MEMORANDUM

  夷灊

◆ 千葉県夷隅郡大多喜町・夷隅神社の説明板。

◇ むかしから牛頭天王宮と称し、明治の初めに夷灊(いしみ)神社と改号して村社となり、明治十二年には社格が郷社になりました。

◆ 先の記事で、この文章を引き写しているときに、いやあ、こりゃ面倒だな、と思った。イシミの「シミ」にあたる漢字が見たこともない漢字で、この説明板の字体もこの漢字だけがアンバランスな感じ。きっと切り貼りして作ったんだろう。こんな漢字はパソコンでは表示できないよな、さてどうするか、と最初からあきらめていたのだが、《Wikipedia》を見ていたら、夷隅は、

〔Wikipedia〕 古くは古事記に「伊自牟(いじむ)」、日本書紀に「伊甚(いじみ)」として登場する地名であり、日本書紀には朝廷の直轄地として「伊甚屯倉(いじむのみやけ)」が置かれたとの記述が存在する。郡名としては「夷灊」など様々な当て字が用いられてきたが、江戸時代初期に「夷隅」の字が当てられ、定着したとされている。
ja.wikipedia.org/wiki/夷隅郡

◆ ありゃりゃ、「灊」の字がちゃんと表示されている(ちゃんとと言っても、ふつうの文字サイズで見ると、つぶれてしまっていてどんな字だかよくわからないだろうけど)。ちょっとびっくり。

◆ 地名としての夷隅(いすみ)は、さいきんまで郡名でしかなかったので、知らないひとも多かったが、平成の大合併での「いすみ市」の誕生(2005年12月5日)、いすみ鉄道によるムーミン列車の運行開始(2009年10月)、などの効果で、「いすみ」の知名度はかなり上昇したのではないか。ひらがなというのもどうかと思うけれど、地元では「夷灊市」「夷灊鉄道」の表記を推す意見も少しはあったのだろうか。ちょっと気になる。

関連記事:

このページの URL : 
Trackback URL : 

POST A COMMENT




ログイン情報を記憶しますか?

(スタイル用のHTMLタグが使えます)