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◇ 東京タワーを見てテレビ塔。 ◆ とつい言ってしまうひともなかにはいるかもしれない(もちろん、東京タワーもテレビ塔には違いないのだから、テレビ塔と言ってなんの問題もないのだが、それはさておき)。たとえば、札幌(北海道)から来たひととか、 ◇ 東京タワーをテレビ塔と呼んじゃったり、多摩川で豊平川を連想したり・・・根っからの道産子だわ私 ◇ 東京へ行った北海道出身者で 「つい、東京タワーをテレビ塔と言ってしまった事がある人」 は結構いるはず。 ◆ あるいは、名古屋(愛知)から来たひととか、 ◇ 名古屋は、テレビ塔と呼ぶので、ついつい、東京タワーを見て、「ほら、テレビ塔についたよ!!」 と言ってしまう母でした。 ◇ 時間があるので東京タワーまでお散歩。値段を見て登るのは断念。つーかあれは暴利でしょ~。ついつい 「テレビ塔」 と言ってしまう私は愛知県人…。 ◆ 札幌と名古屋には似たようなテレビ塔がある。だから、札幌から名古屋に行ったひとは、 ◇ その後はテレビ塔にいってみた。札幌のように赤と白ではなく銀色でした。名古屋の町は札幌に似てる! ◇ テレビ塔を発見! このテレビ塔の雰囲気をみて 『あれ?』 って思った。札幌のテレビ塔とあまりにも類似していたから。ガーデン風のカフェや広場の形など。そして大通り公園のようなものもある! 実際に展望台に登り、周りを見渡すと本当に札幌そっくりだった(@_@;) ◆ 名古屋から札幌に行ったひとは、 ◇ ちょうど夏祭りをやっていた大通公園に出て、名古屋のテレビ塔にそっくりなテレビ塔のある風景を歩き、焼きとうもろこしを食べたりしました。 ◆ と、だれでも似たような感想を抱く。 ◇ 「いつか、どこかで見た風景」 として、札幌と名古屋はテレビ塔と大通公園界隈が、よく似ていると言われます。札幌は大通公園としての歴史が古く、公園の一角にテレビ塔を建てました。名古屋は逆に、テレビ塔の周辺を公園として整備したのです。 ◆ それもそのはず、東京タワーも名古屋や札幌のテレビ塔も、「塔博士」 と呼ばれた内藤多仲(ないとうたちゅう)の設計によるものらしい。 ◇ 内藤博士は、テレビ本放送が開始した1953年に名古屋テレビ塔の設計を担当し、その翌年に竣工を迎える。さらに'56年に現在の通天閣、'57年に別府タワー、さっぽろテレビ塔と、展望台つき鉄塔の構造設計をつぎつぎに手がけ、'58年、ついに東京タワーを完成させるに至った。 |
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◆ 仕事帰りに駅前の銭湯に寄った。ひとっ風呂浴びて、脱衣所でからだを拭いていると、常連客が番台のオヤジに話しかけて、昨日は何をしていたのかと尋ねる。番台のオヤジは墓参りだと答える。そのつづき。 ◇ 「年寄りになると墓参りが楽しみになるねえ」 ◆ ワタシはそんなものかなと思いながら、服を着る。そのあと、桜のころの霊園はいいねえとか、ひとしきり墓参り談義。 ◆ 以前、街中で聞いた他人の会話を記録して 「今日のひとこと」 というようなページでも作ろうかと思ったことがあったが、印象に残る台詞にそうそう出合うわけもなく、そのまま思いつきだけで終わってしまった。それでも、ときどき、聞き耳を立てているわけでもないのに、自然に聞こえてくるような心地よい会話というものはあって、今日銭湯で聞いたのもそんな感じの会話だった。銭湯を出て、角を曲がると桜がすこし咲き始めていた。 |
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◇ He is known for his famous one-legged "flamingo" batting stance. ◆ 彼とは誰か? もちろん、Sadaharu Oh、王貞治のことである。 ◇ 1962年にすくい上げる打法を矯正するため、荒川博コーチの指導の下で 『一本足打法』 を習得。この打法はアメリカでは 「フラミンゴ打法」 と呼ばれる。この時の特訓で使った部屋の畳が磨り減ったと言われる程の過酷さは伝説として語り継がれている。この打法改造がきっかけとなって驚異的な勢いで本塁打を量産し始め、1964年にはシーズン本塁打55本の日本新記録、同年5月3日に開かれた阪神戦(後楽園球場)では1試合4打席連続ホームランを記録。
◆ ついでにもうひとつ。草野球に熱中していた小学生のころ、ある日、ワタシには荒川コーチはいなかったにもかかわらず、独力で、一本足打法を手本にして新たな打撃フォームの開発に成功したのだった。名づけて 「イッポンダシアホウ」。王選手の一本足打法はピッチャーに近い方の右足を宙に浮かせるものだったが、ワタシのイッポンダシアホウは、それとは逆にキャッチャーに近い方の足を上げるのである。ひじょうにバランスが取りにくく、この打法の習得にはかなりの鍛錬を必要としたが、この打法の効果は絶大だった。相手ピッチャーはワタシが反対の足を上げると一様に驚き笑い、そして暴投をした。しかし、その効果も長くは続かなかった。ピッチャーがこの打撃フォームに慣れてしまい、暴投をしなくなると、残念ながらワタシにはなすすべがなかった。バットを振るたびにワタシのからだは見るも無残によじれ、ボールを打つどころではなくて、その場に倒れこむのだった。ほどなく、ワタシはこの打法を封印することにした。しかし、その名はしばらく残ることになる。というのも、みながワタシを 「一本出し阿呆」 と呼ぶようになったからである。 |
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◆ つづけて 『赤と黒』 (Le Rouge et le Noir) からもうひとつ(第42章)。 ◇ – «Le comte Altamira me racontait que, la veille de sa mort, Danton disait avec sa grosse voix : C'est singulier, le verbe guillotiner ne peut pas se conjuguer dans tous ses temps, on peut bien dire : Je serai guillotiné, tu seras guillotiné, mais on ne dit pas : J'ai été guillotiné. ◆ ダントンって誰だっけ? ちょっと世界史の復習をすると、フランス革命のさなか、 ◇ ダントンは、ジャコバン派の右派の中心人物として、ダントン派を形成し、革命の過激化を嫌い、恐怖政治の緩和を主張してロベスピエールと対立し、1794年4月に処刑された。 ◆ そうそう、ダントンは断頭台(だんとうだい)の露と消えたのだった。なんだかダジャレみたいだ、と思ったら、 ◇ 発明者の名前を冠した処刑機械・ギロチン。フランス大革命の際にダントンが処刑された故事により「ダントン台」とも呼ばれる…というのはもちろん嘘だが、 ◆ 同じことを考えてるひともいた。それはともかく、「私はギロチンにかけられた」 と過去形で言うことができないのは、あたりまえといえばあたりまえのハナシで、ギロチンにかけられて死んでしまったら、「私はギロチンにかけられた」というコトバに限らず、どんなコトバであれ発することはできはしない(と思うが、死んだことがないので断言は避けて)だろう。 ◆ 日本語でも、ふつう、「私は死んだ」 とは言えないだろう。では、私は死なないのだろうか? もちろん、死ぬだろうけれど、その死ぬ主体はいったいだれなのか? 生活にかまけていると、死の問題など考える機会もなくなるもので、かえって、中学生のほうがモノを考えていたりする。 ◇ 私は、人は死は体験できないものだと考えます。人は死ぬ前に先に意識がなくなるものだと思います。実際に死んだことはないですし、死んだ人に聞いたわけでもないのでそうとは言い切れませんが、死は体験できないと思います。筆者の友人が言う通り、「死ぬのは他人ばかりなり」 その通りだと思います。死んだ後どうなるかは他人しかわからない、だから 「死」 というものは恐れられているのだと私は考えました。 ◆ これは、江戸川学園取手中学校の道徳の授業 「テーマ:生命尊重・・・命のバトン」 の感想文(1年7組 C.A. さん)。中1でこんな文章が書けるのも驚きだが、この 「筆者の友人」 にはもっと驚く。「死ぬのは他人ばかりなり」、こんなセリフを吐く友人がいるとは。C.A. さんは、とんでもない友人をもっている。 ◇ Sur sa tombe au cimetière de Rouen est gravée cette épitaphe : ◆ 「彼」 とは、20世紀の芸術家マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)のこと。 ◇ 人は誰も自分が死ぬとは思っていない。それがどういうことなのかわかってはいない。たとえ納得しているつもりではあっても、納得されているその事態は死そのものではなく死をめぐる物語にすぎない。自分の死後に人がどのように振舞うかを見たいために、死を演じてみせたロシアの皇帝の話を人は笑うことができない。事実は、誰もが同じようなことをしているといってよいからである。たとえば、後世を信ずるとはそういうことだ。 ◆ 『赤と黒』 にハナシを戻すと、ダントンの 「私はギロチンにかけられた」 とは言えないことについての単純で深遠な問題提起を、ジュリアン・ソレルは一笑に付して、 ◇ – «Pourquoi pas. reprit Julien. s'il y a une autre vie ? ... ◆ と呟いたのだった。いま思い出したが、かつて流行った 『北斗の拳』 のケンシロウの決め台詞に 「お前はもう死んでいる」 というのもあった。このコトバもまた、生と死の微妙な差異に触れているように思う。 |
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◇ 貧しい家庭教師ジュリアンは、雇い主であるレナール夫人を誘惑し、パリに出てはラ・モール公爵の秘書に雇われ、公爵の娘マチルドと恋仲になる――1830年代、混乱期のフランスの一地方とパリを舞台に、田舎出の青年ジュリアン・ソレルの恋と野望の遍歴を見事に描ききったスタンダールの傑作。 ◆ こんなハナシらしいが、以下に引用するのは、小説の終わり近く(第44章)、主人公ジュリアン・ソレルが、不倫をばらしたレナール夫人にアタマにきて発砲し、殺人未遂の罪でブタ箱に入れられ、ギロチンにかけられる日をただ待っている、そんなときにふと思いついたこと。 ◇ – «Une mouche éphémère naît à neuf heures du matin dans les grands jours d'été, pour mourir à cinq heures du soir, comment comprendrait-elle le mot nuit ? ◆ 9時から5時まで。なんだか定時で帰る公務員のようでもあるが、つづけて、 ◇ – «Donnez-lui cinq heures d'existence de plus, elle voit et comprend ce que c'est que la nuit. ◆ 早出と残業、どちらに5時間をつけるかにもよるだろうが、5時間残業してもまだ夜の10時。子どもの寝る時間だ。夜の意味を知るには、まだ足りないだろう。 ◆ けれども、夜とはいったいなんだろう? 大きくなるにつれて、寝る時間はすこしづつ遅くなっていったけれど、いつワタシは夜の意味を知ったのだろうか? |