MEMORANDUM

  カチッと音がする

◆ たとえば、

◇  その昔、国連鉄鋼部会の視察に同行して、英語、フランス語の通訳の方と組んで日本の某自動車メーカーを訪れたときのこと。前日の夕刻、現地に到着して、地元のホテルに宿泊し、翌日工場見学という手はずになっていた。
 メーカー側は、会社概要のパンフレット、明日案内をつとめる人の説明文を和文、英文両方用意している。さらに、日・英・仏自動車用語集なるものを無料で通訳一同に恵んでくださった。英語の通訳者は、とりわけ喜んだふうもなく、当たり前のようにそれを受け取り、フランス語の同僚は、「ワーッ、助かる! ありがとうございます」と嬉しそうにはしゃいだ。
「明日の準備が、ほとんどしなくて良くなったから、今夜は飲もうよ! 飲も、飲も」
解放感にひたる二人を、恨めしげに送り出したあとで、わたしは一人ホテルの部屋にこもり、明日の説明文テキストの専門用語を拾っては、いちいちいくつもの辞書事典に当たりながら、意味と単語を確認していった。
 たとえば、自動車の部品を指す「クランク・シャフト」という単語がある。英語の対応語は、先ほど会社から手渡された英文テキストにも用語集にも出ている。和露辞典を引いても、英露辞典を引いても、当然のことながら、そこまで専門的な訳語は出ていない。そこで、わたしは会社案内パンフレットにある自動車構造図のなかに「クランク・シャフト」なる部品をさがし当て、分厚いロシア語版製造業図説事典を開き、自動車構造図をにらんで、同じ部品のロシア語名をさがす。両者が照合した瞬間、カチッと音がするような快感がある。この快感は、英語通訳にはわかるまいとい密かにほくそ笑むのも、こんな時だ。
 翌日の仕事で、英語とフランス語の両同僚にたずねる。
「ねえ、クランク・シャフトって知ってる?」
 それぞれ訳語はスラスラ出てくるが、その言葉がいったいどんな部品を指すのか、二人は知らない。
「フフフ、苦労しただけのことはあった。言葉を音のみで捉えて転換していくのでは機械みたいなものではないか。言葉の意味の根幹のところを摑まえて訳すことこそ人間の営みにふさわしい」
 とここでまた日頃の鬱憤を晴らすように、心の中でニンマリする。
というわけで、同じ通訳といっても、ロシア語と英語の通訳は同じ職種に属するのだろうか、と思うことがよくある。こちらは旧石器時代後期、あちらはもう二一世紀初頭あたりなのでは。

米原万里『ガセネッタ&シモネッタ』(文春文庫,p.153-155)

◆ というような文章を読んで、「両者が照合した瞬間、カチッと音がするような快感がある」と書いてあるけど、どうして「カチッと音がする」のだろうとか、なぜ「カチッと音がする」ことが快感になるのだろうとか、考えるひともいるだろうが、まれだろう。考えるひとは、この文章にどこか引っかかりを感じたわけで、引っかかりを感じなければ、そもそも考えてみる機会がない。この文章に引っかかりを感じないひとというのは、この「カチッと音がするような」という比喩をなんなく理解できるひとか、なんとなく理解できるので悩まず先に進むひとのどちらかで、どちらであっても読者の大半はこの両者に属するのではないかと思う。

◆ 「なんとなく理解できるひと」が、引っかかりを感じて、すこし立ち止まり、あれこれ考えて、その結果、ああこんなことかな、と思うに至ったとき、おそらくそのひとのアタマのなかでもカチッと音がして、「なんなく理解できるひと」に変わっていることだろう。

◆ はてさて、アタマのなかで、なにかが照合したときに、カチッと音がして開くのはいったいどんな秘密の鍵なのだろう。

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