MEMORANDUM

  ローマの休日

◆ 映画『ローマの休日』のタイトルが誤訳だというハナシがあるらしい。原題は「Roman Holiday」で、映画とは無関係にこの2語だけで訳す必要に迫られれば、「(古代)ローマの祝日」とするのが一番無難であるように思うけれども、「ローマの休日」がとくに間違っているとも思えない。では、誤訳はどこにあるのか? たとえば、

◇ さて、『ローマの休日』という題名になったことは、偉大なる誤訳と言われている。〔中略〕 原題は「Roman holiday(ローマの休日)」だし、某国のアン王女のローマにおける一日の一時の気晴らしを描いてはいる。しかし、「Roman holiday」の本当の意味は、ローマ帝国では、奴隷戦士をライオンと戦わせる見世物があり、ローマ人は休日に娯楽としてこれを観戦した。見ている方には娯楽でも奴隷戦士にとってはいい迷惑な話である。このことから、「ローマの休日」で他人の迷惑を楽しむ、あるいは、面白いスキャンダル、という意味になったそうだ。日本では直訳の「ローマの休日」となったので、本来の意味の皮肉を込めた意味が判らなくなっている。これは偉大なる誤訳とされる。
z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-1.html

◆ と書いてあるのを読んでみても、ワタシには「偉大なる誤訳」であるという「誤訳」の箇所がよくわからないし、「偉大な」というコトバの意味はさらにわからないのだが、似たようなハナシを書いているひとはたくさんいて、またたとえば、

〔Yahoo!知恵袋〕 ◇ 日本ではローマの休日という題になっていますが、ローマ風の休日と訳したほうがオリジナルに忠実になります。もとの題 Roman Holiday はバイロンの詩をもとにした慣用句で他人を犠牲にして楽しむ娯楽という意味があります。政治的背景は省略しますが、当時米国で弾圧されていた良心派の映画人が洒落たラブコメに抵抗のメッセージをこめて作った映画で、単なるラブコメとして人気作となったのは日本だけのようです。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1284758667

〔J-CASTテレビウォッチ〕 ◇ 昔のタイトルでおかしいと思う代表作は「ローマの休日」。原題はRoman Holiday。ローマの休日ならHoliday in Romeでしょう。原題の意味は(ローマ人のように)他人に迷惑をかける休日という意味なのだ。ヘップバーンの王女が皆に迷惑をかけるのを気にも留めず、一人抜け出してペックの記者とローマを遊び歩く。でも映画同様、名訳として映画史上燦然と輝いているのです。
www.j-cast.com/tv/2007/10/04011943.html

◇ 今度は50年以上前の作品で、不朽の名作『Roman Holidy(ローマの休日)』について。この邦題は誤訳。あちこちで指摘されています。「ローマの休日」と聞くと、私はつい男女二人のロマンティックかつ優雅な休日をイメージしてしまいますが、辞書の記述にあるように、"Roman holiday"には「他人を犠牲にして成り立つ楽しみ」という意味が込められています。
greatwitsjump.seesaa.net/category/3508301-1.html

◇ 原題はRoman Holiday。これは辞書によると「人の犠牲・苦しみによって得られる娯楽(ローマ人が楽しみに闘技場で剣士などを闘わせたことから)」という意味の慣用句ということだ。確かに、「ローマの休日」なら ’A Holiday in Rome’ となるし、逆にRoman Holiday を直訳するなら「ローマ式休日」とか「ローマ人の休日」になるだろう。原題の方はひねりがあるが、邦題はやはりロマンチックな響きを持った「ローマの休日」で正解だと思う。
http://www7.plala.or.jp/akiz/h.t./entries/2010/7/20_rome.html

◆ あとの2つの引用の「ロマンティックかつ優雅な」とか「ロマンチックな響きを持った」というイメージはあのグレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーンの映画を見たからそう思うので、ローマとロマンチックは語源的には関係があるにしても、『ローマの休日』というコトバ自体がそれほどロマンティックなイメージを喚起するとも思えない。まあ、グンマの休日よりはロマンチックであるだろうけど。

◆ 「ローマの休日」に対応する英語が「Holiday in Rome」であるというのもよくわからない。いや、わからなくはないが、両者が1対1で対応しているわけでもない。「Roman」というのはローマの形容詞であるが、名詞を元にした形容詞は、一般的には、「~的」と訳しておけば一番網羅的で無難である。しかし「~的」では翻訳臭が漂う場合が多いので、「~的」を「~の」に変えるというのが次善の策になるだろう。たとえば、「日本の夏」を英語にする場合、「summer in Japan」でもいいが、「summer of Japan」や「Japanese summer」がいけないということはない。これが「Indian summer」になると、「インドの夏」ではなくて「インディアンの夏(小春日和)」と訳すべき場合が多いだろうが、それでもインドのハナシをしているのであれば、「インドの夏」としか訳せまい。

◆ 『ローマの休日』のタイトルが誤訳だという一連のハナシの発端(の大部分)は呉智英であるらしい。

〔【断層】呉智英 「ローマの休日」はローマの休日か - MSN産経ニュース(2009.6.10 08:33)〕 この名画は本当にローマにおける休日を描いたのだろうか。原題は確かに「Roman Holiday(ローマの休日)」だし、某国のアン王女のローマにおける一日の息抜きを描いてはいる。しかし、この名画の邦題は原題を直訳した一種の誤訳である。正しくは『はた迷惑な王女様』か『王族のスキャンダル』としなければならない。
 ちょっと大きい英和辞典でこの言葉を引けば分かるが、「Roman Holiday」は熟語である。ローマ帝国では、奴隷戦士をライオンと戦わせる見世物があり、ローマ人は休日に娯楽としてこれを観戦した。見ている方には娯楽でも奴隷戦士にとってはいい迷惑である。このことから、「ローマの休日」で他人の迷惑を楽しむ、あるいは、面白いスキャンダル、という意味になった。ここでは、王女様の楽しみがはた迷惑であり、王女様の恋がスキャンダルとして騒がれそうだ、ということだ。欧米の教養人ならすぐ分かるしゃれが日本人には分からない。
 映画だろうが音楽だろうが、予備知識なしに感性で味わえばいいという人がいるが、それは間違いである。文化のコード(約束事)を知っておかなければ、外国のことは半分も理解できないのだ。(評論家)

sankei.jp.msn.com/culture/arts/090610/art0906100834003-n1.htm

◆ 最後の2文はなるほどそのとおりだと思う。ここで、呉智英は「Roman Holiday」を『はた迷惑な王女様』または『王族のスキャンダル』と訳すべきと書いているが、これまたよく理解できない。「Roman holiday」が「Indian summer」のように熟語であるなら、その熟語としての意味を知識として知っておけばいいだけのハナシで、なにも邦題まで説明調の妙ちくりんなものにする必要はないだろう。それに、そもそも、熟語の「Roman holiday」の意味と映画の内容のつなぐ解釈が間違っているようにも思える(が、ハナシが長くなるので、参考: 「ローマの休日」は誤訳?呉智英先生の誤解・・・・「断層」:イザ!)。

◆ あと2つ、大学の先生による文章を載せておく。

〔久保田正人「英語学点描」(千葉大学言語教育センター『言語文化論叢』第2号,2008)〕  通例、都市名に形容詞は存在しない。したがって Roman Holiday は「ローマの休日」の意にはならない。ローマが都市名でなく用いられるのは「(古代)ローマ帝国」という国家名のみである。Roman holiday は「古代ローマ人の休日(の過ごし方)」が原義であり、剣士や奴隷を死ぬまで戦わせてそれを観戦したことから、「人の苦しみのうえに成り立つ快楽」という意の慣用表現となった。イギリスの詩人 George Gordon Byron が Childe Harold’s Pilgrimage (1812) の中で、gladiator(円形闘技場で観客を楽しませるために死ぬまで戦わされた剣士や奴隷)の死の隠喩として用いたのが最初(ただし英語圏の人でもこの表現の由来を知らない人が多い)。オードリー・ヘップバーン主演のあの映画は、(もし題名が真に意味を持つものであるならば、)一般に考えられているのとはちがって、一種の残酷物語として意図されていたことになる。
 映画のタイトルは映画配給会社が決める。映画の字幕を担当したプロの翻訳家でも関与できない。映画配給会社の社員が Roman holiday の意味を知らずに、「ローマの休日」と誤訳したのか、あるいは「ローマの休日」などという意味がないことを承知の上で、集客効果のあるロマンチックな題名として創作したのか、どちらであるかは定かでない。
 ちなみに、この表現に「ローマの休日」という訳をつけている英和辞典があるので要注意。

f.chiba-u.jp/about/plc02/plc02-07.pdf

◆ 英語には「通例、都市名に形容詞は存在しない」という箇所がそもそも納得できないが(ハナシが長くなるので機会があれば別に書く)、そうだとしても、「Roman Holiday は『ローマの休日』の意にはならない」という結論づけるのはどうかと思う。「Roman」が現代のローマ市のことを指すものとして使われることは少ないかもしれないが、日本語の「ローマ」に「現代のローマ市」という限定があるわけでもないから、そこには当然「古代ローマ」の意味も含まれていよう。どこに問題があるのだろう?

〔関東学院大学 文学部 - 文学部TOPICS:文学部教員コラム vol.36 ミルトンの影VI …… 英語英米文学科 島村宣男 先生〕  ところで、英語表現 “Roman holiday” の本来の意味をご存知ですか?客受けを狙った邦題の「ローマの休日」は、誤訳とは言わないまでも、一義的な意味しか伝えてくれません。なにしろ、映画は、ローマ訪問中の某国の王女アンがお忍びで、偶々出合った新聞記者ジョー(私の大好きな俳優 Gregory Peck が演じています)と市内の観光名所をはしゃぎ回るという破天荒な内容だからです(草臥れた老夫婦がローマで閑暇を過ごす、といった悠長な話ではありません)。
 〔中略〕 その盛時には、貴族や富裕層の市民は、猛獣と剣闘士、またあるときは剣闘士同士の殺し合いに興じて憂さを晴らしました。つまり、この故事が英語の “Roman holiday” という語句の由来で、「他者を犠牲にして得られる愉楽」を意味する俗語表現に他なりません。
 こうして、映画のタイトルが含意する全体が了解されます。要するに、「やんごとなき王女様のてんやわんやのローマ一日観光」といったところでしょう。
 映画のタイトル一つにも深い意味が隠されていることが分かります。そして、それが全てを物語るのです。名作に名タイトルあり、と言えましょう。実に、「言葉の力」とはそういうものなのです。

bungaku.kanto-gakuin.ac.jp/modules/news/article.php?storyid=139

◆ 「ローマの休日」というコトバから「草臥れた老夫婦がローマで閑暇を過ごす」といったイメージが湧くものかどうかはひとそれぞれというほかない。2人の大学の先生は、『ローマの休日』という邦題に対し、「集客効果のある」「客受けを狙った」とそろって「うがった」見方をされているけれども、ワタシには、これほど「すなおな」タイトルもあまりないように思われる。

◆ あれこれ引用したが、『ローマの休日』という邦題をめぐるハナシは、つまるところ、誤訳であるかどうかというよりも、「Roman holiday」には熟語的な拡張された意味があって、「私はそんなことまで知っているんだぞ」というウンチク話に過ぎないような気がする。たとえ原題が「Holidays in Rome」や「A Holiday in Rome」であっても、そこに「Roman holiday」の比喩的な意味を読み取るひとは読み取るだろう。それは邦題が『ローマの休日』であっても同じことで、この日本語のタイトルからでも、コロッセオのグラディエーターを思い浮かべることができないわけではない。「Roman holiday」の熟語的意味を知っているかどうか、ただそれだけのハナシだろう。「Achilles’ heel」は「アキレウスのかかと」と訳しておけばいいので、それが「急所」という比喩的な意味だとわかるひともいればわからないひともいるだろうが、それはなにも翻訳者の責任ではない。

◆ 参考までに、諸外国の『ローマの休日』のタイトルを見てみると(カッコ内は対応する英語)、
・台湾:「羅馬假期」(Roman Holidays)
・中国:「罗马假日」(Roman Holiday)
・香港:「金枝玉葉」(Royal Princess)
・ドイツ:「Ein Herz und eine Krone」(A Heart and a Crown)
・フランス:「Vacances romaines」(Roman Holidays)
・イタリア:「Vacanze romane」(Roman Holidays)
・スペイン:「Vacaciones en Roma」(Holidays in Rome)
・中南米:「La Princesa que queria vivir」(The Princess Who Wanted to Live)
・ポルトガル:「Férias em Roma」(Holidays in Rome)
・ブラジル:「A princesa e o plebeu」(The Princess and the Commoner)

◆ いろいろとおもしろいが、英語の熟語的意味を踏まえた意訳的なタイトルはひとつもなさそうだ。

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