MEMORANDUM

◆ 井上陽水に(小椋佳に、と言ってもいいが)、「白い一日」 という曲がある。

♪ ある日 踏切の向こうに君がいて
  通り過ぎる 汽車を待つ
  遮断機が上がり ふり向いた君は
  もう大人の顔をしてるだろう

  井上陽水 「白い一日」(作詞:小椋佳/作曲:井上陽水)

◆ このあたりの歌詞がなんともいい。と思っていたが、いま読み直してみると、ちょっと変な気もする。踏み切りで列車の通過を待っているこの 「君」 は、そもそもどちらに顔を向けていたのだろうか? ふつうは踏み切りの方を向いて立っているものだと思うのだが、そうすると、遮断機が上がって 「君」 が振り向くとすれば、当然その方向は踏み切りの後ろ側ということになって、踏み切りの反対側にいる 「僕」 からは顔を逸らすことにならないだろうか? あるいは、夢のハナシで、この 「君」 には顔の後ろにもうひとつの 「顔」 があったりしたのだろうか? それとも、列車が通過する前には 「君」 とは踏み切りの反対側にいたはずの 「僕」 が、遮断機が上がったときには、なぜだか 「君」 の背後に瞬間移動していて、振り向いた 「君」 の顔を見たのだろうか? あるいは、列車の通過を待つあいだ、なぜだか 「君」 は踏み切りを背にして立っていて(そんなひとがいるだろうか?)、遮断機が上がって踏み切りの方に振り向いたのだろうか? そんなつまらないことを考えて、「今日も一日が過ぎてゆく」 のだった。と、そんなことを書きたいのではなかった。でも、書きたいこともこれと似たようなもので、

♪ まっ白な 陶磁器を
  ながめては 飽きもせず
  かと言って 触れもせず
  そんなふうに 君のまわりで
  僕の一日が 過ぎてゆく

◆ これは 「白い一日」 の冒頭部分だが、このなかの 「陶磁器」 というコトバが以前から気になってしようがない。「僕」が眺めているのは複数の陶磁器なのだろうか? そうではないだろう。「まっ白な陶磁器」=「君」 というふうに読めるから、おそらく陶磁器はひとつしかない。だとすれば、その陶磁器は陶器なのか磁器なのか? はっきりしてほしい。それが気になる。

◇ 陶磁器(とうじき)は、土を練り固め焼いて作ったものの総称。
ja.wikipedia.org/wiki/陶磁器

◆ 「総称」 だといえば 「総称」 かもしれないが、「総称」 であるにしても、形態としては、陶磁器というのは陶器と磁器を合成しただけの不完全な 「総称」 であると思う。似たような語に、国公立大学とか欧米人とか動植物とか。

・私は国公立大学の3年生です。
・私は欧米人です。
・イチョウは動植物です。

どれも間違いではない。けれど、どれも気に入らない。

・陶器は陶磁器です。磁器も陶磁器です。

この文章はおかしく思えないだろうか?

◆ そもそも陶器と磁器ではそのイメージが全然違うと思うのだが、どうなのだろう?

◇ 陶磁器という言葉を知ったのも、かなり大きくなってからだ。小椋佳の 「白い一日」 あたりではないだろうか。
♪ 真っ白な 陶磁器を 眺めては あきもせず ・・・
陶器と磁器が違うものだと知ったのは、更にあとのことで、既に20歳代後半だったと思う。陶器と磁器の違いを聞かれたら、すぐに答えられるだろうか。

www.edita.jp/ehagakiml/one/ehagakiml793317.html

◆ 陶器と磁器の区別がつかなければ、陶磁器というコトバにたいする違和感も少ないだろう。

◇ 私たちは一口に陶磁器と言うが、実は、陶器と磁器は異なるものである。陶器とは、陶土を轆轤で造形し、低い温度で焼成したもので、吸水性があり、温もりを感じされる。他方、磁器は、磁土を轆轤で薄く造形し、高い温度で焼いたもので、ガラス化した表面は吸水性がなく、輝いている。
www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200407/zhuanwen54.htm

◆ まあ、違うにしても、たいした違いではないというひともいるのかもしれないが・・・。

◇ 有田焼は、真っ白な陶磁器でツルツルとした質感がとても上品です。
www.ysk-1.com/syokki.html

◆ 有田焼は磁器に分類されるということを知らなければ、このように書いても不思議はない。そもそも、真っ白なヤキモノはたいていが磁器だ(もちろん、白い釉薬をかければ陶器でも白くなるが)。

◇ 磁器を、わかりやすくひと言で言うと、「白くて硬くて、しかも透明性のあるやきもの」 ということになる。
www.koransha.co.jp/umi/1-3.htm

◆ プランナー兼陶芸家の林寧彦(やすひこ)さんという方が、FMラジオでこんなハナシをしたらしい。

◇ 思いついて、小椋 桂〔ママ〕の歌、「白い一日」 の話をした。

「真っ白な陶磁器を ながめてはあきもせず・・・」

「陶磁器」 というのは陶器と磁器の総称だから、ひとつの焼きものを指して、「これは陶磁器だ」 というのはおかしい。したがって、眺めている焼きものはふたつ以上なければいけない。

「かといってふれもせず そんな風に君のまわりで 僕の一日が過ぎてゆく・・・」

そうすると、「君」 というのは一人ではないわけで、主人公は気の多い男ということになってしまう。でも、「真っ白な磁器を」 では確かに歌いにくい。そんな話をした。
www.ne.jp/asahi/yasuhiko/hayashi/toujirou/tou7/tou7.htm

◆ というわけで、歌詞が 「まっ白な陶磁器」 ではなく、「まっ白な焼き物」 とか 「まっ白な瀬戸物」 なら、気にならなかっただろうと思う。でも、それでは歌詞にならなかっただろうとも思う。そんなことなら、いっそのこと、「まっ白なトウジキ」 を 「まっ白なソウジキ」 にしてしまって・・・

◇ そう言えば、『白い一日』 はあの武田鉄矢も大好きな曲らしい。彼は 「陶磁器」 を 「掃除機」 と長い間、聞き間違えていたらしく、さすが小椋佳さんともなれば、掃除機を一日中見つめ続けても飽きもせず、それを詩にまで歌い上げることができるんだ、と思いこんでいたらしい。「真っ白な掃除機を眺めては飽きもせず…」 が武田鉄矢風 『白い一日』。そんなバカな…。
ashida.sakura.ne.jp/blog/2006/03/post_133.html

◇ ・・ここまではわりと有名な話だと思うけれど、これを聞いた我らが中島みゆきサン・・ 深夜放送で、真っ白な陶磁器はトイレの便器で、これは2日酔いで一日中トイレから出られない状態を歌っている曲なのだという説を大展開(深夜に大爆笑・・名曲のイメージが・・・)
d.hatena.ne.jp/sakichin/20051205

◆ 「まっ白な陶磁器」 に適当な写真が見あたらなかったので、とりあえず便所の小便器。♪まっ白な小便器を~ こりゃ失礼!

◇ あの瀬戸物はどこで出来るんだと博物の教師に聞いたら、あれは瀬戸物じゃありません、伊万里ですと云った。伊万里だって瀬戸物じゃないかと、云ったら、博物はえへへへへと笑っていた。あとで聞いてみたら、瀬戸で出来る焼物だから、瀬戸と云うのだそうだ。おれは江戸っ子だから、陶器の事を瀬戸物というのかと思っていた。
夏目漱石 『坊っちゃん』 (青空文庫

◆ 瀬戸といっても、瀬戸内海の瀬戸じゃないよ。念のため。

◇ 一般的には 「せともの」 や 「やきもの」 は 「陶磁器」 と同じ使われ方をする総称です。特に東日本では代表的な産地である愛知県瀬戸市の地名により古来から 「せともの」 と呼ばれています。西日本では同じ理由で 「からつもの」 と呼ばれることもあります。
www.mpstpc.pref.mie.jp/mag/back/14/020501.htm

◆ 瀬戸物と唐津物。ワタシが以前から疑問に思っていることがある。愛知の瀬戸のひとはセトモノのことをなんと呼び、佐賀県唐津のひとはカラツモノのことをなんと呼んでいるのか? たとえば、ラーメン。札幌でラーメン屋に入り、ラーメンを注文すれば、出てくるのが、ほかならぬ札幌ラーメンなので、それをわざわざ 「札幌ラーメン」 と注文するバカはいない。あるいは、日本酒。日本にいて、居酒屋に入り、酒と注文すれば、間違いなく(ビールやワインではなく)日本酒が出てくる。いや、これには例外があって、九州では焼酎が出てくるわけだが・・・

◇ 四十数年前、博多で酒を注文して、出された徳利の中身はなんと焼酎。友人の 「九州で酒と言えば、前日から水と馴染ませた焼酎を燗して出す。日本酒と注文すればお望みの酒が出てくる。」 との解説が懐かしいが、今では全国商品だ。
www.aikeikyo.com/employer/0409emp.html

◇ 九州で酒といえば、通常は焼酎のこと。「酒」 を注文して、あつかんを日本酒のつもりでグイッとあおってのけぞった経験がある。
www.iwate-np.co.jp/fudokei/f200604.htm

◆ (直前の引用は 『岩手日報』 のコラム 「風土計」 から。これまでにも、あれこれ検索していて、この地方紙のコラムに行き着くことが何度かあった。「グイッとあおってのけぞった」 などとコラムに書ける新聞も悪くはない。) とにかく、九州で酒を注文するときには注意が必要で、それを怠ると、

◇ 『お客さん、“酒をくれ”って言ったじゃないですか。清酒が飲みたいのならきちんと“清酒をくれ”って言ってくれなきゃ、あたしにゃわかりませんよ。』
home.att.ne.jp/zeta/marti/e_shouchuu.htm

◆ てなコトになる。セトモノのハナシに戻ろうと思ったが、もう戻れない。九州ついでに、サツマイモのハナシに移る。やはり気になるのが、薩摩(鹿児島)ではサツマイモのことをなんと呼んでいるのか? これは鹿児島出身の友人に聞いてみたことがあるので知っている。カライモと呼ぶのだそうだ。

◇ サツマイモといえば、名前の通り 「薩摩」 (鹿児島)のお芋ですよね? しかし、私が子供の頃、鹿児島ではサツマイモとは呼んでいませんでした。当時(30年以上前)の呼び方はカライモ(唐芋)です。唐から来た芋の意味だったのでしょう。
okinawa.blog.anahotels.com/archives/article/1403.html

◇ サツマイモといっても何となく馴染みがない。やはり、私にとってはカライモである。子どもの頃いやという程カライモを食べた。おやつといえばカライモだったのである。学校から帰ると、水屋にふかしたカライモがある。どんぶりに山盛り。それを幾つも食べていたらしい。母がそういうので間違いあるまい。
keishintei.exblog.jp/4607933/

◆ そういえば、サツマアゲというものあった。

◇ この 「さつま揚げ」、地元鹿児島では 「つけあげ」 って言うんですよ。サツマイモのことを鹿児島では 「唐いも(カライモ)」 って言うのと同じようなものですね(サツマイモは中国の唐から渡って来たので・・・)。でも最近は、鹿児島でも 「さつま揚げ」、「サツマイモ」 っていいますけどね。
www.chance2.ne.jp/tour-pc/sugoi/s-55.htm

◆ なんだかあちこち旅した気分だが、けっきょく瀬戸でセトモノのことをなんと呼ぶかはわからずじまい。

◆ 自分のアパートにはにはテレビがないので、テレビを見るのはきまって他人の部屋ということになって、他人のテレビの選局権がワタシにあるわけではないから、いつもテレビの所有者が選んだ番組をぼんやり見ている。ある日、そんなふうにしてテレビを見ていると、歌番組にチェリッシュが出ていた。チェリッシュのふたり(夫婦)もずいぶんと歳をとったものだと思った。松崎好孝、1949年11月1日生まれ。松崎悦子、1951年3月11日生まれ。

◆ はじめてのコンサートがチェリッシュだったような気がする。なに、親に連れられて行っただけだが、こどものころに憶えた歌の歌詞はなかなか忘れないもので、たとえば、「なのにあなたは京都へ行くの」の、

♪ なのにあなたは京都へ行くの
  京都の町はそれほどいいの
  この私の愛よりも

  (作詞:脇田なおみ,1971)

◆ 当時、京都の町に住んでいたこどものワタシにとって、この歌詞で歌われている京都の町というのはどこか別なところにある別の町のような気がしたものだった。また、たとえば、「だからわたしは北国へ」の、

♪ 朝はまだ眠ってる
  北国の静寂(しじま)の中をつきぬけて
  一番列車がいま走りぬける

  (作詞:林春生,1972)

◆「しじま」というムズカシイコトバを覚えたのはこの曲からだった。あるいはまた、「てんとう虫のサンバ」の、

♪ 照れてるあなたに虫たちが
  くちづけせよとはやしたて
  そっとあなたはくれました

  (作詞:さいとう大三,1973)

◆「くちづけ」というコトバがなんとも大人っぽくて、こどものワタシにはそれだけでじゅうぶんに刺激的だった。この「てんとう虫のサンバ」、かつては(あるいは今でも?)結婚式の定番ソングだった。

◇ とりあえずチェリッシュといったら「てんとう虫のサンバ」が有名ですが、あれって未だに結婚式でイマイチ派手じゃない女友達3人組とかが歌っているんでしょうか? たぶんもう過去形かと思いますが、あの曲ってのはカラオケ以前の結婚式定番曲で、無伴奏あるいはエレクトーンで「♪照れてるあなたに虫たちが 口づけせよと囃し立て」の「口づけせよと」の部分を何度も繰り返し、新郎新婦がキスをするまで延々繰り返すというのが昔懐かしい昭和の定番でした。
tisen.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/index.html

◇ 私がまだ小学生の頃、親戚の結婚式で、新郎の友人たちが「てんとう虫のサンバ」を唄い、「口づけせよとはやしたて~」の部分を何度も繰り返して、新郎新婦にキスをさせるという寒い&ベタな演出を見ていらい、自分は披露宴をしないことを固く心に決めました。
life.2ch.net/sousai/kako/992/992887003.html

◇「♪口づけせよとはやし立て、口づけせよとはやし立て……」
 まさにみんなにはやし立てられ、彼からそっと頬にキスをされた彼女はとてもうれしそうだった。

www.ognet.jp/honkan/essay/essay21.html

◇ それから、「てんとう虫のサンバ」を歌う余興があったんですが、かわいいダンスとともに、この歌詞の「口づけせよとはやしたて~」という歌の歌詞でストップ、その歌詞だけを何度も何度も繰り返し、新郎新婦にキスをさせるということで盛り上がってました。
ameblo.jp/acchan/entry-10005066141.html

◆ 歌詞が「くちづけ(口づけ)」となっているのに、地の文ではみんな「キス」と書いているのがちょっとおもしろい。

◆ 愛国学園という学校法人があるそうだ。愛国中学校、愛国高等学校、愛国学園大学附属龍ヶ崎高等学校、愛国学園大学附属四街道高等学校、愛国学園保育専門学校、愛国学園短期大学、愛国学園大学。あまり聞いたこともないので、どこにあるのかと思って調べてみると、愛国学園大学は千葉県四街道市、愛国高等学校は東京都江戸川区西小岩にあるらしい。《愛国学園大学》のサイトには少々驚いた。いまどきこんな「手作り」のホームページが大学の公式サイトだとは! いかにも作りがホームページビルダーっぽいと思って、ソースをのぞくと、ほんとにそうだった。

◇ <META name="GENERATOR" content="IBM WebSphere Studio Homepage Builder Version 8.0.0.0 for Windows">
www.aikoku-u.ac.jp/

◆ おそらくパソコン好きの職員でもつかまえて、「おまえ、ウチのホームページを作れ」とでも言ったのだろう。「ただし、金はあんまり出せん」。これでは、

◇ 開学以来定員割れが常態化しており、入試の倍率が1倍に満たない低倍率に悩む。
ja.wikipedia.org/wiki/愛国学園大学

◆ のも、無理はない。ついでに、愛国高等学校のサイトのソースものそくと、

◇ <META content="Microsoft FrontPage 4.0" name=GENERATOR>
www.aikokugakuen.ac.jp/senior-high/

◆ こちらは、Microsoft FrontPage 4.0。これまた、おそらくパソコン好きの職員をつかまえて・・・

◆ 愛国学園の理事長・学長であるらしい三浦亮一というひとは、自らの学園の「建学精神」についてこう書いている。

◇ 法、秩序を重んじ、礼儀正しく、公衆道徳を守り、人に迷惑をかけず自分の仕事に精を出し、進んで社会に奉仕する。このような愛と真を発露し、この美しい自分の国を更に一層美しくしてゆくことを生活の信条とする。私達はこれを正しい愛国心ととなえる。
www.aikokugakuen.ac.jp/senior-high/002-01.koukoukenngakuseisin.htm

◆ 「正しい愛国心」もいいけれど、もう少しホームページにお金をかけたほうがいいのでは、とよけいなおせっかい。

〔追記:2010/01/31 10:18〕◆ ホームページを久しぶりに訪問したら、ずいぶんと洗練されたデザインのサイトになっていた。

◇ 前にも書いたと思うけれど、私の調子の悪さのバロメーターは、改札口またはバスの乗降でマンションの鍵を取り出し、反対にマンションのドアの前でウイズユーカードを取り出すこと。今朝も、バスの中で鍵を取り出し、「これはまずいぞ!」 と気づいた。ともあれ、昨日は自宅で日本ハムの試合を観戦。首尾よく勝ったのだからご機嫌なのだけれど…。
wada.alicesha.co.jp/?eid=298939

◆ ちょっと前に、玄関のカギを閉めようとして、財布からなぜだか120円を出してしまったハナシを書いた(「としをとるのは」)。そのときは、その間違いを歳のせいだということにしたのだけれど、ほんとうは、こんな間違いは若いころからよくしでかしていたのだった。ただ、それをひとにいうのは、たんなるおバカさんだと思われそうで、遠慮していただけのこと。同じような間違いをするひとがほかにもいるとはゆめにも思わなかった。「調子の悪さのバロメーター」 か、これはまったくいい表現だな。

◆ 冒頭の文章を引用したのは、似たような間違いをするひとがいることを知ってただうれしかったからだが、それだけで終わるのもなんなので、べつなハナシにして続ける。

◆ たいていの場合、ネット上での出会いは自己紹介もなく唐突に始まる(出会い系のハナシではない)。ある個人の日記を、性別も年齢も住所も知ることなしに、いきなり読み始める。

◆ 冒頭の引用に戻って、「マンションのドアの前でウイズユーカードを取り出すこと」。「ウイズユーカード」 を知らないひとは、気にもとめないだろうけれど、知っているひとは、この文章を書いたひとは、札幌在住なのかと思う。「日本ハムの試合を観戦」 ということろで、間違いないぞと思う。この 「ウイズユーカード」、正式には 「共通ウィズユーカード」 というらしい(もともとあった 「ウィズユーカード」 と 「共通乗車カード」 を統合したため、さらに 「イ」 ではなく 「ィ」 )。

◇ ウィズユーカードとは、北海道札幌市内の複数の交通機関で利用できるプリペイドカードである。
ja.wikipedia.org/wiki/ウィズユーカード

◆ つぎは、ある病院ののサイトから。MRI検査を受けるときには、以下のものを 「身につけたり持ち込んだりできません」。

◇ 磁気カード:キャシュカード・テレホンカード・クレジットカード・ウイズユーカード・診療カードなど
www.jrsapporohosp.com/new_setsubi/setubi/MRI.html

◆ これも 「ウイズユーカード」 と記載されていることから、この病院が札幌のあることがわかる(札幌鉄道病院)。

◆ ウィズユーカードの画像を友人から送ってもらった。来年、「FISノルディックスキー世界選手権」 がアジアで初めて札幌で開催されるらしい。ウィズユーカードにはプレミアムがついている。10000円で、1500円分のプレミアム。たいへんお得。ワタシが日常使っているのは「パスネット」。

◇ 関東の私鉄各社で共通に使えるプリペイドカードです。発行元の鉄道会社によって名称が異なりますが共通に使えます。1,000円・3,000円・5,000円の各カードがありますが、おまけはびた一文ついていません。〔下線筆者〕
www.kenketsu.com/ken/k1333.html

◆ ああ、そうそう。冒頭の文章を書いたのは、札幌の出版社 《亜璃西社》 の代表、和田由美さんでした。

  Y字路

◇ T字路(ティーじろ)は、道がアルファベットのTの形のように枝分かれしている交差点である。本来の名前は 「丁字路(ていじろ)」 であり、法律用語としてもこちらが正しいが、「丁」 の字の発音、字形ともにアルファベットのTに似ているため混同され、現在 「T字路」 の方が一般的である。道路標示はT字型の白線で描かれる。似たものに、Y字路がある。
ja.wikipedia.org/wiki/T字路

◆ T字路ではなくて、「似たもの」 のY字路。以前 「奇妙に魅力的な家」 というハナシを書いたときに、横尾忠則がY字路の連作を描いているのを知ったが、それがいまでは画集になっている。『横尾忠則 Y字路』(東方出版,2006)。とはいえ、この本、まだ見たことがない。なにせ5250円もする。てっとりばやく横尾忠則のY字路の作品をご覧になりたい向きには、コチラ が便利。便利などころか、「こんなにいっぱいネットで見せちゃっていいの?」 と心配になるくらいの大盤振る舞いである。この大盤振る舞いのページは、《ほぼ日刊イトイ新聞》 の 「Y字路談義。― 横尾忠則・タモリ・糸井重里が語る芸術? の付録のページ。その 「Y字路談義。」 のなかで、こんな会話が・・・、

横尾 〔・・・〕 ただ、Y字路そのものを好きっていう人は、会ったことがなかったなぁ。ぼくの作品を見て、興味を持ってくれる人はいるとしても、Y字路そのものを好きな人って、いるのかねぇ……。タモリさんみたいに、Y字が好きな人なんて、初めて聞いた。
糸井 いるんじゃないですか。独特の気持ち悪さがあるから……。心を騒がせるようなイヤな感じというか。
タモリ Y字って、実に奇妙なんですよ。妙な 「居心地の悪い気持ちよさ」 があるんだよね。

www.1101.com/yokoo_tamori/2004-07-12.html

◆ 「居心地の悪い気持ちよさ」、か。そんな気もする。

◆ たまたま 「だぼはぜ」 という店の前を通りかかって、「だぼはぜ」 とはなんだろうと思った。「だぼはぜ」 というコトバを知らないわけではない。かといって、「だぼはぜ」 について明確に何かを知っているわけでもない。

◇ ―― ダボハゼってなんだ?どっかの方言?
―― 「だぼはぜ」 は勝鬨橋のそばにある立飲み屋の名店。

music.2ch.net/classical/kako/1018/10188/1018850180.html

◆ でも、勝鬨橋そばの立飲み屋 「だぼはぜ」 にはもう入れない。

◇ そのだぼはぜ、もうすぐ閉店してしまうのだそうだ。とにかく値段がリーズナブルでうまいのになぁ。さかな系はめっちゃ新鮮で、そのへんのすし屋行くよりずっとすばらしい。いいお店だなあ。閉店したら、マスターの奥さんの故郷、新潟に戻ってお店を開くのだそうだ。新潟のみなさん、だぼはぜをよろしく!!
blog.sotokoto.net/sotokoto/2004/12/post_1e33.html

◆ なるほど。それなら一度くらい入ってみたかった、とも思ったが、この店の存在を知ったときにはもう店をたたんでいたのだから、どうしようもない。勝鬨橋の立飲み屋はさておき、「だぼはぜ」 とは何か?

だぼはぜだぼ鯊】 小形のハゼ類の俗称。関東・東海地方では、河口付近にすむチチブをさすことが多いが、ドロメ・アゴハゼ・ヨシノボリなどをいうこともある。地方により、ゴリまたはドンコとも呼ぶ。簡単にいくらでも釣れる下らない小魚というほどの意で、軽んじて呼ばれる。佃煮(つくだに)にして食用とする。
三省堂 『大辞林 第二版』

◆ 「簡単にいくらでも釣れる下らない小魚というほどの意」とは、辞書の定義としてはかなり手を抜いた表現ではないだろうか? 「いうほどの」 なんてコトバを安易に使用してもらっては困る。そもそも 「だぼ」 とは何なのか?

◇ だぼハゼは、辞書にのっていますが、だぼはのっていません。だぼって方言ですか?
chiebukuro.yahoo.co.jp/service/question_detail.php?queId=7152458

◆ こんな質問があって、こんな回答がある。

◇ だぼハゼ=(何でも食いついて、誰にでも釣れる魚です。小さいハゼ類を軽んじた呼び方。だぼ・あほ、ばか、の意味ですね。方言のようです。
Ibid.

◆ 回答者もよくわかっているようには思えない。

◇ だぼ 「アホ」 の意味。主に神戸・播磨地方で使われる。
www2g.biglobe.ne.jp/~gomma/ajiten.html

◇ 私は、神戸生まれなので、小さい時は 「だぼ」 である。ところが、大阪の祖父がこれを聞いて 「なんと汚い言葉か」 と憤慨していたと母から聞いた。「だぼ」 はおそらく 「どあほ」 のなまったもので、耳に汚く響くのだろうなどと勝手に解釈していた。
www.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/199406.htm

◇ 播磨の方言が嫌な感じを与えることはありませんでした。「だぼ」 など汚い言葉は使いませんが、播州弁を使うことにためらった事は一度もありません。
www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/200401talk/09.html

◆ 神戸・播磨地方には 「だぼ」 という方言があって、「アホ」 「バカ」 といった意味であることは確かなようだけれども、それが 「だぼはぜ」 の 「だぼ」 なのかどうかはワタシにはわからない。一地方の方言が全国的に普及したのだとすれば、その理由は何なのか? まあ、こんなことは詳しい辞典を参照すればすぐ解明できるのかもしれないが、あいにく手元にない。

◆ 語源など知らなくても、「だぼはぜ」 は元気にあちこちのサイトを泳ぎ回っている。

◇ 前日、「だばはぜの会」 に参加しました。いろんな業種のかたの交流会です。だぼはぜとは、魚の名前で、針を食らえ付いたら、はなさいそうです。経営にも、この 「くらい付いて離さない・・・」、これが大事と先輩の社長が離されていました。
kawashima-y.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/__a481.html

◇ その日、石井先生は、喫茶店のルオー(現在は画廊になっている)の前で足を止め、「夕食の時間だし、カレーを食べませんか」 とおっしゃった。どんな餌でも食らいついてくる 「だぼはぜ」 状態だった僕は、少し遠慮しつつも、お言葉に甘えることになった。
www-h.yamagata-u.ac.jp/~kmatsuo/curry.htm

◇ 【だぼはぜ】 何にでも喰いつく雑食性の、技科大生を指す(句点の位置に注意)。ゲテモノ好みという言いかたもある。技科大生は、女性に対する耐性が低いため、びっくりするような女性とつきあていたりする。
cclub.cc.tut.ac.jp/lib/gikajiten/

◇ 東浦町は年の歴史の中で、国・県のさまざまな制度を利活用して 「町づくり」 を進めてきました。町職員のある人は、私のことを 「だぼはぜ」 だと県の人が言っていると聞かされました。何でも飛びつく男という意味だそうです。多くの方々のおかげで東浦町ができ、そして淡路市に引き継がれるわけです。心から感謝申し上げ、すばらしい市になることを願って筆を置きます。
www.city.awaji.hyogo.jp/higashiura/tyoutyou_memo/16nendo/memo1703.htm

◇ 武部の次男がやばい事業に手を出して会社をこかしてしまい、武部が必死に尻ぬぐいしていたのは事実である。その弱みにつけ込んで堀江は自民党にラブコールを送った、それが衆議院選挙出馬である。武部堀江が提示し金に目がくらんでだぼはぜのように食らいついたのかもしれない。
blogs.yahoo.co.jp/warabidani/27263544.html

◇ 【ダボハゼ投資家】 材料などに無節操に飛びつき、いつも損をするダメな投資家のこと。魚のダボハゼはなんにでも食らいつき、ときには釣り針にエサがなくても食らいつくといわれる。ダボハゼは 「主体性がなく」 「判断が場当たり的」 という意味の蔑称として使われるが、株式市場では極めてまともな常識を持った人までがそういう行動を取る。それだけ値動きというものは激しく、錯覚に陥ることが普通の心理であることが理解できる。
www.h-iro.co.jp/yougo/yougo.cgi?cmd=show&id=286

◆ こう並べてみると、「だぼはぜ」 というコトバを使うひとの文章には(ワタシを含めて)どれも、心なしか、やや妙なところがあるような気がする。やはり 「だぼはぜ」 だからだろうか?