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◇ 21日未明から東海、関東地方南部を中心に降り始めた雪は、同日夜になっても続いた。東京・大手町では同日午後5時に9センチの積雪を記録。都心部で9センチの積雪があったのは98年1月15日に16センチを観測して以来で、8年ぶりの大雪となった。
◆ おともだちのめめさんが「身辺雑記」に「雪だるま」の思い出を書いていた。 ◇ 翌日は入学試験という日に、真っ白なぼた雪が、こんこんと降り、ふかふかと積もった。風邪をひいては、と言う母をなだめて、家の前の坂道を何度か往復して、自分の背丈と同じくらいの雪だるまをつくった。(ついでに、まじめに雪かきもした) 鼻とほっぺたとおでこと指とをまっかっかにした、いい年の娘を呆れ顔で玄関で迎えた母は、みかんをふたつ持っていた。「・・・これを眼にしなさい。」 雪でできてたって、だるまはだるまなんだから、明日の入試を考えたら両目を入れときなさい、と。
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◇ "Ich weiß, daß ich nichts weiß." - Socrates
◇ このギリシア文字のベータみたいなのは、エスツェットというんだ。エスツェットはもともとはエス(s)とツェット(z)がくっついてできた文字 なんだけど、現代ドイツ語では ss と同じだと考えていいんだ。だから、タイプライターやメールなどでエスツェットの文字が出せないときは ss で代用することもあるんだよ。なおエスツェットは小文字しか存在しないから、大文字で書く必要があれば、SS を使うんだ。 ◆ このエスツェットがあれば、意味はわからなくても、それがドイツ語であることだけはわかるというわけ。 ◇ エスツェットを書くと 「ああ,ドイツ語を勉強しているな」 と自己満足に浸る(?)ことができます。しかし1998年からのドイツ語正書法改正でエスツェットの役割は減少しました。 ◆ 「ドイツ語正書法改正」 について知ったのは数日前のこと。1月28日、立川市錦町のとあるマンションのごみ置き場に捨ててあった『エクセル独和辞典』(郁文堂)を持ち帰って、ぼんやり眺めていると、帯に 「新正書法完全対応」 とあった。 ◇ 1998円8月にドイツ語の新しい正書法が施行されました。従来の正書法は、今後とも誤りとはみなされませんが、2005年までの移行期間を経た後、廃止されます。 ◆ この新正書法によって、従来の書き方とはなにが変わるのかというと、たとえば、 ◇ 同じ発音でも違う文字を使うということはドイツ語でもしばしば起こることです。この文字の使い方に関する変更はたくさんあるのですが、私たちにもっとも身近なものは ss と ß の問題です。 // これまで [s] の音は基本的には ß でつづられ、母音にはさまれて前の母音が短い場合のみ ss でつづるという面倒なものでした。ですから、müssen という助動詞は主語が ich の時には後ろの母音がなくなるので muß とつづらなければなりませんでした。逆に、Fluß の複数形は Flüsse というように書き換えなければなりませんでした。 // 新しい規則では、長い母音、二重母音の後の ß 以外はやめようということになりました。そうすると、müssen のような場合、変化して後ろに母音がなくなったからと言って、muß と書く必要がなくなりました。また、これまでの Fluß は Fluss と最初から書かれるようになったわけです。そうすると、おなじみの接続詞daßもdassとつづられることになります。 // いいことだらけみたいですが、そうでもありません。この規則でも相変わらず、wissen は主語が ich や er のときは二重母音に変わるので weiß とつづらなければなりません。また、Straße, Maße のような語にも ß は残ります。 ◆ というわけで、冒頭のソクラテスの「わたしはわたしが知らないということを知っている」という一文は、新正書法にしたがって、今後はこう書かれることになる・・・ ◇ "Ich weiß, dass ich nichts weiß." - Socrates ◆ ・・・はずだが、ことはそう簡単には運んではいないようで、 ◇ ノーベル文学賞受賞者ギュンター・グラスは一歩進んで、自分の文章が新正書法に沿って教科書に公表されることを拒否している。マルティン・ヴァルザーも 「これからも自分の思い通りに(旧正書法に従って)書く」 と主張。正書法改革を 「官僚の暇つぶし」 と呼んでいる。 ◇ 正書法改革法(Rechtschreibreform)がドイツ国内で一律に発効する見通しがなくなった。 // 改革法に基づいて新正書法が始まるまであと2週間となったが、バイエルン州とノルトライン・ヴェストファーレン州は、各州首相会議(Ministerpräsidentenkonferenz)の決定を無視する形で、新正書法の導入はしないとの声明を出し、関係筋を驚かせた。 ◆ などなど、前途は多難な様子。 |
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◆ ちかごろ、街中でひとり言をつぶやくひとがやけに増えたような気がしてならない。そのことを問題すると、ハナシがややこしくなりそうなので、さしあたってはたんなる酔っ払いということにしておく。 ◆ 1月29日夜の8時半、仕事が終わって京王線の八幡山から快速電車に乗ったら、運悪くその車輌に酔っ払いのいかれたオヤジがひとり鎮座ましましていて、なにやら呪文を唱えておられた。オヤジの周辺にはおおよそ半径5メートルほどの見えないバリアができていて、だれもその聖域に近づくことはない。妙な緊張感が漂っている。まあよくある風景である。で、車内アナウンスが、「次はサクラジョウスイ、桜上水に停まります」 と告げたときに、聞くとはなしに聞いていたそのオヤジの呪文の内容がはっきりと聞こえた。 ◇ 「オレハカタイノジャナイトダメダ」 ◆ 軟らかくてはいけない、硬くなくては。なんのことだろう? あれこれ考えるひまもなく、オヤジがその答えを教えてくれる。 ◇ 「サクラゾウスイ、サクラゾウスイ。ゾウスイハダメダ。ゴハンハカタイノジャナイトダメダ」 ◆ そのオヤジがその桜上水で下車したことで、緊張感が解け、みなはホッとする。そして、ワタシは、桜雑炊とはいったいどのようなものだろうかと考え続ける。サクラの花びらを散らした雑炊だろうか? 悪くはない。春になったら・・・ |
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◆ たぶん 「ひっこし」 の 「し」 は師ではないと思うので、師走だから走っているというわけでもなくて、走るのが仕事だから走っている。走ると12月でも汗をかく。汗をかくと12月でも気持ちがいい。休むと汗がすぐ冷えて、やっぱり12月の空気は身にしみる。だから、また走って体を温める。そんなことを繰り返して、今年もまた暮れてゆく。 ◆ 25日、クリスマス。お母さんがひとり。娘は彼氏とスキーに行っちゃった。「クリスマスに引越するほうが悪い」 と言い残して。それもそうだな。引越先はエレベーターなしの階段5階。ワタシもスキーに行けばよかった。 ◆ 部屋のなかはストーブで暖かい。でも、作業をしている側からすると、暑い。かなり暑い。だから、ときどきイジワルをして、「危ないので、ストーブ消しますよ」 と言って、消してしまう。風邪をひいたら、ゴメンナサイ。 |
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◆ しばらくパソコンが不調で、「死の青い画面」(BSOD)に悩まされ、延々と再起動。それでもラチが開かずに、疲れて(面倒になって)寝ちゃう日々。あれこれ対策を講じてみたものの原因はわからず。やけになって再インストールまでしたけれど、結果はかわらず。ああ、なにかのパーツが壊れたんだな、ということにやっと気がついて、2枚さしてあるメモリのうちの1枚をひっこ抜いてみたら、無事もとどおりに回復しました。もともと中古のメモリだから、しようがないか。というわけで、しばらく更新が滞っていましたが、もう大丈夫? 今度は、やっぱり新品を買ったほうがよさそうな。というわけで、メモリ。 ♪ 君もみるだろうか「いちご白書」を ◆ この曲が発売されたのは1975(昭和50)年のことらしいから、ワタシはまだ小学生で、この「メモリー」というのを「目盛り」だと理解したとしても、いたしかたないところ。いや、こんな間違いもワタシひとりだけではなくって、 ◇「二人だけのメモリー」も「二人だけの目盛」って・・・なんやこれ?くらいの、国語力だった。 ◇「♪二人だけのメモリー」も「二人だけの目盛り」と思ってました。何なんでしょうね。二人だけの目盛りって。アホやん(^_^;。) ◆ ワタシはね、「何なんでしょうね」って思うことすらなく、きっと背比べで柱に目盛りをつけるようなもんかな、って思ってましたです、こども心に。 ♪ 柱のきずは おととしの 五月五日の 背くらべ ◆ いまでは、こんなお宅も少なくなりましたね。 |