MEMORANDUM

  磨墨・池月

◇ 維新後三十年とはいえ文明開化の底はまだ浅い。
 たとえば、機関車そのものの呼び名である。
 ナスミス・ウイルソン社という横文字にさえ目を白黒し、なんだかむずかしい事柄だと尻込みする気風は鉄道の現場に根強かった。そのため、機関車に日本名を与え、いくらかでもなじみやすいものにしようとすることは、それが少しばかり合理的思考のかたまりである機関車という機械にそぐわないにしても、認めるべき策なのだった。だから、関西鉄道が、機関車の形式名に日本名を与えている慣習を、島は変えるつもりはなかった。その方が機関車を相手にする現場の連中の気持ちにあっているのである。
 その慣習によって命名されたナスミスーウイルソン社製造のタンク機関車のニックネームは、なんとも古風に「磨墨」といった。つまり「磨墨型機関車」というわけである。関西鉄道にはなかなか趣味人が多い。ほかの形式名称は次のようになっている。
池月」「雷」「駒月」「小鷹」「友鶴」「隼」「鵯」「千早」「春日」「三笠」「飛龍」「鬼鹿毛」「雷光」「早風」「追風」。
 日本人は猛々しく動くものを前にすると誰でも連想するイメージが似てくるらしく、のちの軍艦や戦闘機の名そのものである。
 この名前をイギリス人が知ったら、どうだったろうか

橋本克彦『日本鉄道物語』(講談社文庫)

◆ 磨墨に池月といえば、とくに「趣味人」でなくても、「宇治川の先陣争い」の駿馬の名を思い起こすひとは多いだろう(ワタシは最近まで知らなかったが)。

〔Wikipedia:磨墨塚〕 磨墨は梶原景季の愛馬であり名馬として知られた。磨墨に乗った景季は、1184年(寿永3)の宇治川の戦いで、やはり名馬の誉れ高い池月(いけづき)に乗る佐々木高綱と先陣を争った(宇治川の先陣争い)。磨墨を葬った場所と称する所は日本各地にあり、東京都大田区南馬込3-18-21 にも磨墨塚と称す塚がある。
ja.wikipedia.org/wiki/磨墨塚

〔Wikipedia:磨墨塚〕 なお、東京都大田区の洗足池周辺(洗足池公園大田区南千束2-14-5)には、名馬池月の伝説も伝えられている。石橋山の合戦敗北後の源頼朝が、池の付近に投宿した際、池の水面に映える美しい駿馬が現れたので捕らえ、池月と命名したという。

◆ それで、ワタシの自慢は、「大田区南馬込3-18-21」と「大田区南千束2-14-5」のあたりの両方を、たまたまなにかのついでに歩く機会があって、そこでたまたま「磨墨」と「池月」を見かけて、このようなハナシを書くことがいずれあるかもしれないと、そのときは両者の関係などなにも知らないままにとりあえず写真を撮っておいた、ということなのである。なにを自慢しているんだかよくわからないが、とにかく、ぜんぜん違う日に出会ったモノたちをなにかのきっかけで、ようやくこうしていっしょに並べてあげられたことがうれしい。

◆ ちなみに、「鬼鹿毛」というのは、武田信玄の父、武田信虎の愛馬の名だそうだ。

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