MEMORANDUM

◆ 東京に住んで20年になるが、訪れたことのない場所はまだまだ多い。4月11日、湯島聖堂へ初めて行った。そのそばの公衆便所に立ち寄ったのも、だから初めてだった。その便所で小便をしていると、目の前にカゲロウがとまっているのに気がついた。小便をしながら写真を撮るわけにはいかないから、小便をおえてから写真を撮った。なんというカゲロウかはしらない。もしかしたらカゲロウではないかもしれない。

◆ カゲロウといえば、雅夢の「愛はかげろう」(作詞:三浦和人)を思い出す。昭和55年(1980)のヒット曲。

♪ 愛はかげろう つかの間の命
  激しいまでに 燃やしつづけて

◆ カラオケでむかしはよく歌った。最近は歌わない。というのも、

◇ この曲、何が有名かって、カラオケの背景画面なんですよね。今はどうかよく分かりませんが、一時期はかなりセクシーな場面と女性がいました。それを狙って歌った方もいらっしゃるのでは?
blog.livedoor.jp/breeze_crew/archives/50153276.html

◇ カラオケもBOX時代になってからあまりみなくなっちゃったけど、スナック全盛時に見た 「愛はかげろう」 のレーザーカラオケの映像は超エロだった。。。
music.2ch.net/natsumeloj/kako/1012/10127/1012757358.html

◇ 昔のレーザーディスクのカラオケだと、なぜかレズビアンのエッチシーンがでてきた(笑)。
www.geocities.co.jp/Hollywood/4496/ChronicleJ_1980.html

◇ この歌 カラオケボックスがはやりだしたころ 映像つきカラオケではあだるてぃっくな画像で。 女3人で歌いに行った時に 知らないでこの歌を選んだら すんげー画像が出てきたのを今でも忘れません。 間奏で女性の●っちな声まで入ってたもん(涙)
diarynote.jp/d/31113/20030417.html

◇ カラオケで歌と画面がやけにアンバランスで戸惑ったのが、奥村チヨの『恋の奴隷』と雅夢の『愛はかげろう』だった。真面目に歌に挑戦しようとしてもセクシーな画面に見とれて笑いをこらえるのが辛かった。画面が見たくて選ぶのかと誤解されるのが怖くて唄うのをやめた。
himajin-nobu.at.webry.info/200508/article_35.html

◆ と、なんともなつかしい「愛はかげろう」なのだが、この「かげろう」は虫のカゲロウだったかどうか? あのころはエロ映像に気をとられてそんなことを考えてみる余裕はなかった。

◇ 私はかげろうを虫の名前と勘違いしていたこともある。ウスバカゲロウなんて命短い虫もいたからだ。
himajin-nobu.at.webry.info/200508/article_35.html

◆ してみると、虫のカゲロウではないのだろうか? 歌詞には「つかの間の命」なんてコトバもあるから、生き物のような気もするけれど、歌詞には「燃やしつづけて」なんてコトバもあるから、「蜉蝣」ではなく「陽炎」なんだろうか?

◆ 4月11日、練馬区南田中。お昼に入ったラーメン屋。その奥の壁にはカレンダー。桜の鶴ケ城。

◆ 3月5日、会津若松。お城からほど近いアパートの二階に東京からの引越荷物を搬入。荷主は中年の女性。隣町に住む両親が手伝いに来ていた。雪はまったくない。父親が74年間でこんなに雪がないのは初めてだと言ったから、74歳なのだろう。どんな事情かはしらないが、それでも両親は娘が帰ってきたということでうれしそうだった。父親がアパートの窓から外を眺めてこう言った。

◇ 「お城の桜がよく見える」

◆ もちろん桜はまだ咲いていなかったけれども、たしかに桜の時期には、部屋にいながら花見が楽しめるようないい窓だった。あるいは、父親にはもう桜の花が見えていたかもしれない。その後、実家に寄って荷物の一部を降ろし、親切な父親からいただいた観光マップで市内観光を楽しんだ。

  猫の涙

◆ 猫の写真を撮ることがある。とくに猫の写真を撮りたいと思っているわけではないが、街を歩けば猫と目があってしまうことがあって、そんなときには多少の時間をかけて猫の写真を撮る。たいていは野良猫だ。

◆ 先日撮った猫は珍しく飼い猫だった。ワタシがアパートの二階から荷物の運び出しをしているのを隣の建物からしげしげと見ていた。隣の建物は二階が玄関になっている一軒家で、よく見ると玄関脇の窓が少し開いており、そこから猫が出入りできるようにと細い板が渡してあった。その細い板の上に猫がいた。毛並みのよさそうな猫だった。立ち居振る舞いもふだん目にする野良猫にくらべやや上品な気がした。いきなり断りもなしにカメラを向ける無作法な人間への対応にすこしとまどっているようでもあった。恥ずかしがっているようにも見えたが、あるいは怒っていたかもしれない。

◆ 以下の引用はこのハナシとはなんの関係もない。

◇  「私は猫が涙を流して泣いているのを見たことがあります」
 と言い出して、話が丹波から京都の巷へ外(そ)れてしまった。Iさんの母堂は飼い猫のしつけにやかましく、そのためにその猫はいやしくもお膳の上のものに手をのばすということがなく、堪えに堪えているようなふぜいで、人間たちが食事をするのを待っているというが彼女の日常であった。
 ある日、母堂が親戚の家へゆかれると、そこの猫はじつに放縦で、お膳の上のものを嗅いだり、手でひきよせたり、包み紙に首をつっこんだりして、母堂はそのために神経がくたくたになって帰宅した。
 「そこへゆくと、ほんまに、お前はおとなしゅうて、ええ子やな」
 と、母堂は夕食のとき、猫をふりかえって、ほめてやった。そのとき猫が無言で泣きだしたというのである。大きな目にみるみる涙があふれて、その滴ってゆく涙がひげを濡らしたというから、とても何かの見違えとはちがいます。私もびっくりしましたし、母も息をのんで見つめていました、とIさんはいった。

司馬遼太郎 『街道をゆく 4』 (朝日文庫,p.153-154)

◆ この猫はなぜ泣いたのか? ワタシは 「母堂」 に褒められたのがうれしくて泣いたのかと思ったが、司馬遼太郎の解釈は違っていた。続けてこう書いている。

◇ その猫にすれば某さんの家の猫こそ猫らしい猫で、自分は御当家の御躾(おしつけ)に堪え忍んでいるだけなのです、と言いたかったのであろう。

◆ なるほど、そう言われるとそうだなという気もする。というかこちらが正解なのだろう。けれど、涙は涙で、悔し涙も嬉し涙も区別がつかない。猫であれ人間であれ、そもそも泣いている本人からしてどうして泣いているのかがわからない。そんなこともよくあることだろう。感情の種類によって涙の成分も異なるというハナシも聞いたことがあったが、どうなのだろう?

◆ 引越という仕事は奇妙なもので、少し遠くの知らない町に出かけると、もはや旅との区別がつかない。お客さんを観光案内人と勘違いをして、「この近くになにか見どころはありませんか?」 と尋ねたり、地図を広げて、お客さんの家を探しているつもりが、いつしかその近くに温泉マークを発見し、その道順を検討し始めていたり。なんとも楽しい仕事である。

◆ というわけで、これまでにも仕事のついでに造り酒屋を訪れたことが何度かあって、過去の写真をパソコンからひっぱり出して、どこかに杉玉が写っていやしないかと見直してみると、あるわあるわ、ここにも、ここにも(画像をクリックすると多少は大きいのがご覧になれます)。

◆ 〔左〕 2003年6月5日、滋賀県高島郡マキノ町海津、吉田酒造。こんなに堂々と飾られた杉玉になぜ気がつかない?

◆ 〔中〕 2004年5月12日、神奈川県厚木市七沢、黄金井酒造。建物の左奥に。

◆ 〔右〕 2005年5月7日、埼玉県秩父市宮側町、武甲酒造。写真を拡大してみると、なんと5個の杉玉。

◆ 〔左〕 2007年3月6日、会津若松市千石町、名倉山酒造。写真を拡大すると、玄関の左上に小ぶりの杉玉が。

◆ 〔右〕 2007年3月6日、会津若松市日新町、末廣酒造(嘉永蔵)。

◇ 威風堂々とした姿で大和町通りに趣を添える末廣酒造・嘉永蔵。大輪の酒林に圧倒されながら酒香に誘われ木扉を開くと、そこには吹き抜けの大空間が広がる。
『会津の建物ガイド』 (あいづふるさと市町村圏協議会,p.42)

◆ と、帰りに買ったガイドブックに書いてあった。ちなみに、このガイドブックを再構成したものがウェブでも読める ( 《会津の建物ガイド》 )。写真を見直すとたしかに、まだ緑を残した 「大輪の酒林」 が。どうして気がつかなかったのだろう?

◆ ほかにもまだあるかもしれない。それにしても、過去にこんなにたくさんの杉玉を目にしていたはずなのに、なんにも目にはいっていなかった自分をちょっぴり反省しつつ(大いに反省すべきであるか?)、あらためて写真というのはすごいものだなあと。

◇ 蔵の前を歩いて、軒先にぶら下がった巨大な玉を見たことがある人もいるはず。一見して蜂の巣か、マリモのおばけにしか見えないあの不思議な丸い玉、一体何だか知っていますか?
www.rikuden.co.jp/saihaken/series10_6.html

◆ 2007年3月22日、仕事で寄った上総湊という町の酒屋で 「不思議な丸い玉」 を見かけた。正確に書けば、その玉をめざとく見つけたのはワタシではなく相棒だった。ワタシはその酒屋の建物に惹かれて写真を一枚トラックの中から撮っただけで満足したのだったが、帰途についてしばらくしてから、相棒がこう言った。

◇ 「さっき Saturnian さんが写真を撮っていた酒屋にあった蜂の巣みたいなの、なんだか知ってます?」

◆ えっ、そんなものがあったとは、まったく気がつかなかった。なんでも、相棒に言うには、先日たまたまテレビで杉玉のことを説明していたのを憶えていたから、目についたのだそうだ。ワタシも先日、会津若松を訪れたさいに、観光パンフレットかなにかで杉玉のことを読んだばかりだった。ということで、さっそく来た道を戻って、酒屋の杉玉をしっかりと見直して、ついでに地酒を買った。この酒屋は小泉酒店といって、造り酒屋ではないが、「蔵出し直売店」 とあって、数キロ先にある小泉酒造とは親戚関係であるそうだが、蔵元を訪れるには残念ながら時間が遅すぎた。

◆ (造り)酒屋の軒先に吊るされた杉玉は酒林(さかばやし)とも言う。酒林ではない杉玉があるのかどうかは知らない。

さかばやし 【酒林】 杉の葉を束ねて球状にし、軒先にかけて酒屋の看板としたもの。杉玉。さかぼうき。酒旗(さかばた)。杉林。ほて。〔奈良三輪山の大神(おおみわ)神社が酒の神とされ、杉が神木であることから〕
三省堂 『大辞林 第二版』

◆ 杉浦日向子は、『入浴の女王』 (講談社文庫) という銭湯めぐりの著作もあるぐらいだから、銭湯が嫌いではなかったのだろう。『東京路上博物誌』 という本に、杉浦日向子のインタビュー ( 「きき湯のすすめ」 ) が載っていて、

藤・杉浦さんは子供の時から銭湯に?
杉・今は毎日銭湯に行っています。その日の気分にあわせてどの銭湯に行くかを決めます。周りに一〇軒くらいありますので自転車をとばして吉祥寺までいったり、電車で行ったりします。今まで六〇軒くらい回りました。

藤森照信・荒俣宏 『東京路上博物誌』 (鹿島出版会,p.184)

◆ 聞き手は、藤森照信〔藤〕、荒俣宏〔荒〕、赤瀬川原平〔赤〕と錚々たる面々だが、おやっと思う会話もある。

赤・タオルなんかはどうするのですか?
杉・タオルが二〇〇円から二五〇円、石鹸が二〇円で、シャンプーとリンスが三〇円ずつです。
荒・そのタオルにはお風呂屋さんの名前が入っているのですか?
杉・いえ、入ってないです。

Ibid.

◆ この問答からしてみると、赤瀬川原平も荒俣宏も銭湯に行ったことがないのだろうか? 不思議な気がする。若いひとならいざ知らず。《教えて!goo》 にもこんな質問。

◇ 21歳、女です! 初、銭湯+岩盤浴に行くことになりました! そこで質問なんですが… 銭湯には何を持参していくべきでしょうか??
oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2386037

◇ 銭湯ってタオルの貸し出しなどはあるのでしょうか?(もちろん有料でも構わないのですが)
oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2187990

◆ ほかにも 《銭湯入門》 といったサイトも多い。

◇ 手ぶらでもタオル・石鹸・ミニシャンプーが売っているので大丈夫。
www3.synapse.ne.jp/kagosima1010/17jyo.html

◇ 銭湯は手ぶらでも行ける。石鹸、ヒゲソリ、タオル、シャンプーなど入浴に必用なものは番台、あるいはカウンターで購入できる。石鹸、ヒゲソリは数十円、タオルは大体250円程度。
homepage3.nifty.com/~daisy/sento/column/prepare.html

◆ で、先の杉浦日向子のインタビューに戻って、

杉・タオルが二〇〇円から二五〇円、石鹸が二〇円で、シャンプーとリンスが三〇円ずつです。

◆ 毎日銭湯に行くと言っていた杉浦日向子は、とすると、二〇〇円から二五〇円もするタオルを毎日銭湯で買っていたのだろうか? どうも気にかかる。

◆ たしかにどこの銭湯でもタオルは売っている。だからといって、それを買わなければいけないということはない。借りればいいのだ。番台のおばちゃんに頼めば、たいていはタダで貸してくれる(と思う)。東京の銭湯の入浴料は430円だが、430円の風呂に入るのに250円のタオルを買うのではあまりに不経済ではないだろうか? もちろん、洗ってはあっても他人の使ったタオルを使いたくないと考えるひとは250円で新品のタオルを買えばいい(けれど、そのように考えるひとが他人の垢にまみれた銭湯にどうして来るだろう?)。それに、せっかく手ぶらで銭湯に来たのに、出るときに濡れたタオルを手にしていたのでは、手ぶらで来たかいがないだろう(かといって、250円で買ったものをその場で捨ててしまうのも、どうかしている)。

◆ まあ、タダでなくとも、20~30円なら可とすべきだろう。

◇ 日本各地で銭湯を利用してきましたが、僕が知る限りではほとんどの銭湯に貸しタオルがありました。(20~30円程度)
oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2187990

◆ ワタシはこの20~30円でさえも払ったことがない。一度だけ、ある銭湯で、頻繁にタオルをタダで借り過ぎたせいか、「30円」 と言われたことがあるが、「じゃあ、いらない」 と断った。

◆ 写真のように「入浴セット」 100円なら、悪くはないか。

◇ テレビの 「ウルトラマン」 シリーズの演出や映画 「帝都物語」 などで知られた映画監督の実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)さんが29日深夜、死去した。69歳だった。
www.asahi.com/culture/movie/TKY200611290434.html

◆ 29日というのは、2006年11月のこと。さいきん 『昭和電車少年』 という本を、その著者の訃報もつゆ知らずに読んだ。

◇ わたしにとって電気機関車というフォルムの極北は、そんなEF57であった。戦後、『はと』 などとふやけた名前で特急が復活したが、昭和二十五年に再開された特急 『つばめ』 を牽引して、いたく城西のファンを魅了したのは、EF57の持つ造形の見事さだろうと思う。
実相寺昭雄 『昭和電車少年』 (JTB,p71)

◆ いかにも根っからの鉄道ファンらしい文章だが、それはさておき、どうして 「はと」 はふやけているのだろう? すくなくとも戦後まもなくのころは、平和のシンボルとして、いまよりもずいぶんイメージよかったのではないかと思いもするが、そうでもなかったのだろうか? とまあ、そんなことが気になった。

◆ 駅のホームでたむろするハトたちを見るにつけ、たしかに、お前ら特急って感じじゃないよな、とつびやきたくもなる。だれが特急 「ドバト」 に乗りたいと思うだろう? 汽車ポッポと鳩ポッポのポッポつながりくらいでは、遊園地のSL列車の愛称ぐらいがお似合いだろうか?

◆ そんなことをあれこれ考えていたものだから、先日本屋で、内田百閒の 『第一阿房列車』 (新潮文庫)の表紙を見たときには驚いた。特急 「はと」 の展望車のデッキにすっくと立った内田百閒の表情がなんともいえずすばらしい。撮影は林忠彦。調べてみると、この写真は、昭和27年(1952)10月15日、鉄道80周年の記念行事の一環として内田百閒が東京駅の一日駅長を務めたときのもの。

◇  第三列車 「はと」 は、私の一番好きな汽車である。不思議な御縁で名誉駅長を拝命し、そのみずみずしい発車を私が相図する事になった。汽車好きの私としては、誠に本懐の至りであるが、そうして初めに、一寸(ちょっと)微かに動き、見る見る速くなって、あのいきな編成の最後の展望車が、歩廊の縁をすっ、すっと辷(すべ)様に遠のいて行くのを、歩廊の端に靴の爪先を揃えて、便便と見送っていられるものだろうか。
 名誉駅長であろうと、八十周年であろうと、そんな、みじめな思いをする事を私は好まない。
 発車の瞬間に、展望車のデッキに乗り込んで、行ってしまおう、と決心した。

内田百閒 「時は改変す」 『立腹帖 内田百閒集成2』 (ちくま文庫,p.152)

◆ そうして、ほんとうに、駅長としての任務を放棄して、「はと」 の展望車に乗って熱海まで行ってしまった・・・。こんな 「はと」 好きの痛快な人物がいるとは、その日ばかりは、さぞかし駅のホームのハトも鼻が高かったにちがいない。