◆ 子どもがテーマのアンソロジーのタイトルに『兎追いし日々』というのは、悪くはないだろう。編者のいうように、 ◇ すべての大人たちが、一度はあの精彩あふれる『兎追いし日々』を体験した ◆ のだとすれば。 ♪ 兎追いし かの山 ◆ 文部省唱歌の「故郷」。 ◇ どんなにたくさんの人びとが、この歌をうたってきたことだろうか。私なども、時折ひとりでこの歌を口にすると、目がしらが熱くなってくる。 ◆ ひとはみな、それぞれの「兎追いし日々」の懐かしい思い出を心に大切にしまっている。それはそれでいいのだが、この「兎追いし日々」からカッコを取ってみればどうなるか? 「私自身は加賀平野の町の育ちなので、山でウサギを追ったことはない」という高田宏と同じく、ワタシもウサギを追ったことはない。いまでは、ほとんどのひとがそうだろう。いや、むかしから、フナを釣ったことはあるにしても、ウサギを追ったことがあるというひとはそう多くはなかっただろう。ウサギを追おうにも町にウサギはいない。ウサギを追うのは「山村でのこと」なのだから。 ◆ 子どものころに、「兎追いし」を「ウサギ美味しい」とカン違いしていたというひとは多いだろう。 ◇ 〔名曲スケッチ〕 この曲の歌詞「うさぎおいし」は、「ウサギは美味しい」という意味で、「昔の人はウサギを食べていたんだなー」と思っていたとか、あるいは、「うさぎをおんぶすること」という数々の珍解釈?があるようですが、「うさぎ追いし」とは「うさぎを追っかけていた」の意です。 ◇〔進学館ブログ〕 童謡「ふるさと」の歌い出しで、♪うさぎ追いし かの山~♪とありますが、♪うさぎ美味し かの山~♪と勘違いしている人が結構いらっしゃるのではないかと思います。私も高校生ぐらいまでは、「昔はうさぎ狩りが頻繁に行われていて、きっとうさぎ汁が故郷の味だったのだな」と変に誤解しておりました。 ◆ たしかに、「うさぎおいし」は「ウサギを追った」の意味で、「ウサギが美味しい」という意味でない。しかし、「では、どうしてウサギを追うのか?」ということを考えてみるひとは少ないようだ。歌詞が「美味し」ではなく「追いし」だと気づくとすぐに、「昔の人はウサギを食べていたんだなー」とか「昔はうさぎ狩りが頻繁に行われていて、きっとうさぎ汁が故郷の味だったのだな」とかの連想も誤解であると撤回してしまうのは、すこしもったいない気がする。 ◇ 〔ダイヤモンド・オンライン:千石正一 十二支動物を食べる(世界の生態文化誌) ~「卯」を食べる~ 兎美味し彼の山〕 飽食の時代、日本ではウサギというとペットを想起するようで、「ウサギを食べる」というと眉をひそめる反応すら出現しているが、本来ウサギは食用である。私も幼児の頃に、母方の祖父の家を訪れた際、飼育していたウサギを食べ尽くしたことがある。 |
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