◆青空文庫で拾い読み。寺田寅彦「電車で老子に会った話」の冒頭。 ◇中学で孔子や孟子のことは飽きるほど教わったが、老子のことはちっとも教わらなかった。ただ自分等より一年前のクラスで、K先生という、少し風変り、というよりも奇行を以て有名な漢学者に教わった友人達の受売り話によって、孔子の教えと老子の教えとの間に存する重大な相違について、K先生の奇説なるものを伝聞し、そうして当時それを大変に面白いと思ったことがあった。その話によると、K先生は教場の黒板へ粗末な富士山の絵を描いて、その麓に一匹の亀を這わせ、そうして富士の頂上の少し下の方に一羽の鶴をかきそえた。それから、富士の頂近く水平に一線を劃しておいて、さてこういう説明をしたそうである。 ◆ つづきの内容はさておき、しかしさておかないのが、「さて」である。さて、ワタシが好きなのはこういうコトバだ。コトバ界にも、大物から小物までいろいろいるが、「さて」はおそらく死ぬまで(コトバもいつかは死ぬのである)、世の注目を浴びることはないだろう。そういえば、そんなやつもいたなあ、となにかの拍子に、ごくまれにその存在を思いだすひとがいるかもしれないが、その直後に、まあ、いなくてもかまわないんだが、と瞬時に忘れ去られる、それくらいが関の山だろうか。個人的には、さてにはたいへんお世話になっているので、さてに気がついたからにはあまり冷たくすることができない。というのも、これまで、この MEMORANDUM でも、無数のことをさておいてきたからで、そのわりには、ワタシがさておいてきたさてというものについて、いっこう無知であったことは、やはり反省しなければならない。 ◆ さて、さてにもいろいろあるようで、漢字にも「扨」「扠」「偖」と3種類もある。さてさてさて、どれも知らない。 ◆ さてにもいろいろあるようで、品詞で分けると、接続詞、感嘆詞、副詞の3種類があると辞書は書いている。以下、「大辞泉」と「大辞林」の「さて」。 ◇ 【接続詞】 ◇ 【接続詞】 ◆ 寺田寅彦のさては、どちらの辞書においても接続詞の2番目のさて。このさては、いまではとんと見かけないから、あるいはお亡くなりになったのではないだろうか? ◆ 感嘆詞3番のさてさんも(おっと、ついさんづけしてしまった)、たまたまなのか引用文も同じだが、じゅうぶん魅力的だなあ。 ◆ こんなことを書いているから、思い出したが、 ◇ アさて、アさて、アさて、さて、さて、さて、さて、さては南京玉すだれ ◇ アさて、アさて、アさてさてさてさて、さては南京玉すだれ ◇ アァ、さて、さて、さてさてさてさて、さては南京玉簾 ◇ アァン、さて、さて、さてさてさてさて、さては南京玉簾 ◆ さて、南京玉すだれのさては、どのさてなのだろう? 1番めのさてが接続詞のさてで、2番めのさてが感嘆詞のさてで、3番めのさてが副詞のさてたっだり、はまさかしないよね? ◆ さて、さいしょにさておかれたさてに戻って、寺田寅彦の「電車で老子に会った話」の末尾はこうだった。 ◇電車で逢った老子はうららかであった。電車の窓越しに人の頸筋(くびすじ)を撫でる小春の日光のようにうららかであったのである。 |
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