|
◆ 10月に入ると、さすがにセミの声も聞こえない。けれど、耳のなかには、夏のあいだじゅう、響いていたその声のカケラがまだ残っているらしくて、ときおり夜中に、夏の思い出のように鳴いては、ポロリとこぼれ落ちる。そんなことが何度か繰り返されて、ある日、夏が完全に終わる。 ◆ 作家の川上弘美が、《ほぼ日刊イトイ新聞》の 「虫は好きですか」 という座談会で、こんな発言。 ◇ 私、最近、耳鳴りがするんですが、これがジーッというから、セミが夜に鳴いているのかと思っちゃって。音が一緒で区別がつかないんです、耳鳴りとアブラゼミ。困りますね。(笑) ◆ 同じ座談会で、昆虫学者の矢島稔が、こんな発言。 ◇ 上野動物園で昔、ドイツのハーゲンベック動物園からゾウを買い、飼い方の指導のためドイツ人の飼育係が2ヵ月ほど日本に滞在したんです。いよいよ帰国というとき、園長さんが 「お礼を差し上げたい」 と言うと、彼はアオギリの木を指して、「あの鳴く木をください」 と答えたんですよ。夏中、木から何かの鳴き声が聞こえていた。だけど鳥の姿はない。それで彼はてっきり、木が音を出してると思ったんですね。 ◆ 似たようなハナシに、こんなのもある。 ◇ 細菌学者のコッホが日本に来たとき、歓迎会の席上、彼が日本の学者らに奇妙な質問を発した。「クリハマ」 というのは一体どんな鳥か、その姿が見たいというのである。列席の学者中にもそんな鳥の名を知る者はおらず、コッホ博士に詳しく問いただしてみると、浦賀で船を降りて東京に来る途中、松林を通りかかると、大きな声で鳴く鳥を聞いた、人力車夫にその名を問うと、 |
|
◇ オムライス ¥820 ◆ 「焼魚(煮)定食」 とあるのは、意味不明なので、もしそうならば、「焼(煮)魚定食」 と正確に書くべきではないか、と思ったり、「牛もやし定食」 とあるのは、巷の定食屋に飛び込んで 「肉野菜定食」 を注文したはいいが、出てきたのが 「もやしたっぷり肉少量定食」 だったりすることがしばしばのワタシにとっては、JAROに表彰状を進呈するように進言したい気にもなったり、はたまた、いかんせん、専門店でもあるまいし、これでは総じて値段が高すぎるだろう、と不満になったりして、結局のところは、入ってみるのを躊躇したのだったが、さて、750円の 「スパゲテイ」 も捨てがたい。この 「スパゲテイ」 なるもの、はたして、なにものだったのだろうか? ◇ 小学生のころ、スパゲティは給食の人気メニューだった。にゅるっと軟らかい麺(めん)にタマネギ、ニンジン、ピーマン、ハムを入れたケチャップ味のナポリタン。ミートソースのひき肉もケチャップで煮込んでいた。スパゲティといえば家庭でも店でも、この二つだった。 ◇ スパゲティといえば、ミートソースを連想する人も多いのではないでしょうか。学校給食でスパゲティといえばミートソースだったりして、このときの記憶がスパゲティとミートソースを不可分のものとしたのでしょう。トマトベースの挽肉のソース、イタリアではボローニャ風――ボロネーゼといいます。 ◇ ナポリタン以外のスパゲティがあると知ったときの驚きは今でも忘れない ◇ 昔スパゲッティといえばナポリタンかミートソースくらいしかなかった時代、初めて食べたのが喫茶店のナポリタンだったような気がします。 ◇ 小生が子どもの頃のスパゲティといえば、ゆで上げた麺にひき肉入りのソースをかけた 「ミートソース」。もしくは、ケチャップ炒めの 「ナポリタン」 しかなかった。スパゲティ料理が、たったの2種類だけ。後にも先にも、これで終わり。(それが数十年でこの変わりよう。いつの間に、日本人はこんなにスパゲティ好きになったんでしょう?) ◇ 10年くらい前までは、スパゲッティを食べるといえば喫茶店のランチや洋食のレストランでミートソースやナポリタンを食べるということだった。今ではそういう所でスパゲッティを食べる人は少ないのではないだろうか。 ◇ そう、かつて日本には 「アルデンテ」 など存在しなかった。日本のおかん達は 「マ・マースパゲティ」 をうどんのように芯まで茹で、ケチャップで味付けをしてナポリにはないというナポリタンを作ったりしていたわけだ(あんかけスパゲティの項で書いたように、名古屋のナポリタンは特殊らしいが)。ナポリタンでなければミートソースだ。この二つ以外のスパゲティは 「アルデンテ以後」 になるまでごく限られた人々の口にしか入ることはなかった。 ◇ 今でこそ、パスタの種類はぺペロンチーノやカルボナーレ、ボンゴレなど数多くあるけれど、私が高校生だった頃(さて、何年前でしょう?)は、専門店のメニューにミートソースとナポリタンのたった2種類しかなかった。しかも、呼び名はスパゲッティしかなく、パスタなんて言葉が普及するのはずーっと後の話である。 ◆ 手当たり次第にあれこれ引用してみたが、まとめるのが面倒なので、『スウィングガールズ』 の井上君に倣って、「全てのスパゲティは2種類に分けられる。ミートソースとナポリタンだ」。たしかにそんな時代があったのだった。ちなみにワタシの小学生時分の記憶では、給食のスパゲティはナポリタンでしたね。ミートソースなど出された覚えがありません。 |
|
◇ 全ての人間は2種類に分けられる。スウィングする者と、スウィングしない者だ。 ◆ とは、映画 『スウィングガールズ』 (矢口史靖監督)のなかで、高校球児の井上君が発したセリフ。この井上君、ことあるごとに 「全ての人間は2種類に分けられる…」 とのたまうが、その二分法の基本は、××する者と××しない者式のものであって、Aでなければ非Aであるのは当たり前だから、分類遊びとしてはいささかおもしろみに欠ける。それならば、まだ ◇ All people can be divided into two groups. Tomatoes and Cucumbers. He and I are both Tomatos . All the successful relationships he knows are composed of one Cucumber and one Tomato. ◆ といった分類の方が、なにを言ってるのかよくわからないにしても、まだおもしろい(トマト+キュウリ=全ての人間?)。 ◆ 「全ての人間は2種類に分けられる。ネコ好きとネコ嫌いだ」 という排中律にしたがう真っ当な分類よりも、「全ての人間は2種類に分けられる。ネコ好きとイヌ好きだ」 という大雑把な分類の方が、論理的には杜撰であっても(では、ネズミ好きはどうなるのだ?)、おもしろいと思う。そんな例をあとふたつ。 ◆ 全ての人間は2種類に分けられる。並列型と直列型だ。 ◇ で、ほら、先生が並列と直列の二種類で、電球の明るさを確認させるでしょう? まず並列つなぎをして、それから直列にする。ぱあっと電球が明るくなる。その瞬間、生徒たちから賛嘆の声があがり、先生は自分の発明でもないのに得意げな顔をする。そこまでは、いいですね? ええ、と彼はほとんど機械的に言葉を継いだ。たしかに、おおっという声があがって、教室がしばし華やいだ記憶が彼にもあったのだ。でも、ぼくには納得いかなかったんです、ぼくがびっくりしたのは、並列のつなぎのほうだったんですよ、足し算が足し算にならない、そんな不思議なことが起こるのかって。ところが並列つなぎに魅せられたのは、クラスでぼくひとりだった。それが不可解でね。考えてみれば、明るくなるほうがやっぱり見栄えもいいし、わかりやすいし、まあ華やかなんです。並列はすなわち現状維持ってやつですよ。直列の夢に毒されて容量を度外視し、やみくもに足し算をつづければコイルが焼き切れる。それなら電池を節約しながら現状を維持したほうがいいのではないかと思うんです。だからあの基礎的な実験でどちらに声をあげるかが、ひとを判断するぼくのごく個人的な基準になってるんですよ。怒るかもしれないけれど、きみは並列でしょう? ◆ 全ての人間は2種類に分けられる。ヘビ嫌いとクモ嫌いだ。 ◇ 世には蛇型と蜘蛛型と二つの原型があると聞く。性質ではない。人が最も嫌惡する禽獣蟲魚の、特に蟲の類を大別しての呼名である。蛇は他の爬蟲類一切を含み、蜘蛛は一廳昆蟲すべてをも含めての大別である。私は蛇は寫眞を見ても鳥肌立つが、蜘蛛や蛾など身體に觸れてゐてもさして氣にならない。對照的に妻は蝶でも燈火に迷ひこんで來ようものなら、徹底的に追ひ拂ひ、私には見えない鱗粉の痕跡を氣の濟むまで清拭する。そして、蛇や蜥蜴(とかげ)は別に好みもしないが、たとへ目の前に來ても悲鳴を上げるほどではないと言ふ。親しい友人の一人は蟷螂(かまきり)を見るとそれから三、四時間食慾を喪ひ、蟬も蝗(いなご)も沙汰の限り、蜚蠊(ごきぶり)が怖ろしいので貧乏質に置いて家を新築し、書齋に使ふべき金を廚房の完全武装用に廻したといふ。一人一人去り嫌ひは異にし、蜘蛛を愛育しながら蛞蝓(なめくじ)一匹に腰を抜かす美丈夫もゐるし、錦蛇に手づから餌を與へるくせに、蚰蜒(げじげじ)が出たと言つて顫へる髭男もゐる。 |
|
◆ 野中広務は33歳で園部町長に当選すると、町民には不便きわまりない役所特有の縦割り組織の弊害を改善しようとして、役場の玄関につぎのような掲示をさせた。 ◇ 窓口には仕事のもちばに違いはありません。何でも相談に応じます。 ◆ 役所とたらいまわしは、いまもむかしも、切っても切れない関係だろうと思うけれども、それとは別に、「たらいまわし」 という慣用語を使うときに、現実の 「たらい」 のイメージが脳裏に浮かぶひとはどれぐらいいるだろうか?(ほとんどいないだろう。盥製造業者くらいだろうか?) さらに、アタマのなかで、たらいがぐるぐるまわって目を回してしまうようなひとは?(さらに、ほとんどいないだろう) いないだろうけれど、こういうことを想像するのは楽しい。想像しているあいだに目がぐるぐる回ってくる。(それは酒のせいでもあるが) ◆ で、ワタシが目を回した 「たらいまわし」 のイメージは、曲芸の皿回しのように、盥自体がぐるぐる回っているといった状況で、よく考えると、これでは、「たらいまわし」の意味をなさない。では、「たらいまわし」 とはいったい何なのか? ◇ 本来は、仰向けに寝て足で盥を回しながら受け渡す曲芸のことであったが、回る盥の方はちがっても、それを回す方の足は変わらずに同じであるところから、馴れ合いで順番に回す意になったものと考えられる。歌舞伎 『伊勢平氏栄花暦』 に、「嫌だ、盥回しめ、無くなりゃあがれ」 という例が見える。 ◆ なるほど。でもいまひとつイメージがつかめない。仰向けに寝ている人は何人くらいいて、どのような隊形になっているのか。大人数で円形に寝て盥を回すのだろうか? とにかく、盥自体も回っていることは間違いない。それに加えて、さらにその回っている盥が人の足から足へと回っていくということなのだろう。地球が自転しつつ、太陽のまわりを公転しているようなものだろうか? 盥を回すのもたいへんなことなのだろう。 |