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◆ 東京に二十年近くも住んでいるのに、七月のお盆にはいっこうに慣れないから、ブログやなんかでいわゆる 「東京盆」 のハナシをあれこれ読んでも、まったくの他人事である。 ◇ 東京はお盆 (新暦) である。13日には迎え火をたいた。16日に送り火をたくまでは、仏壇飾りに仏様用の食事 (小さな器にご飯・汁と三菜を盛ったもの) のほかに、(先祖の霊が) 来る日はだんご、滞在中はそうめん、(あの世に) 帰る日は塩むすびを供えるのだと祖母に教わった。その祖母も向こうの人となってしまい、現在はめでたく帰省中である (おかへり♪)。 ◆ が、しかし、これに続けて、《祖母は確か、盆に帰ってくる先祖の魂のことを 「おひょろさま」 と呼んでいた》 と書いてあるのを読んで、ガゼン興味がわいた。 ◇ この言葉は、子どもには非常に怖かった。夜中のお雛様も怖いが、夜中に見る盆の祭壇も怖い。しかもそこにいるのは 「おひょろさま」 である。その言葉から、火の玉がひょろひょろと飛んでいる様子を頭に浮かべたものだ。だから夜中に目を覚ますことがないよう、盆は一生懸命目を閉じて眠った覚えがある。 ◆ おひょろさま! なんとイメージ豊かなコトバだろう。いくぶんひょうきんでもあるが、肉体をもたないものを表すのに、これ以上に最適なコトバは容易には思いつかない。 ◇ 「おひょろさま」 とは、恐らく、お精霊様 (おしょうろさま) のことであろうが、僕が子供の頃は、「おひょろさま」 は独特な雰囲気を持った、そして、日常に密着した、こころの儀式だった。 ◆ しかし、この 「おひょろさま」、Google でもほとんどヒットしないのがやや不思議。そんな疑問はさておき、引用を続けると、 ◇ 「おひょろさま」 のほかにもう1つ、「のんのさま」 という言葉がある。祖母の言動からすると、それは (仏壇にいる) 仏様のことらしい。盆に帰ってくるのは「おひょろさま」だが、普段、仏壇にいるのは 「のんのさま (のんのさん)」で、よそから頂いた初物の果物などは、まずは 「のんのさんにあげて」、しばらくして下げたものを家族で食べるのだ。 ◆ 「おひょろさま」 も 「のんのさま」 もワタシにはなじみのないコトバだけれど、「まんまんさん」 ならよく知っている。 ◇ ハナは おしょうがつに おとうさんとおかあさんと いっしょに みずほのおばあちゃんちに いきました。なぜ、おばあちゃんちと よぶかというと もう おじいちゃんはいないからです。おばあちゃんちに いったら きんぴかのタンスをあけて 「ちーん!」して 「まんまんさん、あっ」 ってやります。そのとき 「いただきます」 のときと おなじように てをあわせます。そのきんぴかのタンスのなかに おじいちゃんは いるのだそうです。おじいちゃんは ハナより ちいさいみたいです。 ◆ ワタシも子どものころ、「きんぴか」 ではなかったけれども、仏壇の前で、手を合わせ、意味もわからず、「まんまんさん、あん」 と言ったものだった。 ◇ 京都生まれ、京都育ちの私です。「まんまんちゃんあん」 は、仏さんにお祈りする時使います。「まんまんちゃん」→まんまんさん、つまり仏さんの意味で、「あん」は拝みながら最後に言ってました。たぶん 「ハイ」 とか 「うん」 とか、そういう言い回しだと思います。よくお婆ちゃんに言ってもらってました。方言って良いですよね^^ ◆ でも、「まんまんさん」 って不思議なコトバは、どこから来たのかな? ◇ 主に西日本だが、仏様 (仏陀ではなく故人の方) を「まんまんさん」と呼んだり、手を合わせるときにそう唱えたりする地域がある。「南無阿弥陀仏」 を真似た幼児語だと思われる。 ◇ 「まんまん」 とは、お経の 「なんまいだ」 つまり 「南無阿弥陀仏」のこと。「なむあみだぶつ」 と唱えるだけで、死後、極楽へ導いてくれる阿弥陀如来。転じて仏様の意。近畿などでの言い方。まんまんちゃんにあんしてき。まんまんさんが見てるで。中国、四国などでは 「のんのんさん」。 ◆ 阿弥陀如来のこと? では、もともとは浄土真宗系のコトバなのかな? まあ、そんなことはどうでもいい。「まんまんさん」 ほかいろんな呼び名があるようだけれど、それはとりもなおさず、死んだおばあちゃんであり、おじいちゃんのこと。 ◇ 「なんなさん」 の他にも、「なんなんさん」、「のんのさん」、「のんのんさん」、または「まんまんさん」、「まんまいちゃん」 などなど、仏壇は全国各地で実にさまざまな呼称で呼ばれていることが判明しました。私はなんと呼んでるかなあ、ということを考えてみたんだけどさー。我が家に仏壇が導入されたのは父が死んだときでありまして、その仏壇はただいま母の家にあるわけなのですが、母の家を訪れた際にその仏壇をなんと呼んでいるか、といいますと、「おじーちゃん」 と呼んでいる気がするんだよねえ。 |
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◆ 先に 「ホタルが音もなく飛び交っているのが見えた」 と書いた。たしかにワタシは何の音も聞かず、そのあまりの静寂が印象に残りもしたのだが・・・。 ◇ あたり一帯に飛びはじめた光の乱舞は想像を絶するもので、むしろあまりの数に不気味にすら思えた。光が光をよび、それが一つの塊りになって飛ぶさまは異様であり、これを亡霊だと信じた昔の人たちの想いも決して不自然とは思えなかった。暗闇のために遠近感をあまり感じない光の渦の中に身を置いていると、本当は何の音もしていないのに翅音を感じ、それが迫ってくるような錯覚にとらわれた。 ◇ 蛍って飛ぶときに羽音もさせないのが不思議です。 ◇ この時見たホタルは眩しいほどに光り、工事現場のように一定に点滅し、すぐ近くを飛んでいるのに羽音がぜんぜんしなくて、まるで地球外生命体の様なのです。 ◇ ホタルと静寂感は似合うのだが、羽音がまるで聞こえないのは不思議。あれだけの大きさの虫がホバリング状態で浮遊しているんだから羽はかなり激しく振動させているハズだ。蚊でさえ耳元で飛ばれるとブ~ンとうるさいのに。もっとも今晩は私たちより少し離れた川面でせいぜい10匹程度が飛んでいるに過ぎないので音が聞こえなくても別段不思議はないのだが、これが何千匹と群舞しても静かなのだろうか? ◇ 近くまで来た時に今日こそ羽音を確認してやろうと思うのだが、まだ果たさず。蚊でさえブ~ンとうるさいのに、どうして蛍は静かなのか。熱くない光とともに音のしない飛翔も謎である。 ◇ 時々光りながら一匹が飛ぶと、つられるように後数匹が一緒に飛んでいます。じっとしていると羽音も聞こえます。長い間暗闇で蛍を見ていると、眼が暗闇に慣れてきて、蛍が飛びながら光っているとその下の木々が蛍の光で薄っすらと照らされるのまで判ります。 ◇ 点滅をしながら飛ぶときに、かすかに音がして、あたかも線香花火のような具合に尻の火が燃えるような錯覚が起きます。これは、もちろん羽音でしょう。 ホタルの飛ぶ時に出る羽音って結構大きいのにはビックリしました。カナブンでも飛んできたかと思うほど大きい音がするんですよね。(多分メスの羽音だと思うけど…) ◇ ちょっぴり雰囲気をこわすようなことを言うなら。螢の羽音。ヘイケボタルの数倍の大きさがあるゲンジボタルは、コガネムシに匹敵する羽音がするそうだ。あの光を間近で見てみたいとも思うのだが、そんな羽音がするのではと、ちょっと苦笑いしたり。 ◇ ホタルは飛んでいるときより草や木の葉に止まっている時の方が多いようです。あまり飛ぶことは上手くありません。飛んでいるところをささやうちわで簡単に捕まってしまうのですから。/ そのわけは、硬いはねの下に隠されている飛ぶためのはねにあります。同じ甲虫類でも、カブトムシなどは硬いはねの下に大きく折りたたみ込まれた立派な飛翔用のはねが用意されているのに、ホタルの折りたたみはほんのわずかで上のはねとほとんど変わらない長さです。だから、飛んでいるところを見ると羽音が高く、けっこう真剣にはねを動かしているのに、そのわりには飛ぶのが遅いのです。 ◇ ある夜、私はその螢を、螢ぶくろの花の一輪ごとに一つずつ入れ、薄紙を花の口にはってから電灯を消し、暗い中でぼうっと明滅する青い大きな明りを眺めて、この思いつきを自分ながら感心していた。 / けれど、やがて螢を放してやると、たちまちブーンブーンとびっくりするような高い羽音を立てて飛びめぐり、人魂のように明滅するのが、何だか不気味だった。 ◆ ・・・ホタルの羽音は意外に大きいものらしい。 |
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◆ どちらでもいいが、とにかくどちらか選ばなければいけない。そんなときがある。 ◇ たしかメルボルンでだったと思うが、人通りの激しい通りで向こうから来た人とすれちがおうとして、わたしがその人の右側に歩を進めると、その人も同じ方向に歩を進めたので、わたしたちはあやうくぶつかりそうになってしまった。そのとき、この紳士は、わたしがあわてて 「アイム・ソーリー」 を言ったのに、無言のまま、「一体こいつは何て歩き方をするのかねえ」 といった面持ちでわたしを見、頭をふりながらすれちがっていった。これは、わたしには意外だったし、合点がいがなかった。わたしの何がいけなかったのか、と思った。唯一考えられるのは、わたしがその紳士の右側に歩を進めたことぐらいである。自動車じゃあるまいし、どっち側を通り抜けようが大した問題じゃないではないか。ところが、これが問題だったのである。 / 今度ニューヨークヘ行ってためしてみたのだが、(少なくともニューヨークでは) 人と人がすれちがうとき、おたがいの左側を通る傾向があり、ぶつかりそうな切羽つまった状況ではとくに、人は無意識的に左側ヘターンするようだ。これは、日本で育った者が示す歩行運動のバターンとはまるっきり逆だ。 ◆ そうだろうか? 日本でも、左によけるひとの方が多いような気がしていたのだが・・・。少なくともワタシはそうしていて、とくに問題に思ったことがない。これは、ワタシが左利きだからだろうか? ◇ 人とぶつかりそうになった時とっさの判断が必要なんだけど、これが、どうも右ききの人と反対によけちゃうみたい。と言うことは、向かい合ってよけようとしたら、鏡合わせのように同じ方向に動いちゃうのだ。これが、同じ右きき同士ならきっと上手くすれ違えると思うんだけど、パントマイムの鏡の演技みたいに同じ方向によけてしまって何度相手の人に怒鳴られたことだろう… 肩どつかれた事もありました。悲しい… わざとじゃないんです。でも、無意識によける方向ってあるじゃないですか。 ◆ あるいは、地域によって違いがあるのかもしれないが、よくわからない。そういえば、北海道で暮らし始めて初めての冬。雪が積もり、歩道の幅が狭くなる。正面から来たひととすれ違うのがやっとの幅になる。そんな季節がやってきて、ワタシのような内地出身者にはわからないけれども、道産子ならだれでも知っている、そんな雪の歩道を歩くさいの暗黙のルールのようなものがあるのではと心配になって、地元出身の友人に聞いてみたことがある。そしたら、「そんなルールはなにもないよ」という答え。それで、少しは気が楽になったが、じっさいに雪の歩道でひととすれ違うときには、やはり緊張してしまうもので、なんの構えもなしに歩けるようになるのに、なおしばらくの時間を要した。 |
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◆ おともだちの皐月さんが 「マンションには住めない」 と題して、こんなことを書いている。 ◇ 一人暮らしを始めてから、一度も、 「マンション」 (もちろん賃貸) に住んだことがない。エレベーターが苦手なので。だから、今まで、高くて三階建て程度の 「アパート」、という前提でしか、物件を探さなかった。 // 自分の住む場所に辿り着くのに、密室経由絶対、なんて、なんだかぞっとしてしまうのは、どうしてだか、昔からずっとあって。今住んでいるところも、全部で10世帯以下の、小さな建物。 / あの背の高い、オートロックなどのついた、奇妙な匂いのする建物は、どうも、自分の住処としては、馴染まない。「密室経由」、これが。多分ずっと苦手なままだと思う。怪我をしても、なんとかなるかもしれない、2階。みたいな場所に住み続けると思います。 ◆ マンション、エレベーター、階段、オートロック。これらのことがらいついては、引越屋として書きたいことが無数にあるけれども、それはまたの機会に書くことにして、ごく一般的に、思いついたことを少々。 ◆ 智恵子は 「東京には空がない」 といったが、バシュラールは 「パリには家がない」 という。 ◇ A Paris il n'y a pas de maisons. Dans des boîtes superposées vivent les habitants de la grand'ville: ◆ バシュラールに言わせれば、「ほんとの家」 には、地下室や屋根裏部屋といった垂直性の要素が不可欠なので、それらをもたない家を「家」 と呼ぶことはできなくて、それは箱である。その箱のなかにさらにいくつか水平の仕切りを設けるとマンションの家ができあがる。 ◇ Les édifices n'ont à la ville qu'une hauteur extérieure. Les ascenseurs détruisent les héroïsmes de l'escalier. On n'a plus guère de mérite d'habiter près du ciel. Et le chez soi n'est plus qu'une simple horizontalité. ◆ 田舎者の戯言であるかもしれない。「そんなこと言ったって、都心に一軒家なんて買えないじゃないの!」 という抗議の声が聞こえてきそうなので、この辺にしておこう。 |
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◆ 今年4月のニュースをいまごろ知った。イタリアの現代版 「生類憐みの令」 のハナシ。 ◇ [ローマ 22日 ロイター] イタリアのトリノでは、一日に少なくとも3回はペットに散歩をさせないと、飼い主には500ユーロ(6万5千円)の罰金刑を課せられる法律が議会で承認される。 / また、ペットの毛を染めたり、見た目を良くする為など犬の尻尾を切断したりといった動物の体の切断も理由は何であれ、新しい法律では禁止される。 / 地元ラ・スタンパ紙では「トリノでは自分の犬をケバケバにすることを禁止することになる」と伝えている。 / イタリア全土では、すでにペットをいじめたり捨てたりすることは、一年以下の懲役と1万ユーロ(130万円)の罰金になるが、トリノの新しい法律では、より詳細に違反が定められている。 / 例えば、犬が散歩する時は、自転車に乗りながらではなく、人間は歩いて連れて行かなくてはならない。そして「この場合も、動物をあまり疲れさせ過ぎてはならない」と記載されている。 ◆ この法律の条文をを詳しく読んだわけでもないので、よくわからないけれど、 ◇ 【誰が3回って数えんねん? 被害犬からバウリンガルで事情聴取するんかなあ?】 // 【じゃあ、私の近所のスクーターで散歩してるオッちゃんなんか懲役かな?】 ◆ といった疑問があれこれ湧いてくるのも当然なことだ、と思ったり、 ◇ 人間の都合で毛を染めたり尻尾を切ったり、人間の都合で吼えてうるさいイヌの声帯を取ったり、マンションのフローリングが傷つくからと、爪を切るんじゃなくて、生えて来ないように抜いちゃったりとか、度を越えた行為を禁止するという事には賛成しますがね。 ◆ といった感想を読んで、おいおい、日本では爪を抜いたりしてるんかい、それなら、日本でもこの法律が必要であるなあ、と思ったり。 ◆ ところで、引用記事でよくわからないのが、「トリノでは自分の犬をケバケバにすることを禁止することになる」 という箇所。犬をケバケバにするってなに? 気になったので、原文を引っぱり出して読んでみると、 ◇ Rome, Italy (Reuters) - Dog owners in Turin will be fined up to $650 if they don’t walk their pets at least three times a day, under a new law from the city’s council. / People will also be banned from dyeing their pets’ fur or “any form of animal mutilation” for merely aesthetic motives such as docking dogs’ tails, under the law about to be passed in the northern Italian city. / “In Turin it will be illegal to turn one’s dog into a ridiculous fluffy toy,” the city’s La Stampa daily reported. / Italians can already be fined up to 10,000 euros and spend a year in prison if found guilty of torturing or abandoning their pets, but Turin’s new rules go into much greater detail. / Dogs may be led for walks by people on bicycles, the rules say, “but not in a way that would tire the animal too much.” ◆ ケバケバのところは、“to turn one’s dog into a ridiculous fluffy toy” となっていて、これは、「飼い犬をこっけいなヌイグルミ (fluffy toy) にしてしまうこと」 といった意味。つまり、生き物である犬をヌイグルミみたいにおもちゃ扱いするな、と言っているわけ (たぶん)。 |