昨日Sさんのことを書いているうちに「ことば」をひとつ思い出しました。季節はずれですが、「浴衣ざらい」です。 |
◆ 今日、ホームページに掲示板を設置して、「たまたまたまご」と名づけました。別に掲示板にタイトルなんて必要ないのですが、なにかのコーナーにこの名前をつけたいと前から思っていたので、忘れないうちにと掲示板のタイトルに早速採用した次第。名づけたあとで、やっぱり「たまたまたまご」ってなんだろうと頭をひねっています。 ◆ これは去年の話です。ときどきお手伝いに行っている障害者の授産施設「つばさ福祉工房」で、その日は近くの上野公園に散歩にでかけました。その道すがら、今年成人式を迎えた女性のSさんが、「たまたまって、たまご?」って唐突に言ったんです。正確には、たまたまボクが近くにいて、職員のTさんに話しかけるのを偶然耳にしただけなんですが、あとでTさんに聴いても特に脈絡はなかったそうなので、ふと思いついたんでしょう。でも、そのときのSさんの言い方のなんてチャーミングだったこと! ◆ 「たまたまって、たまご?」。うーん、たまたまはたまごかな? どうだろうな。その言葉を声には出さず、舌の上で何度も転がしていると、なんだか幸せな気分になってきます。だから、今度そう尋ねられたら、「そう、たまたまってのは、たまごだよ」と答えるつもりでいるのですが、本人はもう忘れているだろうなあ。 |
以前『鉄塔 武蔵野線』という小説を読んだことがあって、それ以来、「鉄塔」が近くにあると、なんとなく見上げてみたり、「この鉄塔は何線かなあ」とプレートを読みに近づいたりすることが多くなりました。写真の鉄塔は「駒沢線 40」です。ちょうど周囲が工事中の更地で真下まで行くことができました。ちょっぴり満足。 「これまで見ていながら実は見ていなかった風景を、見えるようにしてしまった」という点で、まさに人間の心理的盲点めがけて投じられた一個の文学的爆弾であるのかも知れぬと気づいたのである。(井上ひさし) 鉄塔群は自然の風景の中の異物として、いつも白眼視される存在だった。しかし一度見方を変えると、屹立する巨人にも見え、このごろはやる大観音像よりよほど美しく思えてくる。どうやらこれは、文学の突然変異である。(安野光雅) というわけで、鉄塔という「ことば」を聞くと、送電線の鉄塔がまず頭に浮かぶのです。この「駒沢線」はどこに行くのかなあ。 |