner (English, 1775-1851), was notorious for making major changes to his paintings on this day. English speakers originally referred to this day of finishing touches simply as "varnishing day," but sometime around 1912 we also began using the French term "vernissage" (literally, "varnishing").
www.thedigitalartist.com/Dictionary/vernissage.shtml

◇ 勝手に増えているものがある。

◆ と始まるような文章をふと読み始めて、この読み始めた文章のジャンルは何かと訊かれたら、ワタシなら小説と答えると思う。つづけて、

◇ たとえば、毎週月曜日の化学の時間に使っている席の、机の落書きとか。

◆ と書かれているのをみて、なおさらそう思う。主人公は高校生か大学生。そのあとにいったいどんな筋書きが待っているのだろう。〔とここまでを、去年の11月23日に書いた。〕

◆ そして、その机の落書きはドラえもんであったりする。この文章の作者は、これは日記だと主張しているが、それはそれでかまわない。小説のような日記があって、困ることなどなにもない。というか、それはじっさいに日記なので、小説のような気がしたのは、たんなるワタシの印象にすぎない。同じ作者は、最近こう書いている。

◇ 朝のうちに日記を書こうとするとこんなにつまらないのである。まだ何もしていないからだ。

◆ 思わず笑みがこぼれる。日記であることは間違いない。間違いないが、ふつうの日記作者なら、「まだ何もしていないからだ」 などとは書き足したりはしまい。そんな余裕はないだろうと思う。ネットで無数のひとが私的な日記を公開しているが、覗き見趣味でなければ、他人が読んでおもしろい日記というのは、そうそうあるものではない。もちろん、日記というのは、他人をおもしろがらせるために書くわけでもないのだろうから (そのへんはワタシにはよくわからない)、頼まれたわけでもないのに他人の日記を読んで、おもしろくないなどというのは、勝手な言い草だろう。でもどうせ読むなら、日記はおもしろいほうがいい。そして、たいていの場合、日記がおもしろいかどうかの境界には、作者が他者を意識 (内なる他者であってもかまわない) しているかどうか、いいかえれば 「他者への配慮」 という問題が根底に横たわっているように思えるのだが・・・。どうもハナシがむずかしくなってしまった。

◇ 父が自らプライバシーを放棄したかのような大声で電話をしているのでとてもうるさい。電話越しの相手に向かって話しているのではなく、電話と話しているのかもしれない。電話は耳が遠いのかもしれない。いや、それとも家全体と会話をしようと試みているのであろうか。自室にいてドアを閉めているのに「居間と」会話を楽しもうとしているのだろうか…。

◆ いずれにせよ、こんな日記を読むのは、とても愉しい。引用した文章はいずれも 《MANBOU'S WEBSITE》 の 「翻車魚の不毛日記」 から。

◆ 「ふるさとの味 蛍」 という店の看板があった。ふるさとの味とあるからには、郷土料理屋に間違いないだろう。日本のどこかに蛍を食べる地方があるのだろうか? うまいとも思えないが・・・。

◇ 蛍を生で食うのはやめましょう! 口の中が光って気持ち悪い。
www.bea.hi-ho.ne.jp/oyayubihime/bbs/list35.shtml

◆ まさかとは思ったが、やはりあるのだろうか? 生で食べてはいけないそうだ。では、から揚げにでもするのか?

◇ ある男性が旅先のホテルの窓から飛び交う蛍を見ていたのですが突然、幽霊のような女の人が浮かび上がり蛍を指に取りそのまま食べてしまい、男性の顔を見て不気味な笑みを浮かべその男性が驚いて腰を抜かしてしまった・・・
www.threeweb.ad.jp/~elephant/tuiseki/os/drama04-06.html

◆ だから、生で食ったらイカンちゅうのに! これは、横溝正史の 『真珠郎』 のハナシだそうで・・・。