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◆ 新聞でセシウムというコトバを見ない日はない。のではないか、と思うが、新聞を読まないのでよくわからない。かわりにこんなコトバを見ている。 ◇ セシウム百三十三の原子の基底状態の二つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の九十一億九千二百六十三万千七百七十倍に等しい時間 ◆ 意味がわからなくても、もう一度、じっくり読んでみてほしい。いや、だいじょうぶ、心配しなくても。これは、セシウム137ではなくて、セシウム133だから。 ◆ このコトバはなにかというと、計量法(平成四年法律第五十一号)に基づいて制定された計量単位令(平成四年十一月十八日政令第三百五十七号)という政令の別表第一(第二条関係)というところに記載された秒の定義。 ◆ この、わずか1秒の定義を、しかし1秒以内で読み終えることはできそうにもない。そのことになぜだか妙に感動してしまった。 |
◆ 書きたいハナシがあったので、アタマのなかであれこれ考えていると、タイトルもついでに降ってきた。降ってきたというしかない。これも考えてみれば、不思議なもので、いつでもいつの間にか、タイトルがアタマのなかに用意されている。まあ、タイトル欄があるからタイトルを考える習慣になってしまっているだけなんだが、それはそれでおもしろい。 ◆ それはそうと、さきほど降ってきたコトバはなにかというと、「反省」というコトバなのだった。反省、このコトバはまったくの不意打ちだった。それで、そのことを考えてみると、驚いたことに(というしかないと思うが)、このまえ反省したのはいつだったっけ、という問にたいする答がいつまで考えても出てこない。まちがいなく、ワタシはここしばらく、数年だか、数十年だか、反省したことがないのだった。 ◆ もちろん、それに類したことはあったかもしれないが、ここしばらく、それはワタシにはまったく縁遠いコトバだった。とりあえず、そのことをいま、反省している。それで、この文章のタイトルは、考えるまでもない、「反省」だ。 |
◆ というわけで、反省したハナシを書く。 ◆ それはミョウジのハナシで、ミョウジとカタカナで書いたのは、ミョウジには苗字と名字というふたつの漢字があって、しかし、このコトバを会話で使うときには、あるいはアタマのなかで考えているときには、べつだんどちらの漢字を意識しているというわけでもないので、ふたつの漢字を同時に書くすべがない以上は、カナ(かな)で書いておくしかない。まあ、ミョウ字とは書けるかもしれないが、これもまたミョウなので、とりあえずミョウジと書くことにする。それで、そのミョウジは、似たコトバに姓とか氏とかもあって、その違いがいまひとつはっきりしないのだが、とにかく、英語で family name とか last name とか surname と呼ばれているものハナシがしたい。 ◆ と、書いたあとで、やっぱりミョウジという表記はミョウなので、とりあえず、名字と書くことにする。 ◆ と、いつもながら、前置きが長くなってしまったが、こういうハナシはほとんどのひとが知っているのではないかと思う。つまり、ジョンソンだとかロビンソンだとかニコルソンだとかピーターソンだとかジャクソンだとかトマソンだとかハリソンだとかエジソンだとかローソンだとかエプソンだとか、こういったミョウジの終わりの「ソン」には息子の意味があって、ジョンソンはジョンの息子だし、ロビンソンはロビンの息子だしニコルソンはニコルの息子だしピーターソンはピーターの息子である。ついでに、ハリソンはハリの息子だしエジソンはエジの息子だしローソンはローの息子だしエプソンはプリンターだけれどももしかしたらエプの息子かもしれない。みたいなハナシ。あるいは、ものしりなひとなら、マックドナルドやマッカートニーやマッカーサーのマッ(ク)も息子の意味だと教えてくれるかもしれない。 ◆ で、 ◇ In Sweden they have never, until in later years, been regarded or treated as family names. Peterson meant Peter's son and nothing more. If Peter Anderson had a son by the name of John, he would be known not as John Anderson, but as John Peterson ; and John's son Nels would be Nels Johnson. ◆ という文章をたまたま読んで、このことについて、これまでワタシはなにも考えていなかったんだな、と反省したのだった。いまさらながら思うのだが、たとえばヤコブソンという名字の由来がヤコブの息子だということを知ったとしても、それはたんなる知識にすぎなくて、そこからさらにそのヤコブとはいったいだれなのか、というとうぜん思いついてもよさそうなことさえ考えてもみなかった。「ピーター・アンダーソンにジョンという名の息子がいれば、その息子はジョン・アンダーソンではなくジョン・ピーターソンになる」というごくたんじゅんなことさえ思ってはみなかった。あるいは、娘の場合はどうなるのか、とか。 ◆ ちょっと興味がわいて、調べてみたら、《Nordic Names》という平易な英語で書かれたサイトを見つけた。こんなことが書いてある。 ◇ From 1901 onwards, this tradition has been forbidden and children have had to inherit their fathers' surnames. Our example children would become Arne Eriksson and Astrid Eriksson, even though Arne is not the son of Erik and even though Astrid is not a "son" at all. ◆ 引用部分だけでは、なんのことやらわかりずらいかもしれないが、これ以上引用すると、よけいにハナシがややこしくなるので(というか、ワタシもまだあんまり理解していないので)、興味のあるかたは原文にあたってほしい。とにかく、お父さんはエリクの息子(ソン)だから、エリクソンという名字でもなんの問題もないけれど、そのこどもたちのアルネとアストリッドにとっては、父の名字というのは、おじいちゃん(エリク)の息子(ソン)という意味なので、アルネは男の子だから、おじいちゃん(エリク)の息子ではないにしてもとりあえず息子(ソン)であることには変わりはない。けれど、アストリッドは女の子なので、おじいちゃん(エリク)のこどもでもないうえにそもそも息子(ソン)でさえない(娘である)。ほんとなら、女の子にはソン(息子)ではなくドッター(娘)がつくはずなのに。 ◆ それから、もうひとつ。さいしょに引用したテキストが発行されたのが1901年。ちょうど、「ピーター・アンダーソンにジョンという名の息子がいれば、その息子はジョン・アンダーソンではなくジョン・ピーターソンになる」ことが法律で禁止され、「ピーター・アンダーソンの息子ジョンはジョン・ピーターソンにはなれなくて、ジョン・アンダーソンになることになった」年。それほどむかしのことではない。それから、スウェーデンの1901年の法律は、ふたつめのテキストの続きを読むと、再び変わったらしい。 ◇Nowadays, it is possible again to use real patronyms/matronyms, as the name laws have changed again. ◆ いかん、いかん。やっぱり反省がどこかへ飛んでしまった。こうやって次から次から文章を読むからいけない。宿題ひとつ。いつかどこかで、「ソン」がつくひとに出会ったら、聞いてみよう。あなたの名字のなかにいるおじいちゃんはいったいだれですか? |