MEMORANDUM

◆ ひとつ前の文章にワタシは 「ぼくは、もうここには」 というタイトルをつけた。これは適当なタイトルを思いつけなかったために、冒頭の数語をもってタイトルに代えたという次第だが、こういうのを 「インチピット」 というのだそうで、

◇ 『平成三年五月二日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに』 というのは、石黒達男の小説につけられたタイトルである。書き出しの文句をタイトルにしたものは、「インチピット incipit」(「~と始まる」 という意味のラテン語)と言い、オペラのアリアの呼び名に見られる馴染みのものだが、
佐々木健一 『タイトルの魔力』 (中公新書, p.26)

◆ ラテン語というのであれば、あるいは 「インキピット」 というべきかもしれなくて、

◇ 中世写本の冒頭は、ラテン語の incipit という言葉で始まりました。incipit ... は英語では here begins ... と訳され、「ここに・・・が始まる」 という意味になります。この文章をインキピットと呼びます。
www.ndl.go.jp/incunabula/glossary/glo_02.html

◆ インチピットでもインキピットでも(あるいはインシピットでも)、無題よりはいいと思う。

◇ 「ぼくは、もうここには戻らないようにしようと思う。そう決めたんだ」

◆ いつもは座れるのに、雨のせいだろうか、優先座席以外に空席はなく、仕方がないので、つり革にぼんやりと身をまかせている。そんな朝のバスのなか、こんな台詞がふとどこからともなくやって来て、夜になってもなぜだか憶えているので、記しておくことにする。でも、なぜだろう? 「ここ」 とはどこだろう? どうして 「ぼく」 はそう決めたんだろう? まちがいなく自分のアタマのなかのことなのに、皆目見当がつかない。もしかすると、あれはバスで隣り合わせたひとのふぶやきだったのかもしれない。そう考えたほうが気が楽だ。まったく情けないハナシだけれども、この台詞が妙に気にかかってアタマから離れない。

  日ロ

◆ 2005年8月19日、小樽市港町8番6号。この建物の入り口の上には 「小樽市外航船客公共待合所」、下には 「小樽~サハリン フェリーターミナル」 とあって、地図で確認すると、「日ロフェリーターミナル」 と記載されている。小樽からサハリンのホルムスク(真岡)まで、フェリーが出ているらしい。

◆ ところで、この 「日ロ」 という文字の連なりはちょっと読みづらい気もする。「ロ」 はもちろん 「ロシア」 の 「ロ」 だけれども、漢字の 「日」 とカタカナの 「ロ」 をつなげると、カタカナの 「ロ」 が漢字の 「口(くち)」 にも見えて紛らわしい。「日露」 と書けばわかりやすいが、これではやはりソ連以前の帝政ロシアを思い浮かべていろいろ不都合もあるのだろう。

◇ 明治の初年、ロシアの国を文字で表す時に魯の字を宛てていたところが、魯は一方においては昔孔子などを出した魯の国を意味すると同時に、愚の意味にもなるところから、かの国から異議を申し出て一頃までは露という字になっていた。それも今は蘇の字に変ったが、長年の間露の字が宛てられていた。あの世界の大国が露という可愛らしい字で表現されたとはいえ、別にはかないとか小さいとかいう連想がなかったと見えて、無難に数十年を過してしまったのはまたすこぶる面白いことと、ほほえましく思っている。
新村出 『語源をさぐる』 (講談社学芸文庫, p.19)

◆ 「露」 という漢字を 「かわいらしい」 と思う感覚はワタシにはなかったけれど、そういわれるとそうかもしれない。

◆ 引越屋にとって、忙しい日々はまだまだ続いているけれども、4月になって、たしかに峠は越えたので、ちょっぴり余裕が出始めて、またサイトの更新に精を出さねばと思い、パソコンに向かったところが、ディスプレイ上には、

◇ A disk read error occured.
  Press Ctrl+Art+Del to restart

◆ という不吉なコトバが・・・。「ディスク読み取りエラーが発生しました。Ctrl+Alt+Del を押して再起動してください」。それでは、と Ctrl+Alt+Del のキーを押してはみるが、同じコトの繰り返しで、起動できず。ハードディスクを交換するしかないのかなあ? というわけで、復旧にはしばらく時間がかかりそうです。しばらくはネットカフェから。

  射水市

◇ 富山県射水市の射水市民病院(麻野井英次院長)で平成12年から昨年までに、外科部長の男性外科医(50)に人工呼吸器を取り外された同県内の男女7人の患者が相次いで死亡していたことが25日、分かった。
www.sankei.co.jp/news/060325/sha070.htm

◆ というニュースにふれて、安楽死あるいは尊厳死についてすこし考えてみたりもしたが、それよりも気になったのは、この射水市民病院はどこにあるのかということだった。というのも、この射水市は、「平成の大合併」 によって、去年できたばかりの市で、

◇ 2005年11月1日、射水郡の全町村(小杉町、大門町、大島町、下村)および新湊市が合併して発足した。
ja.wikipedia.org/wiki/射水市

◆ ということなので、射水市民病院とあるだけでは、これが旧市町村のどこにあるのかがわからない。それがちょっと気になったのだった。前掲の記事には、

◇ 射水市民病院は昭和25年、富山県高岡市立新湊病院として発足。市町村合併に伴い、昨年11月に射水市民病院に改称した。病床数は200床で、13の診療科を備える。
Ibid.

◆ とあるけれど、これはちょっと端折りすぎで、高岡市立新湊病院がいきなり射水市民病院になったわけではないので、射水市民病院のサイトの 「病院沿革」 にある、昭和26年3月、

◇ 新湊市立新湊病院と改称(同年1月、市制施行により高岡市から分離、新湊市となる)
www10.ocn.ne.jp/~shin-hos/enkaku.html

◆ の一行をあいだに挿まなければ、誤解を生じる。さらには、昭和51年3月、

◇ 現在地(朴木)に移転新築し、新湊市民病院と改称
Ibid.

◆ の一行を加えれば、さらにわかりやすい。高岡市から新湊市をへて射水市へ。思えば、市民病院の歴史とは、そのまま地方自治体の歴史なのだった。

◆ せっかくなので、射水市の市章でも紹介しておこう。

◇ 射水市の市章は、射水の頭文字 「い」 の字のデザイン化したもので、輝く日本海を表現しています。射水市誕生にあわせて、一般から募集を行い、
(1)射水の 「い」 をベースに水滴をイメージできる。
(2)循環するイメージの中で持続可能な発展性が見て取れる。
より、このデザインが選考されました。

www.city.imizu.toyama.jp/contents/city/outline/index5.html

  護美箱

◆「護美箱」と書かれたゴミ箱を見かけることがある。もちろん当て字である。

◇「護美箱」は、漢文風に訓読すると「美を護(まも)る箱」となり、「ゴミを入れることにより周りの美しさを守る箱」という、ちょっとしゃれた当て字でしょう。
www.taishukan.co.jp/kanji/qa_idiom.html

◆ これをシャレた表現と感じるかダサい表現と感じるかはひとそれぞれだが、

◇ ・・・護美箱。いい響きですね。日本語って美しい!! 皆さんもごみは絶対に捨てないようにしましょう!!
www1.linkclub.or.jp/~spanky/YH001/Sbook/Sbook2/16Gomibako.html

◇ ところでゴミって、いらないものとか、役にたたないとか、うちの田舎だと分別が細かいから面倒なものって意味になるけど、或お寺のゴミ箱は「護美箱」と書いてありました。美を護るなんて粋だと思いませんか、ゴミが護美になるんですよ。
blog.goo.ne.jp/jyushoku96/e/e6074a1895c35974fa3136634f7d3a9e

◇ 当て字であろうが「美」を「護」る箱の護美箱は感心した。ゴミ箱よりはよほど美しい日本語である。
www.sun-inet.or.jp/~qze13054/menu%20433.html

◇ 護美箱←山形の駅で見つけた文字。なんて読むんだ?と悩むこと1秒、あ~ゴミ箱か。ゴミとは書かずに護美箱と書くセンスに乾杯♪ 美しさを護る為の箱だからゴミ箱ね、深いね~~日本語w
nejilog.exblog.jp/3015536/

◇「護美箱」と当て字を書いて、箱を準備している学校もあるそうです。美しさを護(まも)るとはいいですね。すべての人が「護美人(ひと)」になれば、たばこの「ポイ捨て」や、空き缶の「自己中心当たった人のことは構わず投げ」などはなくなるでしょう。
www.hatara-j.ed.jp/turezure/turezure2.htm

◇「地球に優しい」というフレーズが、ボクはどうも好きになれない。ゴミ箱を「護美箱」と書く発想に似て、ゴマカシがある。地球は決して優しくしてほしいなどとは思っていないのである。「人類が生き残るために、地球をどうするか」とストレートに言えばよい。
橋元淳一郎『シュレディンガーの猫は元気か』(ハヤカワ文庫,p.119)

◆ ゴミ箱を「護美箱」と書くのはまだ理解できる。けれども、ゴミを「護美」と書くのはどうか?

◇「護美箱」ってさぁ、どう考えても当て字だよね。だって、「ごみ箱」って単語になってりゃ「美を護る箱なのね」と思えるけど、「ごみ」だけだったら、とても「美を護っている物体」とは思えないもの。
irusuka.sakura.ne.jp/glossary/glossary.html

◇ 六年生のころ、「護美箱」というのをお寺の境内で発見して、いたく感動したことがある。なるほどよく考えたものだ、とばかりに、学校のゴミ箱にも「護美箱」と表示した。ポスターにも「護美は護美箱へ」と書いた。そのポスター、自信たっぷりに張り出してから、「護美箱」はありでも、ゴミのことを「護美」と書くのはおかしいよなと気づいて、とっとと撤去したのを思い出した。
www.tcp-ip.or.jp/~beans/kotonoha/04-04kotonoha.htm

◆ ワタシも箱のない「護美」という表記にはちょっと違和感を感じる。「護美箱」という漢字表現がまずあって、そこから「箱」をとって「護美」という当て字が生まれたので、その逆ではない。つまり、これは一種の「逆成」(backformation)なので、「箱」がないとちょっと間が抜けた気がする。

◆ とはいえ、どのみち当て字なのだから、意味があろうがなかろうがかまわないとも言えるので、その場合は、ゴミを「護美」と書こうが、「娯魅」と書こうが、「五三」と書こうがどうでもいいことになる。あるいは変則的に、かな交じりで「ご三」や「五み」と書く人もいるかもしれない。

◆ ときどきお客さんの家に、ダンボール箱には到底いらないような大きな大きなぬいぐるみがあることがあって、そんなときには、やや困る。汚れないようになにかでくるんであればいうことはないのだが、お客さん自身もどうしていいかわからないので、たいていはそのまま置いてある。それは仕方のないことだろう。微妙な大きさの場合、箱に押し込もうとすることもあるが、なんだか虐待している気もする。お客さんの目も気になる。だから、こちらもそのまま運ぶことが多い。すこし恥ずかしい。目があり口があるものをダンボール箱と同じようには運べない。軍手は外したほうがいいだろうか? さらには手を洗うべきだろうか? と思ったりもする。でも、たいていは、公平に見て、ぬいぐるみの方が汚れているので、まあいいか、とも思う。大きなゴミ袋にいれてあることもあって、それもまた困ることがある。本当のゴミがはいったゴミ袋が並んだ場所の近くに、そのぬいぐるみが入ったゴミ袋があったりすると、はたしてこれは荷物なのかゴミなのか、と判断に迷う。これはゴミですか、などと訊けるものではない。ほとんどの場合は荷物である。でも一度だけ、おそるおそる確認したら、あっさり 「ゴミです」 と言われたことがある。この大きなぬいぐるみをどんな思い出といっしょに捨てるのだろう? といらぬことまで想像してしまうが、まったく余計なお世話で、引越屋には関係がない。