MEMORANDUM

◇ 競馬好きには二種類ゐて、それは一年の競馬を有馬記念で締め括るヒトと東京大章典で締め括るヒト、
kermit.pos.to/fozzie/archives/2005/12/post_203.html

◆ 中央競馬はディープインパクトが快勝した有馬記念で一年の幕を閉じたが、地方競馬に休みはない。年末は大晦日までやっているし、新年は元日からやっている。12月29日、中央交流のGI東京大章典の日。仕事を半ドンで終わらせ、餅代でも稼ごうと大井競馬場に出かける。ワタシが軸馬にしたのは、JRAのハードクリスタル。単勝6番人気の人気薄。この馬から手広く流す。当たるとデカイ。そんな獲らぬタヌキの皮算用をしているときが一番楽しかったりもするのだが、結果は、いつもと同じである。勝ったのはブルーコンコルド(JRA)。2着には、

◇ 単勝9番人気の伏兵クーリンガーが、積極的な競馬でシーキングザダイヤを競り落とし、大波乱を演出した。
www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20061230-136631.html

◆ 配当は馬連複 28,510円。あ~あ。中央から参戦した5頭のうち4頭が、4着までを独占。残る1頭がワタシが軸馬にしたハードクリスタル。まったく見せ場もなく7着に惨敗。あ~あ。

◆ それから数日後。スポーツ新聞にこんな記事が載った。「ハードクリスタルが予後不良に」。

◇ 29日の東京大賞典・交流G1(大井)で7着に敗れたハードクリスタル(牡6歳、栗東・作田)は、レース後のレントゲン検査で右第3手根骨骨折と診断され予後不良となった。
www.daily.co.jp/horse/2006/12/31/0000204666.shtml

◆ あ? レース中に骨折していたのか? それなら仕方がない。馬が餅に見えていた自分を少し反省する。それにしても予後不良とは・・・。ちょっと悲しい。

◆ 予後不良といっても、競馬を知らない方にはあまり縁のないコトバだろうから、すこし解説。予後不良とは、競馬においては、人間にたいして用いられる、

◇ 病気の経過や結末の予測がよくないこと。回復する見通しの少ないこと。
小学館『大辞林』

◆ という意味ではない。予後不良とは、

◇ 競走馬については治療の余地がない故障や病気による不可避的殺処分(安楽死)をオブラートに包んだ言葉。
d.hatena.ne.jp/keyword/予後不良

予後不良(よごふりょう)とは競馬用語の一つ。主に競走馬が競走中や調教中などに何らかの原因で主に脚部に故障を発生した際、回復が極めて困難で、薬物を用いた安楽死の処置が適当であると診断された状態の婉曲的表現。
ja.wikipedia.org/wiki/予後

◆ つまり、新聞記事の「予後不良となった」という表現は、即「安楽死処分になった」という意味なので、「予後不良となった」馬が、「懸命の治療により一命をとりとめた」などということは、残念ではあるけれど、ほとんどありえない。JRAの表現はこうである。

◇ 平成18年東海テレビ杯東海ステークス(GII)に優勝したハードクリスタル号(牡6歳【当時】 栗東・作田誠二きゅう舎)は、平成18年12月29日に行われた東京大賞典(大井競馬場)の競走中に故障を発症し、死亡しましたのでお知らせいたします。なお、同馬は平成18年12月29日付けで競走馬登録を抹消されております。
www.jra.go.jp/news/200701/010506.html

◆「競走中に故障を発症し、死亡しました」、こんな表現も競馬を知らないひとにとっては、ピンとこないだろう。

◇ 競馬の馬が骨折した場合は、ほとんど薬殺で処分されるようですが、そんな競馬を見て感動したという人が多数いますが(芸能人にも)何に感動するのでしょうか。無理に競争させて下手をすれば怪我をさせて薬殺してしまうのに理解できません。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1310382903

◆ もちろん、このように思うひとがいても不思議ではない。

◆ 《Yahoo!知恵袋》 に、こんな質問。

◇ ジャポニカ学習帳を大人になっても使っていいですか?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=139659763

◆ 質問の意図がいまひとつわからないが、いいに決まっているではないか、恥ずかしくさえなければ。というわけで、先日、とある100円ショップでノートを探していたら、ジャポニカ学習帳があったので、その自由帳というのを買ってきた。定価は150円らしいから、ずいぶん安い。

◇ ジャポニカ学習帳…この響きを聞くと、小学生の頃の日々が懐かしくよみがえってきませんか? きっと誰もが幼い頃にお世話になった、表紙に花や虫のキレイな写真がある日記帳や漢字帳に国語や算数のノート。あの頃、ノートを手にしただけで勉強ができるようになった気になって、誰もが 「いつかはT大に・・・」 なんて夢と希望に満ち溢れていたはずです(ホントに?)。
www.senmaike.net/color/html/mono/showa.html

◆ ジャポニカ学習帳、なつかしい気はするけれど、使った記憶はない(使わなかった記憶もないが)。だから、ジャポニカ学習帳について、書くべきことはなにもない。というわけでもなくて、買った自由帳を開くと、「学習百科 ― 南の国の植物」 というシリーズの読み物があって、ランブータンのことが書いてあった。

◇ ランブータンは、ムクロジという木の仲間の植物で、原産地はマレー諸島です。マレーシア、タイ、フィリピン、インドネシアなど、東南アジアの、暑くて雨の多い国ぐにやオーストラリア、メキシコなどでさいばいされています。(中略) ランブータンという名前は、マレーシアの言葉で 「毛(とげ)の生えたくだもの」 という意味です。

◆ ランブータン Nephelium lappaceum。2004年6月にスリランカに行って、初めて食べた。それまでは名前も知らなかった。いまだに写真の整理ができていない。とりあえず、コロンボの市場で撮ったランブータンの写真をアップ。むせかえるニオイがなつかしい。

◆ ムクロジ Sapindus mukurossi。2004年2月に北本市本宿の多聞寺境内に、埼玉県指定天然記念物のムクロジがあり、実がたわわになっていた。このとき、初めてこの木のことを知った。おともだちのめめさんが、この写真にこんなコメントを寄せてくれたのを思い出す。

◇ 種は羽根つきの羽根の重りになりますが、まわりの半透明っぽい部分は石鹸の代わりになるそうです。伯母が 「昔は洗濯に使った」 と申しておりました。[2004/04/22 19:27]

◆ 英語でも Soapberry (石鹸の実)と言うんだとか。ジャポニカ学習帳にハナシを戻して、

◇ 僕だけかもしれませんが、ジャポニカ学習帳というと思い出すのが、名ドラマ 『スクールウォーズ』 の1シーンなんですよね。ラグビー部で不良グループの一員だった内田くんが滝沢先生に 「先生、俺に勉強を教えてくれねぇか。昨日先生の話聞いてよぉ、俺もなんつうか将来の事考えちまってよ。あぁ、ノートも買ってきたんだけどよぉ」 とジャポニカ学習帳を取り出す。そして高校生に 『花』 という漢字の書き方を教える滝沢先生。
ameblo.jp/psychic/entry-10001723473.html

◆ そんな細かいところまで憶えているひとがいるものだと感心することしきり。ワタシもこのTVドラマは見ていたはずだが、そのシーン自体の記憶がまったくない。

◆ ああ、それから、ジャポニカ学習帳を作っているのはショウワノートという会社。本社工場があるのが富山県高岡市。2006年10月、イトコの結婚式が高岡であった。高岡といえば、鋳物(銅器)が有名。大仏も銅製。

◆ と、ジャポニカ学習帳と関係があるようなないようなハナシをあれこれ書いてしまいましたが、せっかく105円で買った自由帳はまだ白紙のまんまで・・・。

◆ いま林芙美子の本を数冊、図書館から借りて読んでいる。なぜかというと、去年の11月12日、中野区上高田あたりを散歩中、万昌院功運寺という寺の門前の案内に林芙美子(女流作家)の菩提所とあったので、寄ってみた。それがきっかけ。それ以前に、林芙美子の本を読んだことはなかった。本を読んだことはなかったが、文章を一部読んだことはある。それが墓を訪れる数日前。ネットである語句(マロニエ)を検索していたら、青空文庫に収録してある文章がヒットしたので、ちらっと読んでみた。そんなこともあったりしたので、「林芙美子」 という名前が目につき、墓所に立ち寄る気になったのかもしれない。こんな細かいことを書きとめておくのも、おそらく数年もすればことの前後関係がおぼろげになって、林芙美子の愛読者として墓を訪れたというふうに記憶が改変されてしまうような気がするからで。と、それくらいに、林芙美子の文章はおもしろい。

◆ 林芙美子といえば、『放浪記』(1930) が有名であるが、その冒頭に書きつけられた 「私は宿命的に放浪者である」 という簡潔なコトバほど、林芙美子という一個の人間を雄弁に語っているものはない。旅こそはすべて。

◇ この放浪記では、何だか随分印税を貰ったような気がしてうれしかった。長い間の借金や不義理を済ませて、私は一人で支那に遊びに行った。ハルピンや、長春、奉天、撫順、金州、三十里堡、青島、上海、南京、杭州、蘇州、これだけを約二ヶ月でまわって、放浪記の印税はみんなつかい果たして、上落合の小さい家に帰って来た。
林芙美子 『落合町山川記』 (青空文庫

◇ 支那に遊んだ翌年の秋、私は一冊の本を出して欧洲へ一ヶ年の旅程で旅立った。
Ibid.

◆ 昭和6年(1931)、林芙美子はシベリア鉄道経由で巴里(パリー)へと向かう。以下、『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』(立松和平編,岩波文庫)の 「西比利亜(シベリア)の旅」 からの引用(行程順ではない)。

◆ 汽車の長旅に備えて、哈爾賓(ハルビン)であれこれ買い出し。

◇ まず葡萄酒を一本買いましたが、吝(けち)をしてしまって哈爾賓出来を買ったものですから、苦味(にが)くてとても飲めたものではありませんでした。
『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』(立松和平編,岩波文庫,p.59)

◆ この 「吝をしてしまって」 という言い回しが、なんともいえずチャーミング。ハルビン産の不味いワインはどうなったかというと、

◇ 十六日の夕方、ノボォーシビルスクと云うところへ着きました。そろそろ持参の食料品に嫌気がさして来て、不味い葡萄酒ばかりゴブゴブ呑んでいました。
Ibid. p.67

◆ シベリア鉄道の三等車内にて。

◇ 鰊くさい漁師が一人いて、ヤポンスキーの函館はよく知っていると云って、日本を説明するのでしょう、盛(さかん)にゲイシャ、チブチブチブ・・・・・・と云うのです。そのチブチブが解らなかったのですけれど、チブチブと云うのはゲイシャの下駄の音の形容なのでした。私が、カラカラだろうと云ってみせると、そうだと云って、また、皆に説明をするのです。何の事はない信州路へ行く汽車の三等と少しも変りありません。
Ibid. p.71-72

◆ いとも簡単に、シベリア鉄道を 「信州路へ行く汽車」 に変えてしまうのは、もちろん林芙美子の力量であって、だれもが同じ経験を味わえるわけではない。これはどうでもいいけれど、多用される 「~ですけれど」 という言い回しもチャーミングだと思ったり。

◆ 車内で知り合いになり、銀座で買った紙風船をプレゼントしたロシアの婦人とのハイラル駅での別れ。

◇ 窓のカーテンは深くおろしたままです。海拉爾(ハイラル)には朝十時頃着きました。もう再び会う事はないでしょうこの深切なゆきずりびとを、せめて私は眼でだけでも見送りたいものと、握手がほぐれると私はすぐカーテンの隙間からホームに歩いて行く元気のいいお婆さんの後姿を見ていました。巴里(パリー)へ行くまで・・・・・・行ってからも、私は沢山の深切なゆきずりのひとたちを知りました。いまだに何もして報いられないのですけれど、そのままお互いがお互いを忘れて行ってこのままになるのでしょう。[下線は原文傍点]
Ibid. p.62

◆ 書き写したい文章はまだまだあるけれど、図書の返却期限もかなり過ぎてしまっているので、引用もこの辺にしておきゃなきゃいけない。

◆ そうそう、おともだちの(rainer 改め)rororo さんが、ハイラル駅のすてきな写真をアップされていて、しばし見とれる。低く垂れ込めた雲。CCCP(ソビエト社会主義共和国連邦)の車輌には、「МОСКВА - ПЕКИН」 (モスクワ - 北京)と書かれた行先板。ホームには、「海拉尔」 と書かれた駅名標。赤レンガの(?)駅舎。いつの日にかぜひとも。

◆ ワタシのとなりのおっちゃんは、若いときに、詩を書いていたそうな。以下、岩本敏男の 「三月」 と題された詩の全文。昭和30年。

 ぼくの一白水星の
 三月の凶運を
 「眉毛に火のつくような苦痛の月」 と
 かあさん
 鼻をすすって
 暦によむのはよしなさい
 マッチ箱に貼りつける
 ラッキー印のレッテルがゆがみます
 ぼくたち 一日何千枚かこれを貼って
 末日までに拇印を押して
 市民税の誓約書と
 とりかえなければならない

 かあさん
 糊をたいてください

◆ 友人には 「まるで貧しいことが正義みたいな詩だな」 と評されたらしい。なるほど、そんなふうな詩でもあるようだが・・・。詩そのものの批評はさておいて、最後の二行 「かあさん / 糊をたいてください」 の意味がわかるかどうか。

◆ 「炊く」 といえば、ごはん。だが、関西では、その対象がやや広い。

◇ 私は現在、京都に住んでいますが、コンビニのお惣菜などでも 「おあげと水菜の炊いたん」 とかがあったりして、普通に 「煮る」 ことを 「炊く」 って言いますね。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=129940402

◇ 大根を炊くときに、最初にとぎ汁でさっと下ゆでをしておくと、大根の苦みがとれます。
www.kyt-ysc.co.jp/olchie/riyou/syoku.htm

◆ 関西では、大根も炊くし、糊(のり)も炊く。糊を炊く(煮る)といえば、「舌切り雀」 のおばあさん。以下は、その近江の高島ヴァージョン(《民話でたどる滋賀の風景》 より)。

◇ 「おじい、おじい、きょうはどうするの」
て、おばあさんがいうたんやて。
ほしたら、おじいさんは、
「どうするて、山へ炭焼きに行くんよ」
おばあさんは、
「ほんなら、わしはせんたくして、のりつけしよう」
おじいさんは、山へ行くし、
おばあさんは、のりつけののりをたいといて、せんたくに行ったんやて。

www.pref.shiga.jp/minwa/51/51-movie.html

◆ この糊の原料は何か? いまでは化学糊というのもあるけれど、

◇ 昔々、お婆さんが障子紙の張替えの為に用意した白ボンドを、スズメは毒と見破り近付こうともしませんでした・・・。これでは舌切り雀のお話は成立しません。
homepage3.nifty.com/sparrows/med-dm06.html

◆ 化学糊ではお話にならない。といって、天然の糊ならなんでもいいわけでもない。デンプン(澱粉、Starch)を含んでいれば、トウモロコシ(コーンスターチ)、ジャガイモ、サツマイモ、タピオカ、小麦など、なんでも糊にできるけれど、「舌切り雀」 のお話では、雀の好物の米から糊を作るのでなければ、それこそお話にならない。

◇ そういえば幼い頃おばあちゃんが障子貼り用の糊を煮るのを、目を丸くして眺めていたっけ。「おばあちゃん。糊はお米からできるの?」 と聞くと 「そうだよ。昔は家で使う糊はみんな自分で作ったんだよ」 と教えてくれて・・・。
www.ne.jp/asahi/mon/know/COLUMN/bkup13.html

◆ では、マッチ箱のラベルを貼るのに適した糊の原料は何だったろう?

 かあさん
 糊をたいてください

◆ 「かあさん」 が炊いたのは、小麦粉だったろうか? よくわからない。

◆ 以下、おまけ。「炊く」 と 「煮る」 のハナシに戻って、炊飯器クッキング。

◇ 炊飯器で大根を炊くと、本当に美味しいのです。鶏肉を炊くと、これまたほろほろ美味しく煮上がるのです。ということで、手羽先と大根を一緒に炊きました。ほーら、コラーゲンたっぷりのつやつやの煮物が炊けましたよ。
allabout.co.jp/gourmet/cookingabc/closeup/CU20051113A/index.htm

◆ この文章の 「炊く」 は、ちょっと微妙。炊飯器で調理するから 「炊く」 と言っているのか(炊飯器で 「煮る」 とは言いにくいか?)、作者が関西人だから 「炊く」 と言っているのか、よくわからない。「煮物が炊け」 るというのも、ちょっと変?

◆ 大晦日にあわてて年賀状を作成した。時間もないので、去年撮った写真から適当に一枚を選んで、それに 「STILL ALIVE 2007」 と文字を入れた。まだ青々としている落ち葉を見ていると、そんなコトバが浮かんだのだった。なぜこの葉っぱは枝から落ちてしまったのだろう? なにかの間違い? きまぐれ? それとも自分の意思で? その他大勢の枝にしがみついている葉っぱたちの 「ひとりで生きてはいけないよ」 という嘲笑を背に受けながら、自らの意思で枝から離れていった一枚の葉っぱ。まさか。どんな理由があったにせよ(なかったにせよ)、それでも、まだ葉っぱは生きている。そんな気がした。葉脈というコトバなんかも思い出しつつ。いいかげんなワタシの来し方にもちょっぴり重ね合わせつつ。

◆ 年賀状っぽくない色彩であることを除けば、短時間で作ったわりにはわるくない出来だと満足し、急いでポストに投函したあとに、喪中だったことに気がついた。

◆ 正月、実家に帰省中、ふと思い立って、となりに住んでいたおっちゃん、岩本敏男の 『赤い風船』 を読み返す。その著者略歴にはこうあった。

◇ ちらちらと雪の降る日に生まれる。立命館大学〈定時制〉文学部国文科に入学したが、すぐやめる。以後、病気。左肺と肋骨四本を失う。まだ生きている。
岩本敏男 『赤い風船』(理論社,1971)

◆ おっちゃんは2002年に亡くなったけれど、そのコトバはまだ生きている。妙な一年の始まり。今年もよろしく。

  膝栗毛

◆ 東海道ではなく中山道を(仕事で)旅した、おともだちのおタネさんがこんなコトを書いていた。

膝栗毛ってどーいう意味だよ
blog.goo.ne.jp/otane-2/e/3d5232159498bc1ce39368f2a8ed2b3f

◆ そんなことワタシに聞かれても・・・、いやべつにワタシに聞いているわけでは全然ないのだったが、

◇ わからないことは調べましょうね

◆ とおタネさんがおっしゃるので、調べてみた。

◇ 〔膝を栗毛の馬の代用とする意から〕徒歩で旅行すること。
三省堂 『大辞林 第二版』

◇ 膝を栗毛の馬の代わりにして旅をすること。徒歩で旅行すること。
小学館 『大辞泉』

◆ これではなにもわからない。と思うのだが、わかってしまうひとも多いらしい。

◇ 膝栗毛とは、自分の足を栗毛の馬の変わりに使うこと、つまり歩いて旅をすることです。
blog.goo.ne.jp/goo6223/e/fb9d34f1af22f263dac34ed96c921a14

◇ 『東海道中膝栗毛』 のことは知っていましたが、膝栗毛が自分の膝を栗毛の馬にたとえたものだなんて知りませんでした。
www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/koma_kokugo2006.html

◇ あの 『東海道中膝栗毛』 の膝栗毛は、「ポックリポックリ歩く栗毛の馬のように、自分の足で歩いて旅をする」 という意味です。
www.city.chuo.lg.jp/koho/150501/12-02.html

◆ ??? ワタシにはまったくわからない。一般的なイメージでは、馬は歩くより走るものではないか? そもそも、なぜ馬一般ではなく栗毛の馬なのか?

◇ 「栗毛」 は馬のことですが、馬に乗っての旅行(徒歩よりも費用がかかる、お金持ちの旅)ではなく、「膝」 (人間の足)で旅をする、と貧乏旅行を駄洒落っぽく言ったもの、です。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?queId=7439791

◆ まず、「栗毛は馬のこと」 という説明は正確さに欠ける。栗毛とは栗毛の馬のことで、馬一般を指すのではない。さらに、上記の説明では、どこに駄洒落があるのかがさっぱりわからない。

◇ 長らく膝栗毛の意味が判らなかったのだが、これは馬の栗毛に引っかけた駄洒落なのだそうだ。栗毛の馬で旅をするのではなく、自分の膝小僧に乗っかって旅をする。とまぁ、そんな意味である。
ultegra.web.infoseek.co.jp/bic/toukaidou/kanwa_01.html

◆ これもまた、どこに駄洒落があるというのか?

栗毛とは馬のことを指すので、「膝栗毛」 とは 「自分の膝を馬として旅行する」 という意味で、徒歩旅行を洒落て言ったものである。
www5a.biglobe.ne.jp/~kota-k/new_page_19.htm

◆ この 「洒落て」 というのは、もしかすると駄洒落の意味ではなく、お洒落の意味かもしれないが・・・。では、膝栗毛のどこがオシャレか?

◆ と、ここまで似たような(ほどんど同一の)文章を引用してきて、ふと合点がいったことがある。そもそも、多くのひとにとって、栗毛というコトバはまったくなじみのないものだったのだろう。だから、栗毛が馬のことだとはじめて知って、それだけで満足して、なんとなくこの膝栗毛というコトバを理解したような気になってしまった。そういうことなのかもしれない。

◆ ふつうのひとは栗毛というコトバを聞いても、それが馬のことだとは思いもよらないのだろう。このコトバに即座に反応するのは、競馬好きのひとたちだけかもしれない。

◇ サラブレッドにおいては鹿毛、栗毛、黒鹿毛、芦毛、青鹿毛の順に多い。栃栗毛、青毛はまれで、白毛、粕鹿毛も極めてまれに認められる。
ja.wikipedia.org/wiki/馬の毛色

◆ 栗毛を知らないひとは、当然 「鹿毛(かげ)」 も知らないだろう。だから、十返舎一九の作品のタイトルが 『東海道中膝栗毛』 ではなく、『東海道中膝鹿毛』 であったとしても、もし辞書に、「膝を鹿毛の馬の代わりにして旅をすること。徒歩で旅行すること」 とあれば、それはそれで納得してしまうかもしれない。

◆ ところが、ワタシは競馬好きだから、なぜ(鹿毛でも芦毛でもなく)栗毛なのかがわからないかぎり、膝栗毛というコトバが理解できた気がしない。

◇ ちなみに、『ひざくりげ』 は、滑稽無類の旅行小説ですが、この題名の由来も洒落心いっぱいです。歩くときは、膝(ひざ)小僧を繰り返して行くので、膝くりとしゃれてみせ、くりを栗毛の馬にごろあわせ、あわせて膝栗毛。なんて遊び心いっぱいでしょう。
www.rakuten.co.jp/ehime-hamaya/471442/508188/

◆ なるほど、とこれを読んで初めてワタシは膝を打ったのだった。

◇ 栗毛の馬に揺られる代わりに自分の膝を馬に見立てて徒歩の旅をしよう
これは正にそのとおりなんですが、歩くという意味の 「膝を繰る」 と道中馬の 「栗毛」 とを掛けた洒落言葉とい点に御注目。繰るというのは交互かつ順次に出してゆくことです。歩く動作は左右の足を繰り出してゆくことで成立します。「膝栗毛」 という言葉の早い用例は一九が 「東海道中膝栗毛」 の初編を出した前年の享和元年(1801A.D.) 「恵比良濃梅」 に見える 「ぱっちなしの尻はしょり膝栗毛を飛ばして大磯の廓へいそぐ道すがら」 とあるのが知られています。

www.geocities.co.jp/Bookend/4373/sub5_12.htm

◆ 「膝を繰る」、「膝繰り」 というコトバがあって初めて、それを馬の栗毛と掛けた 「膝クリ毛」 というコトバが(駄)洒落として成立するのであった! たぶん、これが正解だろう。ああ、すっきりした。

◆ 最後に、せっかくだから栗毛の馬の写真でも載せようと思ったが、すぐには見あたらない。そもそも馬の毛色の違いは微妙なもので、実際に目の前で見るのならともかく、写真で正確な色合いが出せるものでもないから(こちらで時間をかけて色修正したとしても、見る側のパソコンのモニターごとにずいぶん違って見えるだろうから)、サラブレッドの毛色としては、栗毛よりも一般的な鹿毛の馬の写真で、代用することに。被写体は、ナイスナイスナイス号、東京競馬場にて。タイトルは「サラブレッドテール」。ポニーテールの洒落のつもりだが、これは洒落になっているだろうか?

◆ 嫌いなことを書くよりは好きなことを書いていたいと思う。つい嫌いな 「レンガ風タイル」 のことを書いてしまったので、今度は好きなもののことを書いて帳尻を合わせておきたい。

◆ レンガ風タイルのことを書いていて、ふと気になったのは、

◇ 日本では、セラミックのレンガ風タイルを外壁に貼っているのをよく見かける。レンガ造りといっても本当は薄いレンガタイルを貼っているだけだと思われている。
blog.zaq.ne.jp/fjmacihouse/article/372/

◆ のではないかということで、もしかしたら、赤レンガで知られる東京駅の丸ノ内駅舎や北海道庁の旧本庁舎なんかも、外壁にレンガを貼っただけのものだと思われていたりするのかもしれない。そんなことがふと気になったので、念のため。東京駅も北海道庁も(規模はケタ外れに大きいにせよ)、『三匹の子豚』 の3番目のブタがレンガをひとつずつ積み上げて家を造ったのと同じように、レンガを積み上げて造られたものだ。上海の高層ビルなんかは、いまでもレンガ造りのものがあるそうで、

◇ 先日、ある道を歩いていていたんです。建設中のビルがありました。20階建てくらいでしょうか。ここでも建ててるんだ、と何気なくそのビルを見たんです。すると‥‥ え?壁が、レンガ? 本当に、レンガを積み重ねて、壁を作っていくんですねぇ。
w269.o.fiw-web.net/china&chinese/37.htm

◇ 実は現在建設中の多くのビルも、基本的にレンガを積み上げて建設されています。
angel.ap.teacup.com/world_report/28.html

◆ とはいえ、上海には行ったことがないので、真偽のほどはわからない。たぶんホントだろうけど。ともかく、レンガ造りといえば、文字通りレンガで造られているので、鉄筋コンクリートで造って、レンガを貼りつけたわけではない。で、その気になれば、レンガで高層ビルでも建ててしまえるわけだけれど、そこまでいくと、高所恐怖症のワタシにはちょっと目がくらむので、たとえばレンガ塀(これくらいだと安心して語れる)。

◆ 11月17日、港区虎ノ門。ホテルオークラの近くで見かけたレンガ塀。この塀はレンガ造りだが、その上に補強のために塗られたモルタルが一部剥がれて、赤レンガが露出している。

◆ あるいは、11月12日、中野区上高田。このあたりは寺町で、ちいさなお寺が立ち並ぶ。そのうちのひとつ、浄土真宗の願正寺。この本堂の基礎部分がレンガ造り。これもまたその上に塗られたモルタルが剥がれて、赤レンガが露出。

◆ コンクリートの表面に化粧として貼られたレンガ風タイルと、表面に塗られたモルタルの下から露出した骨組み(躯体)としての本物のレンガ。内と外の関係がまったく正反対。レンガは生き物ではないから、その気持ちを斟酌するというのも変なハナシだが、もしワタシがレンガなら、高級マンションに見てくれのために薄く貼られるよりも、とるに足らない建造物でもその基礎となってモルタルに覆われていたいと思うのだ。

◆ ちなみに、レンガ造りの建物でも、レンガをそのまま露出させているのがふつうというわけでもない。

◇ ヨーロッパでは煉瓦は多くの建物に用いられているが、本格的な建物の場合、構造が煉瓦造でも表面を漆喰や石で仕上げることが多い。赤煉瓦のままの建物はよほど古風なものか、工場、倉庫など簡素なものである。しかし、イギリスなどで中世趣味のため、あえて赤煉瓦のままとすることがある。
ja.wikipedia.org/wiki/煉瓦

◆ レンガがそのまま露出しているレンガ建築も見ごたえがあるものだが、剥がれたモルタルから垣間見えるレンガというのも、奥ゆかしい気がして悪くはない。そうしてワタシはそういうものが好きなのだ。