MEMORANDUM

  浅草と深草

◆ いっぱんにも、年をとるにつれ、読書のテンポは遅くなるのではないかと思う。どうしても「ひっかかり」が多くなる。若いころはなにも知らないから、ほとんどただ本に従っていればよくて、なにも考えないから、それで読むのが速い。年をとると、あたまのなかに雑多な知識がふえて、あれやこれやにひっかかってしまう。それだから速くは読めない。そのことに気がついてから、だいぶ気が楽になった。ゆっくりと読む。不都合はなにもない。

◆ みっか京都にいて、いちど京阪電車で深草を過ぎた。そのとき電車のなかで読んでいたのが、司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの1冊『三浦半島記』で、鎌倉時代の鎌倉に、源頼朝が鶴岡八幡宮を造営しようとしたときのこと。

◇  このあたり、まだ関東の文化は、心もとなかった。頼朝が構想するような巨大構造物を建てる棟梁がいなかった。ところが、
「武州(武蔵)の浅草にいます」
 と、いった者がいる。
 武蔵は、一様に草深かった。
 そういう状態を、普通名詞では深草という。
 その対語が、浅草かと思える。町屋があつまり、小規模ながら町であるというさまから、浅草が地名になったのではないか。浅草は浅草寺(せんそうじ)の門前町なのである。
 大きな伽藍のそばには、それを修復する宮大工が住んでいるものだが、浅草にもそういう人物がいた。
 その匠(たくみ)が、いそぎ鎌倉によばれた。

司馬遼太郎 『三浦半島記 街道をゆく42』(朝日文芸文庫,p.91-92)

◆ 深草と浅草を対比してみたことなどなかった。せっかくだから深草駅の写真だけでも撮っておこうかと思ったが、もう深草を過ぎていた。《Wikipedia》から画像を借りる。ついでに、文章も読む。

◇ この駅のホーム屋根の柱は「深草」に合わせて『深緑色』に塗られている。
ja.wikipedia.org/wiki/深草駅

◆ なるほど。気がつかなかった。ああ、そういえば、そもそも(この画像にも写っている)京阪電車の車体の色が、淡い緑と濃い緑のツートンカラーだから、これは「浅草色」に「深草色」(だろうか?)。でも浅草の色といったら、やっぱり赤だろうなあ。雷門のある浅草寺も赤いし、都営浅草線の電車も浅草駅も赤いし。

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