MEMORANDUM

  兎追いし日々

◆ 子どもがテーマのアンソロジーのタイトルに『兎追いし日々』というのは、悪くはないだろう。編者のいうように、

◇ すべての大人たちが、一度はあの精彩あふれる『兎追いし日々』を体験した
加藤幸子編『兎追いし日々』(光文社,p.338)

◆ のだとすれば。

♪ 兎追いし かの山
  小鮒釣りし かの川
  夢は今も めぐりて
  忘れがたき 故郷

  「故郷」(作詞:高野辰之,作曲:岡野貞一)

◆ 文部省唱歌の「故郷」。

◇  どんなにたくさんの人びとが、この歌をうたってきたことだろうか。私なども、時折ひとりでこの歌を口にすると、目がしらが熱くなってくる。
 山はあおき故郷、水は清き故郷……。ふるさとの山河が水中花のようにあらわれてくる。自分の少年期が走馬灯になってめぐってゆく。私自身は加賀平野の町の育ちなので、山でウサギを追ったことはない。「兎追いしかの山」は山村でのことだ。だが、それでも、この歌詞はふるさとそのものなのだ。ドングリ拾いをした学校の裏山も、松茸採りにあるいた町はずれの丘も、遠足で登った山々も、すべてがなつかしく立ちあらわれてくる。「小鮒釣りしかの川」も同様だ。笹舟をうかべたりドジョウをすくった小川も、フナやコイを釣ったり舟を漕いだりホタルを追ったりした川も、その匂いまでがただよってくる。
 それぞれが、それぞれの故郷を、この歌から引き出されるのだろう。日本の源郷が、この歌にあるのだ。

高田宏『信州すみずみ紀行』(中公文庫,p.251-252)

◆ ひとはみな、それぞれの「兎追いし日々」の懐かしい思い出を心に大切にしまっている。それはそれでいいのだが、この「兎追いし日々」からカッコを取ってみればどうなるか? 「私自身は加賀平野の町の育ちなので、山でウサギを追ったことはない」という高田宏と同じく、ワタシもウサギを追ったことはない。いまでは、ほとんどのひとがそうだろう。いや、むかしから、フナを釣ったことはあるにしても、ウサギを追ったことがあるというひとはそう多くはなかっただろう。ウサギを追おうにも町にウサギはいない。ウサギを追うのは「山村でのこと」なのだから。

◆ 子どものころに、「兎追いし」を「ウサギ美味しい」とカン違いしていたというひとは多いだろう。

〔名曲スケッチ〕 この曲の歌詞「うさぎおいし」は、「ウサギは美味しい」という意味で、「昔の人はウサギを食べていたんだなー」と思っていたとか、あるいは、「うさぎをおんぶすること」という数々の珍解釈?があるようですが、「うさぎ追いし」とは「うさぎを追っかけていた」の意です。
www.geocities.co.jp/mani359/meikyokuhurusato.html

〔進学館ブログ〕 童謡「ふるさと」の歌い出しで、♪うさぎ追いし かの山~♪とありますが、♪うさぎ美味し かの山~♪と勘違いしている人が結構いらっしゃるのではないかと思います。私も高校生ぐらいまでは、「昔はうさぎ狩りが頻繁に行われていて、きっとうさぎ汁が故郷の味だったのだな」と変に誤解しておりました。
www.up-edu.com/shingakukan-blog/2008/11/post_428.html

◆ たしかに、「うさぎおいし」は「ウサギを追った」の意味で、「ウサギが美味しい」という意味でない。しかし、「では、どうしてウサギを追うのか?」ということを考えてみるひとは少ないようだ。歌詞が「美味し」ではなく「追いし」だと気づくとすぐに、「昔の人はウサギを食べていたんだなー」とか「昔はうさぎ狩りが頻繁に行われていて、きっとうさぎ汁が故郷の味だったのだな」とかの連想も誤解であると撤回してしまうのは、すこしもったいない気がする。

〔ダイヤモンド・オンライン:千石正一 十二支動物を食べる(世界の生態文化誌) ~「卯」を食べる~ 兎美味し彼の山〕 飽食の時代、日本ではウサギというとペットを想起するようで、「ウサギを食べる」というと眉をひそめる反応すら出現しているが、本来ウサギは食用である。私も幼児の頃に、母方の祖父の家を訪れた際、飼育していたウサギを食べ尽くしたことがある。
 これらは飼い兎、動物学的にはアナウサギだが、野生の兎たるノウサギも、別種ながら食用としている。唱歌『ふるさと』の「兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川・・・」とあるのは、子供なりの食料確保の手伝いの情景であって、兎を追いかけて単に遊んでいるのではない。動物性蛋白質の不足がちな、かつての農山村ではふつうの光景であった。
 実際、学校をあげての兎狩りの行事もあった。勢子を使って山狩りをし、兎を捕る。勢子は多いほうが広い範囲を覆えて効果的だから、全校児童が参加して兎を追う。捕獲した兎を業者に売って得た「兎基金」で学校備品が調達されたりしていた。農林業に被害のあるノウサギを駆除し、自然に親しみ、協力作業を教え、教育資金も得られる、すばらしいイベントがあったのだ。
 杉や桧の植林、山地開発の進行等によって山に棲む獣の数は減少し、ノウサギも減り、学童の数も減った。社会の変化に伴ってこういう風習は失われてしまった。

diamond.jp/articles/-/5128

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