MEMORANDUM

  おじいちゃんの名前

◆ というわけで、反省したハナシを書く。

◆ それはミョウジのハナシで、ミョウジとカタカナで書いたのは、ミョウジには苗字と名字というふたつの漢字があって、しかし、このコトバを会話で使うときには、あるいはアタマのなかで考えているときには、べつだんどちらの漢字を意識しているというわけでもないので、ふたつの漢字を同時に書くすべがない以上は、カナ(かな)で書いておくしかない。まあ、ミョウ字とは書けるかもしれないが、これもまたミョウなので、とりあえずミョウジと書くことにする。それで、そのミョウジは、似たコトバに姓とか氏とかもあって、その違いがいまひとつはっきりしないのだが、とにかく、英語で family name とか last name とか surname と呼ばれているものハナシがしたい。

◆ と、書いたあとで、やっぱりミョウジという表記はミョウなので、とりあえず、名字と書くことにする。

◆ と、いつもながら、前置きが長くなってしまったが、こういうハナシはほとんどのひとが知っているのではないかと思う。つまり、ジョンソンだとかロビンソンだとかニコルソンだとかピーターソンだとかジャクソンだとかトマソンだとかハリソンだとかエジソンだとかローソンだとかエプソンだとか、こういったミョウジの終わりの「ソン」には息子の意味があって、ジョンソンはジョンの息子だし、ロビンソンはロビンの息子だしニコルソンはニコルの息子だしピーターソンはピーターの息子である。ついでに、ハリソンはハリの息子だしエジソンはエジの息子だしローソンはローの息子だしエプソンはプリンターだけれどももしかしたらエプの息子かもしれない。みたいなハナシ。あるいは、ものしりなひとなら、マックドナルドやマッカートニーやマッカーサーのマッ(ク)も息子の意味だと教えてくれるかもしれない。

◆ で、

◇ In Sweden they have never, until in later years, been regarded or treated as family names. Peterson meant Peter's son and nothing more. If Peter Anderson had a son by the name of John, he would be known not as John Anderson, but as John Peterson ; and John's son Nels would be Nels Johnson.
(スウェーデンでは、それらが名字とみなされたり名字として扱われたりすることは、最近になるまでなかったのです。ピーターソンはピーターの息子の意味で、ただそれだけでした。ピーター・アンダーソンにジョンという名の息子がいれば、その息子はジョン・アンダーソンではなくジョン・ピーターソンという名前で知られることになるでしょう。ジョンの息子のネルスはネルス・ジョンソンということになるでしょう。)

P. A. Rydberg, "WHEN IN ROME DO AS THE ROMANS DO" in Torreya, Vol. 1, No. 6 (June, 1901), pp. 61-65

◆ という文章をたまたま読んで、このことについて、これまでワタシはなにも考えていなかったんだな、と反省したのだった。いまさらながら思うのだが、たとえばヤコブソンという名字の由来がヤコブの息子だということを知ったとしても、それはたんなる知識にすぎなくて、そこからさらにそのヤコブとはいったいだれなのか、というとうぜん思いついてもよさそうなことさえ考えてもみなかった。「ピーター・アンダーソンにジョンという名の息子がいれば、その息子はジョン・アンダーソンではなくジョン・ピーターソンになる」というごくたんじゅんなことさえ思ってはみなかった。あるいは、娘の場合はどうなるのか、とか。

◆ ちょっと興味がわいて、調べてみたら、《Nordic Names》という平易な英語で書かれたサイトを見つけた。こんなことが書いてある。

◇ From 1901 onwards, this tradition has been forbidden and children have had to inherit their fathers' surnames. Our example children would become Arne Eriksson and Astrid Eriksson, even though Arne is not the son of Erik and even though Astrid is not a "son" at all.
(1901年以降、この伝統は禁止され、こどもは父の名字を受け継がなくてはならなくなりました。さきほどの例では、〔男の子のアルネも女の子のアストリッドもともに父親の名字エリクソンを受け継いで〕アルネ・エリクソンとアストリッド・エリクソンになることになったのです。アルネはエリクの息子ではなく、アストリッドにいたっては「息子」でさえないというのに。)

www.nordicnames.de/wiki/Surnames

◆ 引用部分だけでは、なんのことやらわかりずらいかもしれないが、これ以上引用すると、よけいにハナシがややこしくなるので(というか、ワタシもまだあんまり理解していないので)、興味のあるかたは原文にあたってほしい。とにかく、お父さんはエリクの息子(ソン)だから、エリクソンという名字でもなんの問題もないけれど、そのこどもたちのアルネとアストリッドにとっては、父の名字というのは、おじいちゃん(エリク)の息子(ソン)という意味なので、アルネは男の子だから、おじいちゃん(エリク)の息子ではないにしてもとりあえず息子(ソン)であることには変わりはない。けれど、アストリッドは女の子なので、おじいちゃん(エリク)のこどもでもないうえにそもそも息子(ソン)でさえない(娘である)。ほんとなら、女の子にはソン(息子)ではなくドッター(娘)がつくはずなのに。

◆ それから、もうひとつ。さいしょに引用したテキストが発行されたのが1901年。ちょうど、「ピーター・アンダーソンにジョンという名の息子がいれば、その息子はジョン・アンダーソンではなくジョン・ピーターソンになる」ことが法律で禁止され、「ピーター・アンダーソンの息子ジョンはジョン・ピーターソンにはなれなくて、ジョン・アンダーソンになることになった」年。それほどむかしのことではない。それから、スウェーデンの1901年の法律は、ふたつめのテキストの続きを読むと、再び変わったらしい。

◇Nowadays, it is possible again to use real patronyms/matronyms, as the name laws have changed again.

◆ いかん、いかん。やっぱり反省がどこかへ飛んでしまった。こうやって次から次から文章を読むからいけない。宿題ひとつ。いつかどこかで、「ソン」がつくひとに出会ったら、聞いてみよう。あなたの名字のなかにいるおじいちゃんはいったいだれですか?

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